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他者を思う

 

普段、いかに自分のことばかり考えていますかを思い知ります。

これまで霊的な事柄に関しまして、いろいろと教わって参りましたが、自己中心的な傾向はそのままであります。

 

利他愛につきまして、自分のものとしますまでに相当の日数がかかりそうです。

個人的な意思を手放して行きますのもずっと先のことになりそうなのです。

 

いま取り組めますのは、他者を思う心を少しずつ育てて行きますしか見当たりません。

相手はいまどんな気持ちでいますのか、およそでも見当が付けられるぐらいになりたいものです。

 

相手の心に焦点を当てます時間が長ければ長いほど、何となくわかって来ますものです。

いかに他者の存在を重んじて行けますかどうか、なのだと思います。

 

自己責任をわきまえつつ、自己に関しますことをことごとく棚に上げられます日は、いつでありましょうか。

 

 

主客転倒

 

何度も取り上げていますが、私とは見るものであって見られるものではないということです。

対象を自分と同一視しないように注意しなければなりません。

 

好き嫌いの感情や選り好みしますことも、いずれは手放していく必要があります。

なぜなら、実在しますのは観察する主体であります自分で、観察されるあらゆる客体には実態がないからなのです。

 

特定の事物にこだわったり愛着を感じたりしますあいだは、それを捨て去りますのは難しいかもしれません。

ただそれらは単なる対象物であって、自己とはっきり区別しておかなくてはならないのです。

 

往々にして自分に価値がないように思えてしまいますのは、価値を与える側の自分を対象物と見なしてしまうからです。

体験しています諸々のことと、それらを体験しています自分とを混同してしまうのです。

 

体験します自分という主体があってはじめて、体験します様々な客体が生じて来るということを忘れてはならないのです。

寄り添う生き方

 

他人という存在に対しましての、より深い理解ができますまでは、利他愛の思いが内から自然に浮かび上がって来ますことはないかもしれません。

理解を広げますには、利己性を少しずつ手放して行く努力が欠かせないように思われます。

 

他者に対しての自己の振る舞いがいかに批判的でありますかを観察し、自分を正す重要性に気づかなければなりません。

そして、全くの中立の立場で人と接します課題をクリアして行く必要があります。

 

相手が言っています内容や言葉に左右されないで、その人の気持ちに寄り添う生き方ができますかどうかなのです。

相手の心の声にどれだけ耳を傾けられますか、が問われていると言えます。

 

意識の根源的な部分に焦点を当てるようにして、外見や表面上の出来事にはとらわれないようにします。

他者をより深く理解しますには、相手との本質的なつながりに意識を向けて、一体感をどれほど多次元的にとらえられますかにかかっているように思われます。

 

 

一つの望み

 

この地上界におきましての望みは、たった一つに集約できます。大霊の良き道具となれますように、祈ることであります。

それを実践しますには、それ以外のことをいかにして手放して行くかであります。

 

人生で何が一番大切なのか、これがこれまでよくわかっていませんでした。

ですから、あれこれと手当たり次第に興味ありますものに手を出して、うつつを抜かしていたのです。

 

ようやく生まれて来ました目的がはっきりしまして、何を行うかが明瞭になりつつあります。

どうでもいいことに関わらないように充分、注意して行かなくてはなりません。

 

これまでのしがらみをどれだけ捨てられますか、それがいま試されております。

霊界の良き道具になります上で妨げとなりますものに、まず気づきましてから、それに感謝して別れを告げて行くのです。

 

 

心に刻みつける

 

自分が何者であるかを忘れてしまった体験者の自分といいますのは、好き嫌いという嗜好をもって判断し、限られた範囲の中でしか物事を考えられないのです。

ですから、いくら考えたとしましても思い出せないのは当たり前です。

 

ほんとうの自分を思い出すためには、観察者であります存在がつねに自分と共にいますのを忘れてはなりません。それは魂あるいは良心とも呼ばれます。

まず、そうした自分を導いてくれます神のような存在がいるのを、ほんとうに信じているかどうか。

 

また、ほんとうに自己を信頼しているのかどうかを問うのです。正直なところ、こんな大切な存在を軽視してやって来ました。

一刻も個人的な意思を手放しまして内なる声にしたがって、生きますにはどうすればいいのでしょうか。

 

これまで取り仕切っていました自分の頭脳や身体を明け渡します。魂の意向に沿って生き始めます。

思い出しますのは、ほんとうの自分が観察者であり、内なる神であり、魂であることです。これを何度も心に刻みつけるのです。

 

 

気づいては改める

 

どうしても日常の取るに足りない些細な状況に、気が滅入るときがあります。

しかし、すぐに観察者の視点に立ちまして、こう言い聞かすのです。

「もっと大事なこと、霊的成長につながることだけに目を向けましょう。この世での出来事というのは、どのようであってもいいのですから」と。

 

霊的な成長とは、どのようなものなのでしょうか。

理解できました範囲で言えますのは、どれだけ人々の幸せを思い、人々に尽くせる人間になれるかです。

持っているあらゆる能力を奉仕活動にどれほど注ぎ込めますかどうかです。

 

いちばん肝心なのは、自分が人のためにやれますことを、充分にやり尽くしているだろうかと問うことなのです。

そう考えてみますと、まだまだやり足りないのがわかりまして、これではいけないと自分を叱咤激励いたすのです。

 

自己満足に陥ったり不平不満を持ったりと、またもや自己中心的な考えに占拠されていたのに気づかされます。

何度も気づいては改めるの繰り返しではありますが、少しずつでも前進する以外に道はありません。

焦らず、たゆまず、怠らずを合い言葉に歩むのみです。

 

 

具体的取り組み

 

心身にこれ以上の毒素を取り入れないようにして、これまで取り込んでしまった望ましくないものについては、清める方向に舵を取るところまで理解できたように思います。

具体的にどのようにやっていくのかが見えてきません。かといって外に答えを求めても見つからないでしょう。

 

内側から何らかのメッセージを聞き取るように、ここは集中するときなのかもしれません。

次に問いが与えられました。自分の心身に対して、どんなことをして上げられるのでしょうか。

 

ひとつには、もっと成長したいという内なる声に耳を傾けます。黙想のとき、ほんとうの自分とつながれますように意識を切り替えます。

これぐらいはいいだろうという甘いささやきに聞く耳を持たず、必要のないものは口にしません。毎日、軽い運動を取り入れて心臓を鍛えます。

 

また対外的には、意に沿わない出来事をもれなく許します。すべてに対して例外なく、愛と優しさを持って接します。

努力目標としまして、エゴが語る言葉をことごとく放棄します。欲望に走ることをやめ、個人的な意思を手放します。

 

 

可能性に挑む

 

人間はひとりで生きられないと言われますと、自分には何か欠陥があって限界があるように思ってしまいます。そこから見直していかなければなりません。

 

ひとりで生きる必要はまったくなくて、それにみんなで一つなのだと認めれば何も問題はないことがわかります。

自分を制限します思い込みを何もかも手放して、新たな可能性に挑むときのようです。

 

元々一番知りたいと思っていますのが、自分は何者であって、どんな役割を担うために生まれて来たのかです。

それについて少しのあいだ考えてみましても答えは出てきませんので、もうそれ以上は考えようとしませんでした。

あるいは適当なところで考えを打ち切ってしまい、根本的な問いかけを忘れ去ろうとして来たのです。

 

ですから何かの拍子にその問いが頭をもたげて来て、その度に大事な何かを思い出そうとするのでした。

本などで、あなたにはこういう使命がありますというような文言を目にしますと、すぐ自分もそうかもしれないと真に受けたことが幾度もありました。

どうしても、それに関連しました内容に引きつけられてしまうのでした。

 

今を生きていますこの時代で、すべてが地球的規模で大きく変わろうとしていますのを感じます。

琴線に触れるものに出会いますのも、この時期でしかないように思われるのです。そうしたサインを見逃さないように過ごしています。