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役割を自覚する

 

ある本を読んでいましたら、10ものグループそれぞれの役割について事細やかに、周到に書かれておりました。

大きなことを成す目的で各専門のグループが集まり、分担して取りかかる例を挙げられていました。

 

人間一人ひとりが持てる最大限の力を出し切れる、そうした人たちがグループとしてやり遂げるのです。

さらに、そんなグループが連携し合い、束になって成し得ることは計り知れないものがあります。

 

しかし、それさえも全体のごく一部分であると考えますと、その先はもう想像を絶する規模へと発展して行くであろうと憶測できるだけです。

この宇宙のミクロの世界からマクロの世界まで、数多く存在します全てのものには、それぞれに託された役割というものがあります。

また、それを唯一果たすために存在していると言えます。どれもが全体の一部を担って、支え合っているのです。

 

全体の中の各構成員は、本来そういう重要な役目を受け持っていますのを重々自覚していて当然なのです。

ですから、自分の担っていますことは何であるのかを認識して、生まれて来た理由でもありますその使命を、いまこそ果たして行かなくてはならないのです。

 

 

自分の本性

 

仕事の作業中のことです。過去の出来事の、ある場面を思い浮かべて「ああでもない、こうでもない…」と、心のおしゃべりに気づく機会がありました。

そんなことより、もっと大事なことがあるでしょう!と怒鳴りたい気持ちになりました。

 

いつもこのような無駄話をしている習癖に呆れると同時に驚きでもあります。性懲りもなく延々と、こうしたおしゃべりを繰り返すのは、なぜなのでしょうか。

やりたい放題にさせているのは自分であり、それを許しているのも自分でありました。

 

「愛で一日を満たし、愛と共にいなさい」と言われるほんとうの意味がようやくわかりかけたように思います。

気がつくまで雑念に取り込まれてしまう隙を与えまくり、油断していますのが普段の自分の有様なのです。

これは今に始まったことでは無論ありません。何度も気づいて来たのですが、いっこうに改まっていないのが現状です。

 

何回か、心を愛で満たすように意識しました。とても落ち着き安らぎます。これを日常化できないのは、どうしてなのでしょうか。

どうしてもっとも大事な自分の本性を忘れてしまうのでしょうか。何よりも、この自分をマスターしなくてはなりません。

 

 

信じて選択する

 

普段、自分の考えていますことを、いかに疑ってかかっているかがわかりました。意外にも、ほとんどと言っていいほど自分を信じていないのです。

それで信じる方向に、ともかくも舵をきるように意識を向けました。否定的な想念がこんなにもはびこっていましたのに驚きます。

 

肯定的な思いに取って変えますには相当の根気強さを試されており、是が非でもやり遂げます。

黙想のときに、全身をできる限り信頼の波動で包みました。今までにない境地に身も心も震えていました。

 

しかし、黙想が終わってからは、またいつも通りの状態で過ごしていました。

翌日、目が覚めましてもそのままで、しばらくして思い出すまでずっと信じる決意のことを忘れていました。

 

自己改造の第一弾が、まだ始まったばかりですから、あったことやこれからやりますことは、すべて前向きにとらえ考えて行くのです。

いますぐ出来ますのは、意識をしっかり持ちまして、いかなるときも迷わずに自信を持って選択します。そして断固として実行します、ただそれだけです。

 

もう一つ大事なのは、それらの結果でもあります身に起こる出来事は潔く受けとめまして、もし改善すべきところがわかりましたら直ちに改めます。

原因であります自分が、どうすればいいのかは周りが教えてくれているのです。

 

 

毎日ワークを実践

 

心構えとしては、真の望みだけを描き、私利私欲を捨てて、やるべきことに集中することです。

そのひとつひとつをどのようにして行い、定着させていきますのか。それを次に考えていかなくてはなりません。

 

ほんとうの自分にとっての望みは、全体の幸せと霊的に進化しますことしかあり得ません。

あれこれと欲望を持ちますのは、個別意識が支配しているときなのです。

ですから全体意識に通じていますには、愛に意識を置かなくてはなりません。

 

自分がもし愛でありますなら、どう行動するでありましょうかと考えてみます。

私利私欲を持たないようになるためにも、つねに愛とともにいることが重要となります。

考えようによっては、自分の身体や周りのあらゆるものが愛で満ちていると言えるかも知れません。

 

ずっと以前に、あるワークショップで二人一組になって両手から愛のエネルギーを送るワークをやりましたところ、相手はびっくりするほどのエネルギーを感じたと言っていました。

愛は意識できますだけでなく、自分からエネルギーとして送り出すのも可能だと知りました。

 

意識的に見たり触れたりするときには、そのものに愛を差し出しているようにも思えます。

意識を集中させるとは、一心に愛のエネルギーを投じるということではないでしょうか。

毎日、愛のワークを実践して行くと考えればいいわけです。

 

 

意識を意識する

 

車の運転している最中に、どんな行動を取りますかは、そのときの意識状態で大きく異なるのに気がつきました。

愛を意識していますときは、ていねいな運転を自然とやっていますが、いつの間にか通常の個別意識に戻っているのです。

 

信号のない交差点に差しかかっても、左右の確認をおろそかにして先を急ごうとするのです。

そんな独りよがりの行動を平気でやっておりました。

 

個別意識の自己中心的な性質が、ハンドルを握ると顕著に表れていますのには驚きます。

これでは周りに何らかの害を与える可能性が常にありますので、この通常の意識状態を何とかしなくてはなりません。

そうは言っても手強い相手でありますし、一筋縄では行かないのは確かです。

 

個別意識を敵視したり、無視したりしても無駄でありますどころか、かえって身勝手さを助長しますことにもなりかねません。

どのようにして、個別意識と折り合いを付けて行くのか、それを考えますほうが得策のようです。

 

愛や幸せという言葉だけよりも、それをイメージにして心に満たし、それを絶えず意識できるようになるには、どのようなステップを踏めばいいのでしょうか。

人生の大半を、この意識のもとで生きて来ましたから、それを変えて行きますのは容易ではありませんが、何とかしてやって行かなくてはと思うのです。

 

 

 

かけがえのなさ

 

今朝、気づいたのですが、車を運転中に愛を意識していますだけでも十分に、周りを配慮した慎重な運転をやっておりました。

向こうから車がこちらに迫って来ますとき、そのものの脈動感が伝わってきまして思わず身震いしましたのは、自分の本質も愛であるからでありましょう。

 

さらに思い至りましたのは、普段の日常生活におきましてこそ、常に愛を意識しますことの大切さでありました。

そうした気持ちを持っていますと、何もやっていないときに時々感じていました、言い知れぬ寂しさとか孤独感からも解き放たれるのを知りました。

 

不足とか欠乏感が生じて来ないのにも気づき、愛という偉大な力のその一端に触れたように思われまして、感謝の念に打たれました。

どうしてこんなに大事な心がけを、いつの間にか忘れてしまったのでしょうか。

 

一時的にせよ、忘れる必要があったからなのでしょうか。そうとしか、思い当たらないのです。

なぜ、忘れなければならなかったのでしょうか。先ほど感じましたような愛の偉大さ、かけがえのなさを実体験で学んで知る上で忘却は不可欠だったのでしょう。

 

自分はもう、そのことを十分に知り尽くしましたと、天に向かって断言できればいいのですが、まだまだ言える状況ではありません。

自分が学びの途上にありますのをここで再認識し、もっと学び取ります決意を新たにするのでした。

 

 

個別から全体へ

 

車を運転しているときなどは普通、自分の身を守る必要がありますから、どうしても個別意識が前面に出て来ます。

意識して「今、愛と共に運転をやっているんだ」と何度も自分に言い聞かせていますと、個別意識から離れていられるように思います。

これに慣れて来きましたら、そんなに努力しなくても済むかも知れません。

 

昨日、一年ぶりに空の駅のバイキング・レストランで食事をしました。

開店時間まで並んで待っているとき、前の人と初対面ですのに会話を交わしていました。

テーブルの各料理を取ります際の順番待ちにおきましても、前の方が長くて待たされましても平気でした。

 

今までの自分でしたら、確実にイライラしていましたのに驚きでありました。

みんなのことを思うように心がけていますだけで、こんな風にも違って来ますのは、どういうことなのでしょうか。

 

全体を思う意識こそが、本来あるべき意識なのかもしれません。

いたわりや優しさ、思いやりなどの気持ちも元来、自然に出てきます気質と言えますでしょう。

しかし個別の意識下にありますと、それらも脇に押しやられてしまうようです。

 

人と競ったり争ったりしますのは、対立を要する個別意識のなせる技ではないでしょうか。

世界で、国同士での争いや国内紛争などが絶えなかったのは、分離の方向へ向かわせる個別意識が人々に蔓延していましたからでしょう。

今や、ひとりひとりが全体意識に目覚めて行きます時代に入ったように感じています。

 

 

害を与えない選択

 

周りの人や自分自身に有形無形の害を与えていますのは、個別の意識のときだと思います。

車を運転中、ゆっくり前を走っている車にイライラしますのも、無理に横から入って来た車に腹を立てたりしますのも、自分が個別意識の状態にあるときです。

 

もっとも普段の生活では100%近く、この意識で過ごして来ましたから、取り立てて指摘するまでもないのかもしれません。

ただ問題として、この意識があまりに強く作用し過ぎまして個人的な面で、あるいは社会の様々なところでトラブルが発生していますのが現実だという点です。

 

成長初期の段階においては、自己を確立しますために他者というものを識別し分離する必要上、個別意識に頼るほかはなかったのでしょう。

幼少の頃からそのようにして育ち、大人になったわけです。

 

そして今度は再び、自我という枠組みを取っ払って行きまして全体の中の一部に帰るべく、全体の意識を取り戻して行くときを迎えていますように思います。

その手始めとしまして、相手や自分にいかなる害も与えない生き方を、意識して選択するように決めたのです。

 

なるべく個別意識から離れて自他の区別を薄めて行き、一体感を思い出すようにします。

例えば、自然に触れる機会を持ったり、ぼんやりとしてでも地球規模のことを思ったりしてみるのです。