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創造の喜び

 

ほんとうの自分とは何なのか、思い出して行きますには、どうすればよいのでしょうか。

少なくとも、好きなテレビ番組を見て面白がるだけの自分ではないはずです。

十分それで満足していますならともかく、ほかの人にも役立ちそうな何か、出来ますことはないのでしょうか。

 

よほどの特殊なことでもない限り、それに没頭しますならば、どんなことでも自分はやれそうな気がして来ないでしょうか。

没頭できますものとそうでないものとがありますので、自分がどういうのでありましたら夢中になれますかを考えてみます。

これまで夢中になったのは、どんなときだったでしょうか。

 

例えば、プラモデルや模型などの工作品を作り上げましたとき、あるいは研修プログラムで研鑽に励みますとき、特殊な装置を使いこなしますとき、などが上げられます。

部品から作り上げて行きましてある形に組み立てますのと、自分の能力や出来上がった機械を使いこなしますのが何よりも好きだったようです。

 

どんなものであれ、小さな部分から想像し始めまして、それらから思いがけないものを創造して行きたいのです。

そして、それをフルに活用して楽しみますのが本望のように思われます。

 

そうしますと見えてきますのは、創造しますことを十二分に味わう存在であります。

また、創造した物を存分に生かしますことに大きな喜びを感じます存在とも言えます。

 

 

譲れない願望

 

普段から、どうあって欲しいのかをもっと鮮明に描きまして、持ち続けていますことがとても大事ではないかと思います。

何も持っていませんと突然、望んでいない状況に出合いましたとき、適切な対応がとっさに出来ないからです。

 

どんな人にも、こうであって欲しいと言う願いが、必ずやあるに違いないのです。

ただ、それを心の奥深くにしまい込んでいますので、意識しないで何も望みがないかのように毎日を過ごしています。

 

なぜ自分の願いを奥に引っ込めてしまっているのでしょうか。

ひとつは小さい頃、人に言いましてバカにされた経験がありましたからでしょう。

人から自分の願い事を酷評されて育ちましたので、二度と口にするまいと決めてしまったのではないでしょうか。

 

もうひとつは、社会に出ましてから自分の無力さをさんざん思い知らされ、痛手をこうむったからかもしれません。

容易に自信が持てない表れとしまして、願いをいだいたり夢を描いたりしなくなって来ましたように思います。

 

しかし実は、自分の持って生まれた本領を発揮しますのは、一度打ちのめされました後なのです。

ご破算にされて否定されましてもなお、これはというものが浮かび上がってまいります。

 

本心からにじみ出ました願いは、そうやすやすと葬られますことはあり得ないのです。

自分に嘘をつかない限りは、ある段階から立ち直って行けるものです。

これだけはどうしても譲れない、そういう願望を自分の中でもっと大きく取り上げて、養って行きます必要があると思うのです。

 

 

完璧なもの

 

考えられる最高の人間とは、どんな人間なのでしょうか。それは、自分たちがめざす理想の人間でもあるはずです。

いまの自分と比べて、どこがどのように違っているのでしょうか?

聡明な頭脳や容姿端麗であるとか、そういった好ましい条件をすべて持ち合わせた人間を、最高の人間と考えていいのでしょうか?

もちろん、そうした条件を兼ね備えているに、超したことはないのですが、それが最高の人間の必要不可欠な条件とは、どうしても考えられません。

最高とは、何をするにせよ、何を考えるにも、完璧にそれを行えるということでしょう。

いま、自分のやることやなすことをほぼ完璧に行えたとしたら、どんな展開になっているのか、考えてみるのも有益なことかもしれないのです。

 

ひとつ言えることは、やり終えたときの充実感は、格別なものであろうということです。もっとも、そう感じるのは最初のころだけであるかもしれませんが。

また、失敗とか間違いはあり得ないのですから、いつも最短最速でやり終えることでしょう。

やり終えた結果も、格段に調和のとれた、それこそ完璧な出来映えであろうということです。

なかなか、そこまで詳細に想像しにくいことではありますが、やってみる価値は十分あると思います。

 

ところで、もともと完全であり、完璧であったものが、いまは不完全で、完璧にはほど遠い、落ちぶれたものだと、どうして言えるでしょうか。

完全で完璧なものであったからこそ、いまも完全であり、これからも完璧であり続けるはずです。

 

ただ、完全であり完璧であることを忘れて、そのことにまったく気づいていないだけです。

とは言っても、そのことに気づけるところまで進化して来たのは、事実なのです。

なぜ、完璧なまでに完全であったものが、それを忘れ去ってまでして、何をやりたかったのでしょうか?

 

それは、自分自身を知りたかったのだ、と言われているのです。

完全で完璧な自分を知るために、忘却によって可能となった「完全でなく、完璧でない自分」の体験を通して、何とか

「完全で、完璧な自分自身」を知ろうとしているのではないかと思うのです。

 

 

身近にある豊かさ

「豊かさは自ら産み出すものだ」という言葉の意味がようやくわかりかけてきたように
思います。もっとお金やものが豊富にありさえすれば、豊かになれると思うのは錯覚で
あり大きな誤りでした。

真の豊かさは外側にあるのではなく自分の内面の心で、見出すことで生じるものでした。

同じ状況を目の前にしても、そこにあるあらゆる豊かさをどれだけ感じ取れ、どれほど
深く考えられるかで、その状況は豊かに思えなかったり、豊かさに圧倒されたりします。

受け取る側の意思と能力によって、豊かさがそこにあることやどんな豊かさを認めるか
目にしたものの解釈はまったく異なってくるということです。

自分が見ようとせず認めなければ、豊かさというものは現れて来ないものであることを
豊かさを求める場合には理解しておく必要があるように思います。

自分が望むものはすべて持つことができ、想像するものはすべて実現できるというのは
認識を高めた意思の力で、それらは現出できると言っているのだと思います。

成功にふさわしい人をめざす

成功について語るのであれば、
まず自分が
どのような価値観をもっているのか?
それを明確にする必要がありました。

私にとって最も価値あることは、
自分のできることで
人に役立つことをどれだけやれたのか。
人に喜ばれ
役立つ人間にどれだけなれたか。

また自分が
どれだけ人の身になって
物事に取り組めたか。
それらに大きな価値をおいています。

そして
その根底にあるのは、
自分の能力を
最大限に生かしたい
という思いがあります。

生かせる能力としては、
ものづくり、
メカニズムの解明、
新しいことの挑戦、
自己開発などの面です。

とくに
創造と成長への探求
が最大の関心事でした。

これらをどのようにして
人に役立て、形に表していくかが、
これからの重要課題だと
受けとめています。

計画を終えてから、その日を始める

計画を終えてから、その日を始める

「その日の計画を終える前に、その日を始めてはいけない」
この言葉を聞いて、私はハッとしました。

これから迎える1日1日を、何の計画も立てないで、
その日を始めることの“愚かさ”に気づいたのです。

自分がその日をどう過ごしたいのか、前もって意思表示せず
どうやって望むことが実現できるというのか。

計画通りに行かないこともあるかも知れないが、
それはそれで構わない。

軌道修正する必要性に気づけただけでも有り難いことです。

計画のない成り行き任せの人生に、
幸福や成功、生きがいはあり得ず
苦労ばかりで報われないことにやっと気づけたのです。

なぜ今まで、思う通りに行かなかったのか。

ボンヤリと考えていただけで、はっきりと明確に望むことを
宣言したり表現しなかっただけだったのです。

だから今すぐ、やるべきことは
計画を立てること、つまり
自分の思う通りにやってみることなのです。

結果を想定し、実験をはじめる

自分の生活を含めてこの世界で起こるすべてのことは、自分が創り続けていることを完全に腑に落ちていれば、

世界で起きているあらゆることを自分ごととして受け留められるし、また何か手を打つ必要があると思えばためらわずに行えると思うのです。

 

しかし実際は自分と世界で起こることは全く別だと考えて生きており、世界で起こる出来事は他人ごととして受け留めてしまって

傍観したり裁いたり、あるいは自分にはどうしようもないこととして見過ごしているのが現状です。

 

本当のところ、世界と自分とは別なのか?それとも密接に関係しているのか?

いつ頃からそう思ったのか定かでありませんが、世界の中に自分という人間がポツンといるだけで、

そんな自分にできることは大したことがないという誤った考え方で生きて来たように思います。

 

それが大きな間違いだということに気づき、今では自分の中に世界というものを創り上げていることを認識できるようになり日々実感していましたが、それを完全に腑に落とすところまでは至っていませんでした。

 

かと言って今の私にはどうすることもできず、ただその時が来なければそれは為し得ないということだけは徐々にわかるようになりました。

5年後の「理想的な場面」を想像して、それを創造するのはほかの誰でもなく自分だということでした。すべての出来事は全く自分次第であることがわかるのです。

それを実験して試す場が、この人生だと思うのです。

望むことだけを取り入れる

ふだんから気をつけておくべきことのひとつとして、人は四六時中、何かを考えたり思っていたりしているものだということです。

ほとんど無意識にやっているから自分でも気がつかないだけなのです。だから何を考え、どう思っているかが、とても大事になって来ます。

 

日によって心には浮き沈みがあるので、ある時は陽気であったり別の日は沈み込んでいたりしている自分に気づくこともあります。

また意識していないと周りや状況に巻き込まれてしまい、いつの間にか望む結果とは、かけ離れたことを引き寄せていることもあります。

 

特に望まないことや不安、心配ごとばかり考えていると、それが現実になってしまうことがよくあるので、否定的なことには要注意です。

望まないことよりも、本当に望んでいること、なって欲しいことを普段から考えるクセを付けておくことが何よりも大切だと思うのです。