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最高の人間

 

人間に与えられた役割とは何なのか、自分個人のことを考える以前に、誰もが一度は問い返したことがあるのではないでしょうか。

自由気ままに振る舞っていいのだろうか、決してそうでないことを、人は心の奥底では知っているのだと思います。

 

だから、やりたい放題のことをやっている人を見ると、あの人は間違っていると思うのです。

好き勝手に自分がやっているときには、それになかなか気づかないもので、人から言われてハッと気がつくものです。

 

人間には、やっていいことといけないことの節度をわきまえる能力が最初から備わっているものだと思います。

それなのになぜ、そこから逸脱してしまうのか、とても不思議なことだと思ってしまいます。

おそらく、それは自由意志というものをはき違えているからなのでしょう。

 

ある意味では確かに他の生物とくらべて、人間に与えられている自由の度合いは格段に大きいものがあります。

それをいいことにして人間は何をしてもいいのだ、という思い上がった考えが芽生えるのかもしれません。

 

人間にしかできない、あることをやり遂げるために自由ないし自由意志というものがあるのだと気づくべきでしょう。

しかし、自由意志といえども無制限に許されるわけではないはずです。この自由意志とは、何なのでしょうか。

 

仮に、どんな強制があったとしても最終的に、自分が行う「選択の自由」のことではないかと思うのです。

地上のあらゆる生物の頂点に立つ人類は、ある重大な役割を担っていることだけは確かです。

個人個人の役割というものはすべて、この人類に課せられた役割の延長線上にあるものだと言えます。

 

もし延長線上になければ、それはその人の自己満足でしかないものです。自己満足のどこがいけないのか。

人生を単なる自己満足だけで、終わっていいのかどうかを自分に問いかければわかることです。

 

人間に与えられた役割とは、いったい何なのでしょうか。いまの段階で言えることは、考えられる最高の人間になる、ことではないかと思います。

 

 

相手を敬う

 

改めて思ったことですが、いつどこで命を落とすのか、それは全くわからないということです。

もちろん人間だけでなく、あらゆる生きているものに、そう言えることかもしれません。

本人が気づいていないだけであって、生きていること自体が、絶えず病気や事故など命を落とす危険に出合うリスクを背負うことだと言えます。

そうした数えきれない関門をくぐり抜けて来たものだけが、いま生きているということです。

もっと言えば、社会や自然界から何らかの、必要とされているものだけしか生きられないということではないでしょうか。

 

そういうことが理解できたら、誰の命であろうと粗末には扱えないものです。

自分も含めてこの地上にあるもの、すべてにはそれぞれの、ある役割を果たすために存在することを忘れてはならないわけです。

でも実際には、個人の好き嫌いとか勝手な判断でないがしろにされたり、逆に、ないがしろにしてしまいがちなのです。

なぜこういうことになるのでしょうか。

 

人類が誕生した初期のころの人間にとっては、自然界のすべてを敬うことが当たり前であったのではないでしょうか。

ところが自然を軽視する者が現れてから人間同士の間でもいざこざが起こりはじめ、自然界やお互いを敬わない者が徐々に増えて来たのではないかと思います。

一度でも人から粗末に扱われたりすると、根に持ちやすいものです。それがたび重なると、その体験が今度は人を粗末にする誘因となるのだと思うのです。

では、どう対処していけばいいのでしょうか。

 

いったん、まず人から受けた理不尽な扱いや体験などすべてをご破算にして忘れてしまうことです。そして自分の原点に立ち戻ることではないでしょうか。

自分のことを人がどう扱いどう思おうと、周りがどうであれ、そんなことはどうでもいいことであって、自分は自分なのだと頭を切り替えることです。

 

たとえば、本当は自分をどうして欲しかったのかをよく考え、して欲しかったことだけを人にして行けばいいのです。

して欲しくないことは、絶対に人にしないことでもあります。

 

本来、当たり前であったことはちゃんと記憶の中にあり、ただ眠っているだけなので、それを呼び起こし、自分から当たり前にして行けばいいのだと思うのです。