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当たり前のこと

 

ある女性から「一日だけ、はさみを貸してください」と言われて、手持ちのはさみを貸しました。

一日ぐらいなら、それがなくても別にどうってことはなかったのですが、二、三日たってもはさみが返ってきません。

さすがに不便を感じることがあり、貸した人に返してもらわなくてはと思っていました。

 

やっと、その人に聞く機会がありましたので「はさみは、どうしましたか?」とたずねたところ、

「忘れていました。返そうと思っていたのですが…」という答えでした。

これを聞いて、その人に対してどんな印象を私が持ったのかは、想像がつくと思います。

 

この人は、自分の言ったことでさえも、守れないのだ。借りたものは返すのが当たり前、と思っているだけで、なかなか実行しない人なのだ。

すぐ返さなくても、貸した人は別段、困ることもないだろう、などと自分勝手なことを考えている人だ…。

 

ちょっとしたことをきちんと守る習慣ができていない人は、いくら着飾ってみても、人から好印象を持たれることはまずないでしょう。

本人がそのことに、いち早く気づいて、心を改めていけば、何の問題もないことです。

その女性は、はさみをすぐ返しに来たので、相手から言われる前に、自分から返すことを心がけるように、と伝えました。

 

ちょっとした約束ごとなのに、人はどうして守れなくなるのでしょうか。

おそらくそれは、子どもの頃には褒めてもらえたのに、大人になってからは、ちょっとした約束ごとをしっかり守り通してきたとしても、それは当たり前のことなので、高く評価してくれる人や感謝してくれる人がいなくなったからではないでしょうか。

もしそうなら、誰も褒めてくれなくても大丈夫です。

 

この次から自分が、当たり前のことを当たり前にやれたときは、自分で自分を、うんと褒めて上げればいいのです。

それじゃー、さびしいですか。

でも、当たり前のことを、当たり前にやることこそ、ほんとうは一番むずかしいことを、ほとんの人は知らないのですから、

このことの方が、よほど悲しいのではないでしょうか。

 

 

相手を敬う

 

改めて思ったことですが、いつどこで命を落とすのか、それは全くわからないということです。

もちろん人間だけでなく、あらゆる生きているものに、そう言えることかもしれません。

本人が気づいていないだけであって、生きていること自体が、絶えず病気や事故など命を落とす危険に出合うリスクを背負うことだと言えます。

そうした数えきれない関門をくぐり抜けて来たものだけが、いま生きているということです。

もっと言えば、社会や自然界から何らかの、必要とされているものだけしか生きられないということではないでしょうか。

 

そういうことが理解できたら、誰の命であろうと粗末には扱えないものです。

自分も含めてこの地上にあるもの、すべてにはそれぞれの、ある役割を果たすために存在することを忘れてはならないわけです。

でも実際には、個人の好き嫌いとか勝手な判断でないがしろにされたり、逆に、ないがしろにしてしまいがちなのです。

なぜこういうことになるのでしょうか。

 

人類が誕生した初期のころの人間にとっては、自然界のすべてを敬うことが当たり前であったのではないでしょうか。

ところが自然を軽視する者が現れてから人間同士の間でもいざこざが起こりはじめ、自然界やお互いを敬わない者が徐々に増えて来たのではないかと思います。

一度でも人から粗末に扱われたりすると、根に持ちやすいものです。それがたび重なると、その体験が今度は人を粗末にする誘因となるのだと思うのです。

では、どう対処していけばいいのでしょうか。

 

いったん、まず人から受けた理不尽な扱いや体験などすべてをご破算にして忘れてしまうことです。そして自分の原点に立ち戻ることではないでしょうか。

自分のことを人がどう扱いどう思おうと、周りがどうであれ、そんなことはどうでもいいことであって、自分は自分なのだと頭を切り替えることです。

 

たとえば、本当は自分をどうして欲しかったのかをよく考え、して欲しかったことだけを人にして行けばいいのです。

して欲しくないことは、絶対に人にしないことでもあります。

 

本来、当たり前であったことはちゃんと記憶の中にあり、ただ眠っているだけなので、それを呼び起こし、自分から当たり前にして行けばいいのだと思うのです。

 

 

幸せは、いまここに

幸せでないときなど、本当はなかったのです。
当たり前のことの中にこそ、幸せが満ちていました。

朝4時過ぎに起きられたこと、
いつものようにパンの作業を今日もやれたこと、
朝食を今朝も美味しくいただけたこと、

寒けりゃストープを点けて温まることができ、
また出すものは出せてスッキリできたこと、

こうしていまも生かされていることに
不思議な思いと共に
有りがたい気持ちが湧き上がります。

毎日、平凡な日常の中、平凡に過ごせること、
このことが一番の幸せであることに
少しずつわかりかけて来たように思います。

もし仮に非日常なことが起こったとしても
動じることなく冷静に受けとめ、
対処できるこころが
養われつつあるように思うのです。

望むことを引き寄せる

 

ずっと求め続けていたことや望んでいたことのほとんどが実現していたという事実にもっと目を向けてみる必要がありました。

それらは思い出しては忘れるといった状態で、ずっと心の片隅に持ち続けていた望みや欲求でした。

 

それがいつの間にか現実のものとして現れ、それを当然のものとして受け取る自分だったのです。

結局、思いが実現するとは、そんな無理のない当たり前のことだと自覚できると、何を引き寄せるかの選択が最も重要だということがわかります。

 

 

自分にあるものがすべて

結局、自分は今出来るしか出来ないという当たり前のことに行き着きます。

しかし、この出来ることを愚直に続けて行くことは並大抵ではありません。

そこを続けることに大きな意味があり、大きな力が生まれて来るのです。

自分の行動自体が抵抗を招き、それを超えることでより高い見地に立てるということでした。

 

 

豊かになるにはやってみること

豊かになるにはやってみることだったのです。何もやらないで豊かになることはできないのでまずはやってみること。

そしてやってみたら今度はそれを続けることなのです。継続は力なりという言葉があるように、どんな小さなことでも続けることで大きな力になるということです。

 

やってみることと続けること、たったこれだけで豊かになれると今は私は思っていますが、なかなか出来ないことだったのです。

やってみてわかる!やってみなければわからない!こんな当たり前のことがわかっていなかったということです。