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体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

(※注)その後、信頼できる筋から、「神との対話」シリーズのチャネリング情報は、霊界の低級霊による悪戯によるものとの指摘を得ました。

 

体験者と観察者

 

自分自身の本質とは、何でしょうか。

いまの自分は、いつも選択に迷っていたり間違いをおかしたりしまして、完璧には程遠い生き方をしています。

また、思い通りにいかないと落ち込んでみたり、たまに良いことがありますと喜んだりしているのです。

 

しかし、迷い落ち込んでいますのは、ほんとうに自分なのでしょうか。いったい誰が迷い、落ち込むと言うのでしょうか。

実は、自分自身といいますのは本質的に完全でありますので、自分と思えます架空の分身を仕立て上げたのです。

その者が間違ったり、悩んだりしていると考えられます。

 

本来は、第三者的に眺めていますだけだったのですが、直接に体験したくなって来たのであります。

それでその者と一体になりきりまして、自分があたかも間違ったり喜んだりしていると思い込むように、振る舞って来たのです。

 

例えば、失敗や成功というものを体験するには、まず不完全な状態になりまして味わう必要がありました。

完璧なままでいましたら、失敗しますこともなければ、成功とはどういうものかもわからなかったからです。

そして、そうしたことを続けて行きますうちに、自分の本質が何だったのか、わからなくなってしまいました。

 

それでも本質を失ったわけではありませんので、ときに無意識に感じ取りましたり、突き動かされましたりします。

十分に体験し尽くしましたなら、そこから離れる術を学んで行かなければなりません。

ほんとうの自分とは限界のない無限の存在でありますことを思い出して行きますには、どうすればよいのでしょうか。

 

 

わだかまりを解く

 

裁いたり言い返したりするのは、それを引き起こす要素を持っていただけ のこと。

そのことに気づけば、その要素は役目を終えて消えていきます。 その行為を認めるだけでよかったので、後悔の念をもつ必要はなかったです。

 

どんなわだかまりも事実を見つめて、それを受け入れることで解消できます。

過去に自分がとったどのような行動も、その時点で完璧であったことを認め ていけばいいのです。

相手にとっても自分にとっても、とった行為に間違いはなかったのです。

 

 

人生を愛すること

 

やっただけの成果があり、やらなかったことには何の報いもない。これって完璧ではないですか?

報酬額に不満を持ったり、あるいは多大な見返りに遠慮することは一つもないということです。

 

起こったことは完璧なまでに正確なので、そのままを受け取ればいいだけです。常に最善を尽くすだけで後のことは信頼して任せればいいのです。

 

例えば、人にアドバイスをしたり、お薦め商品を紹介するとしてもそれは完璧な形で行え、その結果についても完璧なことしか受け取らないとしたら、

そういう完璧さをもたらしてくれる相手に対して自分にできることは何でしょうか。

私には愛することしか浮かばないのです。

 

 

これまでも、これからも完璧

 

自分に都合のいいことが果たしてほんとに自分にとって良いとは限らないということです。

都合の悪い場合の方が後々、良かったということもあり、どっちにしろ必然性があって起こった出来事として素直に受け取ればいいということです。

 

そういう意味で完璧なことしか起こらないといえるのです。

人が行ったことや自分がしたことにもそれぞれの理由があってやったことでもあり、その完璧さを認めることです。

これからも完璧なことしか起こりようがないことを知って、全幅の信頼をよせ物事に取り組んで行けばいいのです。