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生きている木

 

大きくなりすぎた庭の木々の剪定をやろうと、ずっと思っていました。それを昨日、意を決してやることにしました。

手伝ってくれる人に依頼できたことで幸先が良く、昼過ぎから作業に取りかかることにしました。

前にも何度か剪定はやったことがあり、十分に気を付けてやっていくのはもちろんのこと、要領もだいたいわかっていました。

 

作業着に着替えて軍手や帽子、剪定の道具などを身に着けていよいよ作業の開始です。

3メートル以上の高さの木に、剪定用の梯子(はしご)を使って登るわけですが、この梯子が結構重たいので慎重に動かして安定させます。

上に登ってからすぐ、足元がぐらつかないように木とはしごの上部を太めの紐でくくりつけます。

枝の適当な位置にのこぎりの歯を当て切り始めて行きます。太い枝ですので、一つを切るのにも重労働です。

 

最後の大枝を切り終えた直後、ヒヤッとしました。太い枝がすぐ横で落ちて行ったのです。

もうちょっと手前だったら頭を直撃されるところでした。助けてもらったと思うと同時に感謝の念に打たれました。

そのとき、一生が終わっていたかもしれないのに、生かされました。まだやるべきことが自分に残されていることを確認する出来事でした。

 

さて5、6本の大枝を切ったところで、上での作業はひとまず終わりにして、切り落とした枝のさばきにかかります。

切り落とした一つ一つの枝が相当に重くて「よくもまあ、こんな重い枝をいくつも木は支えていたのだ…」「文句ひとつも言わずに、黙々と支えていた」ことに、つくづく感心してしまいました。

生きている木から「支え、支えられて生きている」とは、こういうことなのだ、と教えを受けているようでした。

 

で、その枝をその場でそれぞれ、いくつかに切っていき、持てるほど小枝に分けてから運んで行きます。

最後に小枝を更に細かく切り分けて行きます。1時間のつもりが3時間以上かかってしまいました。

これでどうにか1本の木の剪定が終わりました。あと4本ありますので、一週間後に2本目をやる予定です。

 

 

信頼する人に

 

これまで、多くの人と関わってきた中で、この人は信頼できないと思ったことは、それこそ何度もありました。

しかし、この人はほんとに信頼できる人だ、と心から思ったという記憶がないのです。

 

いまだから言えることは、信頼できる人はまわりにたくさんいたはずです。

自分が心を閉ざしたまま信頼しなかったために、人を信頼できたという体験にまで至らなかっただけだということです。

ですから、もっとも必要なことは「信頼する」体験を積むことだといえます。

 

いままで何をするにも、どちらかといえば半信半疑で取り組んできた傾向があったことです。

その結果、人への不信感をつのらせ、人からの助言を疑い、自分の可能性や能力などを過小評価する自信のなさなど、悪循環にはまっていたということです。

 

自分で人間不信をまねくような原因を作っておいて、一方で人は信用できないと思い、自分も信じられず、信じられるものが何もないと落ち込んでいたのです。

まさに自業自得(じごうじとく)といえるのかもしれません。

 

こうした体験から学べることは、自分もふくめてどの人も、根本的には信頼に足る人だということです。

こうして生きているという事実が、その理由です。

もし信頼に足る人でなかったとしたら、その人は生きていられないからです。

 

生かされるものは、自分が信頼に足るものであることを、本能的に感じ取っているはずです。

大きくとらえれば、存在するものすべては、大自然から必要とされ信頼に足るものである、だからこそ現にこうして、ここにあるのだと思います。

 

信頼しないというのは、自然に反する選択だったのです。だから悩んだり苦しんだりするのです。

「信頼する」ことこそが、自然なことなのです。

人生の役目

 

もし人に数多くの人生というものがあるとすれば、その中のひとつに過ぎない、いまの人生をどのようにとらえて行けばいいのでしょうか。

そもそも自分が望んだわけでもないのに、なぜ人間は人生というものが与えられているのでしょうか。

すぐ出てくる答えは、さまざまな体験を通して学んでいくための舞台として人生があるということです。

 

もう二度とおなじ辛い思いをしなくて済むように、自分のおかした間違いや失敗から何か学び取ろうと、努力するのが人間ではないかと思います。

少しでも「ましな生活」をしようと、少しは「まともな人間」になろうとして、なんとか知恵を働かせるものだと思うのです。

 

みずから進んで学ぶというよりは、どちらかといえば、学んで行かざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。

何も学ぼうとしない、ずっと学ばない選択をする人も中にはいますが、敢えてそのように振る舞っているだけで、そういう人はいずれ大きな代償を払ってでも学ぶことになるのです。

 

この学び続けるという選択は、簡単なことのようで非常に難しいことがわかってきます。

いったい何を学び、どのように学んで、それをどう活かして行ったらいいのかという問題です。

学んだつもりだったのに、結局何も学んでいなかったと気づかされることが何度あったことでしょうか。

 

人生でたったひとつのことでいいから、それに関しては十二分に学べたと胸を張れるほどに、学び尽くしたいものです。

ひとつのことを浅く学んで終わりにするのか、または、ひとつのことからどれだけ深く学びとおすのか、そのことを学ばせるのも人生の役目のような気がします。

 

そして、人にはそれぞれ、その人生で掘り下げていくべきテーマというものがあるようです。

それが何であるのかは重要なことですが、人生を歩んでいくうちに何となくわかってくるもののようです。

 

 

自己成長が最大の関心事

自己成長をめざすことと人の役立つことをやって行くと
いうことを動画では語りました。

それで具体的に、どういうことを今後やって行くのかと
いうことです。

世界情勢や日本の経済のことを知ることも大切ですが、
自分にできることとしては、
日常のなかでの気づきを掘りさげて行くことです。

この世界を動かしている原理原則について学ぶことも
大事なことだと思います。

例えば、原因結果の法則や引寄せの法則などですが、
これらについても理解を深める必要を感じています。

結局は、日頃の小さな積み重ねを実践するだけです。

今朝の朝食です。
地元産の野菜を使ったサラダとスープ、自家製の食パンでした。
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自分の言葉づかいを改める

ふだん何気なく使っている言葉から、
自分がどういう人間なのか?
推し量れるということです。

立派な人間になりたいと願いつつ
人に対して投げやりな態度で接するなど
矛盾した生き方をしていました。

言葉づかいに気をつけて、
言葉を選びながら話すようになって
会話に
より集中できるようになりました。

また、敬意をもって相手に向き合おうと
自ら意識づけを行うことによって
自分らしさも出せるような気がします。

言葉づかいを変えるだけで
自分の振る舞いや態度が変わりはじめ
周りに対する見方も
変わるのを実感しています。

成功した人というのは
成功に値するだけの人間的魅力と
真実を極める脳力を備え

物事へのとらえ方や語る言葉には
多々学ぶべき点があるように思います。

人生の目的は何か

人生の目的は何か

私には2つのテーマがありました。
いかにして稼ぎ、食べて行くのか?と
いかにして生きて行くのか?

しかし、いかに稼ぐかは
人生の最終テーマでないということに
うすうすは気づいていました。

今回、これまでどっちつかずで来た反省と
時間は有限!であることを考え、
一点に集中することに決めたのです。

まず稼ぐことに集中して自由を獲得することを
最優先にして取り組んでいますが、
稼ぐという課題で一生を終えるのではなく

いかにして生きて行くのか?
それを人に伝えて行くことが
自分の使命だと感じています。

どのようにして生きて行けばいいのかは、
人がどのようにして生きて来たかを
知ることで、はじめて
自分の生きる意味がわかり
生き方を決められるものでした。

どのような人たちから学べばよいのか?
私は人間的な生き方は、延々と伝承して来た
ネイティブ・アメリカンの人たちから、

日本人としての特質は、
例えば安岡正篤氏の書物などを
参考にしています。

人としてどう生きるか?
先祖代々から受け継がれて来た
自然と共生する生き方から学び、

後世の人たちに伝えることが
人生ではないかと思うのです。

そのまま、ありのまま認める

パンを店頭に並べる前にシールを貼ることになっていて、そのシール発行機のところへ行くと先着の方がいました。

その店の人で、まだかなりの量があると言われました。

 

待つほかないと伝えましたが、ずっと待っていて焦り出して思わず「まだ時間かかりそうですか?」と聞きました。

もう終わりますと言われましたが、状況に反応している自分がいました。

 

全てを受け入れていれば余裕を持って対処できたのかもしれませんでした。

もう1つ、せまい道で対向車が来たので左側に寄って、行ってくれるのを待ちましたが通れないと思ったのか先方も停まってじっとしたままでした。

 

何でこれだけの幅があるのに通らないと?と思いつつ数分経過しました。

相手はバックし出して停まり、こっちが通り過ぎるのを待っている様子でしたので私は進んで行きました。

 

私のほうで何とかしようとはせず、ただ相手を判断しているだけでした。

終わってみて気づくのは、全ては受け留めるチャンスでもあったということです。

こうして今の自分を知る体験を立て続けにさせてもらったのでした。

 

お金から自分を解放する

これまで新しいことや面白いことがあれば、すぐ飛びつくタイプでしたが、いろいろやってみて失敗だったこともたくさんありました。

もう2度とやるまいと決めたことも数えきれないほどありますが、全ては学びであったと、とらえればムダは一切なかったと言えます。

 

お金からの解放は、人によっては一瞬で出来ることかもしれませんが自分の力で何とか成し遂げたいテーマであります。