「可能性」タグアーカイブ

可能性に挑む

 

人間はひとりで生きられないと言われますと、自分には何か欠陥があって限界があるように思ってしまいます。そこから見直していかなければなりません。

 

ひとりで生きる必要はまったくなくて、それにみんなで一つなのだと認めれば何も問題はないことがわかります。

自分を制限します思い込みを何もかも手放して、新たな可能性に挑むときのようです。

 

元々一番知りたいと思っていますのが、自分は何者であって、どんな役割を担うために生まれて来たのかです。

それについて少しのあいだ考えてみましても答えは出てきませんので、もうそれ以上は考えようとしませんでした。

あるいは適当なところで考えを打ち切ってしまい、根本的な問いかけを忘れ去ろうとして来たのです。

 

ですから何かの拍子にその問いが頭をもたげて来て、その度に大事な何かを思い出そうとするのでした。

本などで、あなたにはこういう使命がありますというような文言を目にしますと、すぐ自分もそうかもしれないと真に受けたことが幾度もありました。

どうしても、それに関連しました内容に引きつけられてしまうのでした。

 

今を生きていますこの時代で、すべてが地球的規模で大きく変わろうとしていますのを感じます。

琴線に触れるものに出会いますのも、この時期でしかないように思われるのです。そうしたサインを見逃さないように過ごしています。

 

 

委ねる生き方

 

以前ほどではないにしましても、まだ思う通りに行かないと滅入り、常に身を守ろうとしますのは、どうしてなのでありましょうか。

それはすべて、積もり積もった過去の体験に基づく学習の結果なのでした。そこまで気がついていなかっただけでした。

 

自分がこうなのはある面で仕方がなく、そのまま受け入れて行くしかないのです。

だからといって、こうありたいという望みも持てないほど可能性がないとは思えません。

 

確かに過去のカルマの蓄積によって今の自分があるのですが、本質の部分では完全無欠でありますのに変わりはないはずです。

そうした体験をしているだけだと、気づくことができたのですから、これからは違った体験を選んで行けばよいと思いました。

 

今、個人的な事柄で生きますことから、徐々にほんとうの自分に委ねる生き方へ持って行く意図を持っています。

どこまでも自分を主張し守ろうとします自我の声に耳を貸すことをやめて、内面から発して来ますもうひとつの声に従って生きて行くのです。

 

自分ひとりの力はごく限られていますから、もうひとりの自分とやって行きますほうが最善に違いないのです。

ここまでやって来られましたのも、そのお陰でもありました。少しは客観的に、自分や物事を見られるようになったばかりです。

 

 

ほんとうの自分

 

個は全体の縮図とも言われますように、ほんとうの自分とは、考えられます全てを有する存在でありますに違いないでしょう。

つまり自分というのは、何者でもない者かも知れません。

絶えず流動的で、とらえどころのない、あらゆる可能性そのものが、本来の自分かも知れないのです。

 

もしそうだとしますと、明確にこれだと特定しますのは、そのほかの全てを否定しますのと同じになってしまいます。

自分の一部分をもって、全体もそうであるかのように言ってしまうのです。

 

これは言葉で言い表せませんのに、そうしようと試みるからでありまして、ある意味ではそれも仕方のないことです。

自分という者を敢えて表そうとしますには、たくさんの要素からいくつかだけで表現せざるを得ないのです。

 

ですから問題となりますのは、その内のどれをもって表現するかでありますが、

自ずと意識に上がって来ましたものや、頭に浮かんで来ましたもので限定するほかはありません。

 

それは脳に刻まれました記憶の中から特に、一番心に響きました事柄でありましたり、強く印象に残った体験の断片であります。

それらはどれも全体の縮図を宿してはいますが、ほんの一例に過ぎないこと、自分の全てを表してはいないことをわきまえています必要があります。

 

 

自分の可能性

 

最大の関心事は何でありましょうか。寝ていましても覚めていましても、そのことだけを考えている、興味津々なものは何でありましょうか。

いまの自分にはないと申せます。より近いものでしたら、どうでしょうか。

このブログ更新を続けていきますことが、あるいはそれにあてはまりそうです。

 

しかし、書いていく内容につきましては書き始める前まで、特に考えておりませんし、ごくたまにテーマが浮かんで来るぐらいであります。

ただ努めていますのは、朝から何度も、何かを必ず書き上げるようにと自分に言い聞かせております。

このように見ていきますと、ブログを続けるのが現在の最大の関心事とは申せないでしょう。

 

書く内容では、どうでしょうか、自分にとりまして注目に値するような主題か何かは、ありますか。

思い巡らしましたが、これと言って見当たらないのです。いま差し迫った状況にはいないと言い変えましてもいいと思います。

ある意味におきましては、これはこれで喜ぶべきなのかも知れません。でも、もしかしましたら大事なことを、見落としている場合も考えられます。

 

確かに、何かとても大切な教えを見逃しているような気がします。そのときに見合いました課題が提示されているはずですから。

それを真っ先に取り上げまして、可能な限り掘り下げていかなければならない、そのような主題があるはずです。

また、そのようであってほしいと望みます。自分であるからこそ行えます役柄に、応じたいだけなのですが。

一晩、考えまして続きを記すことにいたします。

 

 

未知の体験

 

自分には簡単に解決できそうにない問題に出合った、そのときこそ、自分の思ってもみない底力が引き出せるチャンスかもしれない、と考えてみてはどうでしょうか。

人の助けが必要なときもありますが、どうしても自力で困難な状況を切り抜けなければならないときもあるものです。

 

いつ、そんな危機に遭遇するのか、まったく予測がつかないので、普段から努力を要するようなことにチャレンジして、自分を鍛えておくことが重要かもしれません。

こうした習慣を身に着けていれば、いざというときに素早く思考回路が働いてくれて、苦境から脱出する手助けになってくれるものです。

 

人間が本来、持っている能力の大部分は、まだ使われていないと言われています。

その未使用の領域から少しでも力を引きだせれば、いままでできなかったことができるようになるかもしれないのです。

 

そうした潜在能力を引きだすためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは興味を持っていることで、何か新しいことを始めてみることだと思います。

そのときに注意することは、途中でやめたくなったとしても我慢して続けることです。

 

未知の体験を始めたのですから当初は、わからないことや慣れないことなどで、つまずくことが多いものです。

そこを耐えて行き、決してあきらめたりはしないことなのです。とにかく続けて行くこと、積み上げて行くことです。

 

そうすると徐々に、自分に力がついて来ることに気づけるはずです。これまでのことを思い返してみてください。

いま自信を持ってできると言えるものでさえ、かつての自分にとっては、まったく未知の分野のものであったのではないでしょうか。

いままでにも、何度も新しいことに挑戦してやって来たのです。ですから、今度もやれないはずがないのです。

 

 

自分をこき使う

 

前回は、人にこき使われることについて書きました。

今回は「自分をこき使う」をテーマに、進めていきたいと思います。

 

まず問題にしなくてはいけないのは何のため、誰のために自分をこき使うのかということです。

何のために自分をこき使っていく必要があるのかは、自分を高めていくため、より成長するためです。

 

では誰のためにこき使うのか、一にも二にも人々に奉仕していくためなのです。

勘違いしがちですが、そもそも自分の能力を伸ばして、可能性を広げていこうとするのは、何のためなのでしょうか。

自分の立身出世や金儲けのためでは決してありません。

 

なぜすべての人は持って生まれた能力開発の可能性を秘めているのか、それは人々に奉仕するためだと言っていいのです。

まわりで自分を支え助けてくれる人たちは、私たちに奉仕する機会を与え、それを体験させてくれる有難い存在なのです。

権力者の奴隷とか搾取、操作の標的になるためではないのです。

 

自分をこき使って、出来ることは何でもやって行くと、思ってもみなかった力を発揮している自分に気づくことがあります。

奉仕して行く過程で、能力はさらに磨かれていき、可能なこともふえて守備範囲は広がり大変なのですが、充実度も深まっていくのです。

 

心に刻む3つのこと

 

当面、以下の3つをクリアすることに力を入れるだけで、その後に大きな違いが生まれるような気がします。

ます、やる前に考えるクセをまず断ち切ることだと思います。

必要な時には自ずと思考も働くので、敢えて考えることもないのです。

 

次に自分にとってなぜ、その目標達成が重要なのか?その理由を頭に刻み込むことで、半ば達成したも同然になります。

内からこみ上げてくる願望は、その現実化の前触れであって、実現するか否かの問題ではなくなり、それを判断したり評価するのは無意味だと知る必要があるのです。

 

そして、望むことだけに注意を向け、常に望む結果のさらに先を意識して思考する習慣を身につけることです。

他者との関係で生きる

いつも考えていたり注意を向けているものに、自分の貴重なエネルギーを注ぎ込んでいることに気づかず無意識にやっていたことを、最近は意識するようになりました。

これまで目の前のことにあまり注意を向けないで、過去や先のことなど、ここにないことに意識が向いて望まない結果を引き起こしていたのです。

 

もちろん理想を描いたり過去を省みるのは有益なことですが、いまやっていることをおろそかにして、あと先を考えるのは止そうと思ったのです。

しかし、これがなかなか難しいのも事実で根気よくやって行く以外に方法はなさそうです。

 

どれだけ今まで力をムダにして来たのかがわかったからこそ、こうして今1つの方向に意識を向けるように訓練するようになりました。

例えばブログの記事を書くなら、それに集中しさえすればいくらでも書けることがわかりました。

 

それをあれこれと、あることないことを考えるから書けなくなっていただけだったのです。

何をやっても出来ないのは、意識をそれに向け続けること、つまり集中することの偉大な力を知らないだけなのです。

今ようやく、そのことがわかり始めたところです。