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豊かさを求める

 

この宇宙が生まれました理由のひとつは、より豊かさを追求するためではないかと思われます。

それを実現して行く媒体として人間や他の生物が創造されまして、豊かさを生み出す源泉として自由意志や創造性、想像力などが賦与されたように思うのです。

奴隷のように酷使されたり、操作されたりするために人類が生まれたのでは決してありません。

 

全体がより豊かになりますには、構成員の個々が創造性を発揮して豊かになり、更なる豊かさを求め続ける意思を貫かなければなりません。

それから各個人が個人の域を一刻も早く抜け出し、グループから全体へと思考の枠を広げて行きまして、知恵を最大限に働かせる必要があります。

真の個人の豊かさは全体の豊かさから、もたらされるものであるからです。

 

個人が行います第一歩としまして、信頼に裏付けられました愛を自身と周りにできる限り満たします。

そして、周りのありとあらゆる存在の本質である愛を見届けます。

どんな出来事にも意味があることを認め、それらを謙虚に受けとめます。

この人生は自分を磨く修行の場と考えますと、何が来ようとも恐れるに足らずです。

 

 

信じて選択する

 

普段、自分の考えていますことを、いかに疑ってかかっているかがわかりました。意外にも、ほとんどと言っていいほど自分を信じていないのです。

それで信じる方向に、ともかくも舵をきるように意識を向けました。否定的な想念がこんなにもはびこっていましたのに驚きます。

 

肯定的な思いに取って変えますには相当の根気強さを試されており、是が非でもやり遂げます。

黙想のときに、全身をできる限り信頼の波動で包みました。今までにない境地に身も心も震えていました。

 

しかし、黙想が終わってからは、またいつも通りの状態で過ごしていました。

翌日、目が覚めましてもそのままで、しばらくして思い出すまでずっと信じる決意のことを忘れていました。

 

自己改造の第一弾が、まだ始まったばかりですから、あったことやこれからやりますことは、すべて前向きにとらえ考えて行くのです。

いますぐ出来ますのは、意識をしっかり持ちまして、いかなるときも迷わずに自信を持って選択します。そして断固として実行します、ただそれだけです。

 

もう一つ大事なのは、それらの結果でもあります身に起こる出来事は潔く受けとめまして、もし改善すべきところがわかりましたら直ちに改めます。

原因であります自分が、どうすればいいのかは周りが教えてくれているのです。

 

 

自分と向き合う

 

ほんとうの自分とは、いつもビクビクしています小心者の自分でもなければ、やがて老いて朽ちて行きます肉体でもないのです。

また、自分にとりまして今の人生が全てでもありません。はるか以前から自分はいたのでありまして、これからもずっとあり続ける存在なのです。

 

まず、そこのところをしっかりと押さえておくことであります。

その上でこの人生において、なぜ小心者のように振る舞ってしまうのか、そこからよく考えてみる必要があるのです。

 

ついビクビクしてしまう自分を、言わば分身として眺めます視点を持つようにしてみます。いろいろな理由が浮かんできますので、それらを受けとめて行きます。

自分の中で、問題を抱えています自分と第三者的な立場の自分とで穏やかな対話を重ねて行きます。

 

たまたま映画「戦場のメリークリスマス」を見始めてみたのですが、捕虜の人間をモノで殴る蹴る、銃殺などを平気で行う場面に、あまりに霊的な進化とは逆行しており、たまらず止めてしまいました。

おそらく実際の戦場では、これ以上の地獄のような有様であったのかと想像しますと胸が裂ける思いになります。

 

ビクついてしまう要因には、これに類した戦争体験の遠い記憶であります場合が十分に考えられると思うのです。

ですから今の自分を無理に変えようとするのではなく、それを認めて行きまして気づいているだけでいいのです。

 

 

グッドモーニングショー

 

映画「グッドモーニングショー」を見ました。

数時間の朝のワイドショーに、4時間前から準備作業を開始していましたことと、

たくさんの人たちがそれぞれの部署で綿密に関わっていたことにびっくりしました。

しかも分単位、あるいは秒単位で次々と切り替わっていきます場面設定の連係プレーは、いくら仕事柄とはいえ見事でした。

 

それに対しまして、扱っています話題や題材が視聴者の受けの良い芸能ニュース関係を最優先にされていますので、

作り上がりも限定されたモノで終わってしまい、残念な気がしてなりませんでした。

そこへ事件が発生しましてから状況が一変して、その後の展開に引き込まれて行きました。

 

なぜ、主人公の澄田キャスターが立てこもりの犯人から呼び出されたのか、顔に泥を塗る場面はいったい何なのか、という疑問が出てきます。

ところが、そういったことはわからないまま話が進んで行きますので、目が離せませんでした。

事件の核になります過去の出来事や背景などが、徐々に明らかになって行きます手法は功を奏していました。

 

ところどころに笑ってしまう仕草や勘違いなどのコミックなシーンがはさまれまして、人質事件に伴う緊張を和らげているようでした。

犯人の動機などの真相に近づくにつれまして、ワイドショーのスタッフたちが現場で進行する映像の画面に釘付けになって行きます様子は真に迫っていました。

 

見終わった後はホッと胸をなで下ろしましたが、番組の終了間近に行われました視聴者投票の結果については考えさせられました。

本来は自分の命を人の意見でどうするか、決めるようなものでないはずです。

しかしながら、投票結果の数字を入れ替えましたことで、犯人をはじめ自分たちも救われたと思いました。

 

 

自分とは何者か

 

自分が体験する者でありますことを理解できましたとしても、ほんとうは何を体験したかったのでしょうか。

自分とは何者であるかを知り尽くしますこと。

 

これは体験を通じてでしか、知りようがありません。

どんな体験をしましても、そこから何か自分を知る手がかりを見つけ出さなければ、意味がないことになります。

 

体験を通してでなければ知り得ないというのは、そもそもどういうことでしょうか。

何を体験しましょうとも、行動し実践するという能動的な要素が不可欠であると言えます。

受け身的な体験もないわけではありませんが、被害者意識に見舞われましたり、運を天に任せましたりして、主導権を他者に明け渡す結果になりますので却下すべきでしょう。

 

体験に先立ちまして、何らかの動機ないし意図が脳裏にありまして、それが体験の出発点になるように思います。

どんな動機や意図が考えられますでしょうか。

 

例えば、自分とは何者かという問いから派生しました問題意識に、突き動かされました様々な動機が考えられます。

あるいは、自分自身を知る絶好の事態を前にして新たなる課題に気づき、それを解決します意図かもしれません。

 

もっとも体験のすべては、自分を知る材料をことごとく提供してはいるのです。

ただ自分がそれらを、どれだけ受け取れる用意がありますかどうかだけなのです。

 

 

未知の体験

 

自分には簡単に解決できそうにない問題に出合った、そのときこそ、自分の思ってもみない底力が引き出せるチャンスかもしれない、と考えてみてはどうでしょうか。

人の助けが必要なときもありますが、どうしても自力で困難な状況を切り抜けなければならないときもあるものです。

 

いつ、そんな危機に遭遇するのか、まったく予測がつかないので、普段から努力を要するようなことにチャレンジして、自分を鍛えておくことが重要かもしれません。

こうした習慣を身に着けていれば、いざというときに素早く思考回路が働いてくれて、苦境から脱出する手助けになってくれるものです。

 

人間が本来、持っている能力の大部分は、まだ使われていないと言われています。

その未使用の領域から少しでも力を引きだせれば、いままでできなかったことができるようになるかもしれないのです。

 

そうした潜在能力を引きだすためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは興味を持っていることで、何か新しいことを始めてみることだと思います。

そのときに注意することは、途中でやめたくなったとしても我慢して続けることです。

 

未知の体験を始めたのですから当初は、わからないことや慣れないことなどで、つまずくことが多いものです。

そこを耐えて行き、決してあきらめたりはしないことなのです。とにかく続けて行くこと、積み上げて行くことです。

 

そうすると徐々に、自分に力がついて来ることに気づけるはずです。これまでのことを思い返してみてください。

いま自信を持ってできると言えるものでさえ、かつての自分にとっては、まったく未知の分野のものであったのではないでしょうか。

いままでにも、何度も新しいことに挑戦してやって来たのです。ですから、今度もやれないはずがないのです。

 

 

許すということ

 

許すということについて書いてみたいと思います。すると子どもの頃のことを思い出さないわけにはいきません。

たぶん、この何倍も許してもらっていたはずと思いますが、許してもらえなかった自分のことが忘れることが出来ず、

いざ自分が許す立場に置かれるとなかなか人を許すことが出来ないものなのです。

ここで、よくよく考えなくてはならないのです。

 

自分が許してほしかったときに許してもらえなかった、そういう体験があるからこそ、より寛大になり率先して人を許さなくてはならないことを。

いつも相手の身になって人と接するようにと言われるのは、いつか自分も逆の立場で相手から親身になって世話を受けるのであり、そのことへのお返しをすることでもあるのです。

 

人は親切にされたことは忘れやすいものですが、粗末に扱われたことはいつまでも根にもったりして覚えているものです。

ここでまた、よく考えてみます。なぜ人から親切にされたことは、忘れやすいのでしょうか。

 

親切に振る舞うことが、人間の自然な姿だからではないでしょうか。人を粗末に扱うというのは、本来の人間のあるべき姿ではないのです。

だから、意外なことを人はいつまでも覚えているのだと思います。「許す」ことにおいても、同じことが言えるのではないでしょうか。

 

人は自然のあらゆることに対して、それを受け入れ認めて来たという事実があります。そうしないと生きてはいけなかったからです。

人はすべてを許して、生きて来たとも言えます。なのに、どうして人間同士のことになるとすべてを許せなくなるのでしょうか。

あの人や、あのことを許さなくても別段、自分は生きていけると思っているからかもしれません。

 

そういう人は大きな間違いをおかしています。許さないとは、受け入れることを認めないと宣言したことです。

自分の中で、この「認めない」思いだけが刻み込まれます。つまり、いっさいを認めないことであり、自己否定していることと何ら変わらないのです。

相手にしたことが、そのまま自分に帰ってきて、自分に対してしたことになるわけです。

 

結局、人間同士のあいだのことも自然に対するのと同じように、すべてを許し、受け入れていくことが人間の本来のあり方だったのです。

そのことに気づいたいま、いま自分の中にある、これまでの「許せない」ことを手放すときにいるのかもしれません。

 

 

信じ続ける

 

どんなことを行うにしろ、またどんな事態になったとしても、いまの自分を信じ続けられるかどうか、それがいつも試されているように思います。

 

心の中を望ましいことだけで満たして行くには、どういうことに気を付けていけばいいのでしょうか。

まず、やることに対して自信をもつことが上げられます。

 

どんな状況に陥ったとしても、自分を奮い立たせる最良の方法は、自分を信じることです。これに勝るものはありません。

もし、いまが最悪で自分を信じることなど、とても出来ない状況だとしても、そんな自分でも良いところの一つや二つはあるはずで、そのことに気づかなくてはなりません。

 

日常生活での浮き沈みというものは、誰しもが経験するものであって、その程度や頻度に違いがあるだけです。

ですから思い通りにいかなくても気にせずにいることです。無理に明るく振る舞おうとしなくてもいいのです。

落ち込みたくなる状況をそのまま冷静に受け止めて、次に臨めばいいのです。

 

「明けない夜は無い」と言われるように、この世は明暗の繰り返しの世界だということを知ることです。

また「諸行無常」という言葉どおりに、この世のあらゆる物事は永遠には続かず、移り変わっていくものだということを受け入れることです。

 

現実の世界はそのようであったとしても、心の中で自信に裏付けられた動じない世界を築くことは、自分次第で可能だということも知っておいてください。