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自分の思うところ

 

正直なところ、自分の思うところのものを、必ずしも尊重して来ましたとは申せない気がいたします。

むしろ無視をして来ましたのが、大半でありましたようにも思います。

自分に自信が持てなかったからでありますが、そうは言いましても無視の出来ないことも何度かありました。

 

たとえば、食べ物に対する安全意識は人一倍に強く感じておりました。

野菜作りを始めましたときは、無農薬による有機栽培にこだわり続けていました。

パン作りにおきましても、ずっと無添加の天然酵母パンのみを焼いているわけです。

ときどき自分でも、なぜここまでこだわってしまうのだろうかと不思議に思ったりいたします。

 

また、普通の人なら読まないであろうと思われます本に興味を抱きまして、少々高くても手にしまして読み始めるのです。

一時期、古代の日本歴史に、はまり込みまして日本のルーツを探りますのに熱を上げていました。

 

学校で歴史を習いましたときには、まったく関心がなかったのにおかしなものです。

教科書に載ってはいない出来事や表に出ていない事柄の中に、もっと何か真実が含まれていますような気がしましてならないのです。

 

これは日本だけでなく世界の国々におきましても、過去におけます大半の史実の数々は捨て去られました形跡が残っています。

ですから、知らされていない事実は膨大でありますに違いないのです。

このブログを続けていますのも、思うところがありますからそれに従っているのです。

 

 

個は全体の縮図

 

なぜ、心を閉じてしまうのでしょうか。もうこれ以上は、そとの世界にかまってはいられない、受け入れられないと思ってしまうからです。

どうしてそこまで、しなくてはいけないのか、あるいはこんな好きでもないことをやりますのは、もうたくさんだと思うわけです。

 

好きか嫌いかに振り分けまして生きて行こうとします。個人的な意志を捨てていきます方向から自ら、はずれて行くつもりなのです。

これでは、またまだ個人的な執着が手放せない状態でありますのを認めなくてはなりません。

 

嫌がっています心に無理強いをいたすのは慎まなければならないからです。

未だ個の確立が成し得ていないことをここで率直に認めます必要があります。

 

そうしますと、これから改めて個の確立に向けましての軌道修正から行っていかなければなりません。

個を確立するとは、どういうことなのでしょうか。まず個別であります意味を理解していなければならないでしょう。

 

個別を重んじますとき、自己の思うところのものを尊重して行きます態度に揺るぎがありません。

つまり自己は他と違っていまして構いませんし、むしろ違って当然であると自覚しています。

しかも、根本におきましてはまったく同一でありますことや、個としましての自分というものが全体の縮図に過ぎないのも熟知しております。

 

 

心を開くことから

 

人の身に何が起きましょうとも、それはその人の問題で、自分には関係がないと思いたい気持ちから、知らない振りをしてしまうのではないでしょうか。

どうして、このように考えるようになってしまったのでしょうか。

 

スマホや24時間営業の店などの出現によりまして家族間のコミュニケーションする機会が減りました。

交通の発達によって、地域でのつながりも薄れて来ております。

また、核家族化によりまして先祖とのつながりも希薄になっていますのが、今の状況であります。

 

地域で、お互い助け合って乗り越えて来たこともなければ、一緒になって苦労して作り上げたという経験も見当たりません。

おじいちゃんやおばあちゃんから、どんな家系の家で生まれ育ったのかという話も聞いたことがないのです。

こうして、人とのつながりを強く感じます機会がほとんどなくなりましたのが、主な原因ではないでしょうか。

 

つながり自体は昔も今も変わらずにつながっていますが、自分がそれをどれほど感じ取れていますかどうかが問題なのです。

人とのつながりを取り戻して行かなくてはならないすのは、あくまでも自分の方なのです。

 

つながりに気づき、それを実感しますのが、なぜそれほど重要なのでしょうか。

たとえば、自分ひとりでは解決できない困難な問題にぶつかったとき、どう対処できますでしょうか。

もし周りとのつながりもなく孤立感に包まれていました場合、助けを誰かに求めたり相談したりすることさえ思い浮かばないでしょう。

悶々と独りで悩んだ末に、絶望におちいってしまうしかないでしょう。

 

では、どのようにしてつながりを取り戻して行きますれば、よろしいのでしょうか。

考え方を百八十度、変えてみましてはどうでしょうか。

人に何が起きましたときは、それは自分にも大いに関係があると考えますから、何とかして関わりを持とうとします。

そして、一緒になってその事実を突き詰めて行こうと、積極的に相手を受け入れまして心が開きますことで、つながりを実感できます。

 

 

自分を取り戻す

 

最高の人間について自由に想像し、それを理想として励んでみるのも有益だと思います。

しかし、究極の進化について正確に推し量るのは、よほど進化した人間でもなければ、できるものではなかったのです。

 

それよりも、努力すれば解決できる、目の前の問題に、もっと目を向ける必要がありました。

いま、かかえている個人の問題から始めて、地球全体の問題にまで視野を広げてみるという意味です。

 

たとえば、いま個人レベルで気をつけていますのは、①ブログ更新を継続していく、②日々仕事の改善をはかる、③家族のコミュニケーションを深める、などが上げられます。

そして課題となっているのは、毎日の生活で、どのようにして黙想を定着させていくかです。

 

黙想する重要性については、すでに著名な方々が、各方面で指摘されています。

ここで申し上げたいのは、「自分自身」を取り戻すには、黙想が最良の方法であるという点です。

 

結局のところ、個人レベルで抱えているのは、いかに「自分自身」と根気よく向き合っていくかという問題です。

そして、つぎの言葉が現実味を帯びて、よみがえって来ました。

「自分自身に連れ行ってくれる道をたどるほど、うとましいことはありません!」

このうとましく思っています自分と、今後どのようにして折り合いをつけますか、それが最優先の課題であります。

 

 

当たり前のこと

 

ある女性から「一日だけ、はさみを貸してください」と言われて、手持ちのはさみを貸しました。

一日ぐらいなら、それがなくても別にどうってことはなかったのですが、二、三日たってもはさみが返ってきません。

さすがに不便を感じることがあり、貸した人に返してもらわなくてはと思っていました。

 

やっと、その人に聞く機会がありましたので「はさみは、どうしましたか?」とたずねたところ、

「忘れていました。返そうと思っていたのですが…」という答えでした。

これを聞いて、その人に対してどんな印象を私が持ったのかは、想像がつくと思います。

 

この人は、自分の言ったことでさえも、守れないのだ。借りたものは返すのが当たり前、と思っているだけで、なかなか実行しない人なのだ。

すぐ返さなくても、貸した人は別段、困ることもないだろう、などと自分勝手なことを考えている人だ…。

 

ちょっとしたことをきちんと守る習慣ができていない人は、いくら着飾ってみても、人から好印象を持たれることはまずないでしょう。

本人がそのことに、いち早く気づいて、心を改めていけば、何の問題もないことです。

その女性は、はさみをすぐ返しに来たので、相手から言われる前に、自分から返すことを心がけるように、と伝えました。

 

ちょっとした約束ごとなのに、人はどうして守れなくなるのでしょうか。

おそらくそれは、子どもの頃には褒めてもらえたのに、大人になってからは、ちょっとした約束ごとをしっかり守り通してきたとしても、それは当たり前のことなので、高く評価してくれる人や感謝してくれる人がいなくなったからではないでしょうか。

もしそうなら、誰も褒めてくれなくても大丈夫です。

 

この次から自分が、当たり前のことを当たり前にやれたときは、自分で自分を、うんと褒めて上げればいいのです。

それじゃー、さびしいですか。

でも、当たり前のことを、当たり前にやることこそ、ほんとうは一番むずかしいことを、ほとんの人は知らないのですから、

このことの方が、よほど悲しいのではないでしょうか。

 

 

許すということ

 

許すということについて書いてみたいと思います。すると子どもの頃のことを思い出さないわけにはいきません。

たぶん、この何倍も許してもらっていたはずと思いますが、許してもらえなかった自分のことが忘れることが出来ず、

いざ自分が許す立場に置かれるとなかなか人を許すことが出来ないものなのです。

ここで、よくよく考えなくてはならないのです。

 

自分が許してほしかったときに許してもらえなかった、そういう体験があるからこそ、より寛大になり率先して人を許さなくてはならないことを。

いつも相手の身になって人と接するようにと言われるのは、いつか自分も逆の立場で相手から親身になって世話を受けるのであり、そのことへのお返しをすることでもあるのです。

 

人は親切にされたことは忘れやすいものですが、粗末に扱われたことはいつまでも根にもったりして覚えているものです。

ここでまた、よく考えてみます。なぜ人から親切にされたことは、忘れやすいのでしょうか。

 

親切に振る舞うことが、人間の自然な姿だからではないでしょうか。人を粗末に扱うというのは、本来の人間のあるべき姿ではないのです。

だから、意外なことを人はいつまでも覚えているのだと思います。「許す」ことにおいても、同じことが言えるのではないでしょうか。

 

人は自然のあらゆることに対して、それを受け入れ認めて来たという事実があります。そうしないと生きてはいけなかったからです。

人はすべてを許して、生きて来たとも言えます。なのに、どうして人間同士のことになるとすべてを許せなくなるのでしょうか。

あの人や、あのことを許さなくても別段、自分は生きていけると思っているからかもしれません。

 

そういう人は大きな間違いをおかしています。許さないとは、受け入れることを認めないと宣言したことです。

自分の中で、この「認めない」思いだけが刻み込まれます。つまり、いっさいを認めないことであり、自己否定していることと何ら変わらないのです。

相手にしたことが、そのまま自分に帰ってきて、自分に対してしたことになるわけです。

 

結局、人間同士のあいだのことも自然に対するのと同じように、すべてを許し、受け入れていくことが人間の本来のあり方だったのです。

そのことに気づいたいま、いま自分の中にある、これまでの「許せない」ことを手放すときにいるのかもしれません。

 

 

より強くなれる人

 

悩みに圧倒されてしまい、ほかのことに手がつけられない状態になっている自分に気づいたら、どうすればいいのか、を考えました。

いったん、ほかのことにはいっさい目もくれずに、徹底して悩んでみることをおすすめします。

悩み抜く決意をしてみてください。

そうすることで、徐々に悩みというものの実態やその本質のようなものが、何となく見えて来るようになると思います。

 

一度、声に出して、自分はどういうことにどう悩んでいるのかを言ってみてください。

うまく言う必要はなく、出てくる言葉を声に出し、何度も言い換えて言ってみます。

こんどは、なぜそのことで自分は悩んでいるのか、理由を言ってみます。

 

次に最悪の事態になったとして、自分はどこまでなら受け入れられるか、勇気を出して言ってみてください。

そこまで出来るなら、全部引き受けてみるぞと、言葉にして言うだけでいいので言ってみましょう。

よくぞ言いきったと自分を褒めてあげてください。

 

ここまでやれたら、だいぶ気持ちが整理できたのではないでしょうか。さいごに次のことを考えてみてください。

最悪な状況にならないように、いま自分に出来ることがいくつかあるはずだと。

 

何でもいいので、それを10個以上リストアップしてください。

そのうち、すぐやれるものから、ひとつずつ実行してください。悩みに注いできた力を、生きる力に変えていきます。

 

それから、もうひとつ提案したいことがあります。

とことん自分のことで思い悩んだあとは、一旦これらの悩みごとをすべて頭から追い出してください。

そして今度は、どれだけ他者のことを思えるかを試してみます。

 

自分と関わっている人たち、一人ずつ思い浮かべて、その人にしてあげられること、喜んでもらえることは何か、考えていきます。

するかしないかは別にして、とにかく些細なこと、ちょっとしたことでいいので考えてみるのです。

 

人間としての器は、どこまで他者のことを自分ごとのように思えるか、それで決まるといわれています。

自分の器を大きくすることによって、これまでの悩みをぜんぶ自分の強みに、転換してしまう意気込みで明日を迎えましょう。

自分を許す

 

この世界というのは、目まぐるしく移り行くものであって、何ひとつ永遠に続くものは何もないことに気づきます。

また、人生の運不運は予測がつかないということを教える「塞翁が馬(さいおうがうま)」という中国の故事もあります。

 

いい時が来るときもあれば、そうでないときもやって来るもので、その度に一喜一憂するのではなく、

現実とはそういうものだと割り切って、それらが過ぎ去っていくのを見ていればいいということです。

 

今日、そのことを試されることがありました。

いつも手伝ってくれている人が、商品に付けるシールを張り間違ってしまったのです。

そのことに気づいたのは、出先に着いたあとなので張り替えることもできず、持ち帰る羽目になりました。

事前に自分がチェックしていれば、すぐ張り直せたことであり、それを怠ったのです。

それにもかかわらず、相手の間違いを指摘して気を晴らしてしまいました。

 

忙しさに振り回されて、冷静さを欠いていた自分の行動に気づきました。

相手の間違いだけを指摘し、自分のことは棚に上げたことに嫌気がさして来ました。

そのときです。

責められ落ち込んでいる自分を受け入れて、やったことを許した途端に、嫌悪感から解放されて重かった心が一挙に軽くなりました。

 

失った自己信頼を取り戻すには、起こったことや、やってしまった自分を潔く認めて、すべてあるがままを許すことだと実感しました。

それでも許すことが出来ないときは、どうすればいいのか。そういう出来ない自分を心から許すことなのです。

許せないことで、どれほど自分を痛めつけているか、そのことに一刻も早く気づかなければなりません。