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「絶大なる信頼」を身に付けるには

ジョフ・コルヴアンは『究極の鍛錬』という本のなかで、

世界のトップクラスに達するために必要な「膨大な努力をさせるものはいったい何か?」と投げかけています。

そして、その答えは次の2つの問いに、どう答えるかにかかっていると書いています。

「本当に欲しいと思うものは何か?」

「本当に信じているものは何か?」

 

結局のところ、自分が多大な努力を行えるかどうかは、自らを動機づける力をどれだけ身につけているかで、ほぼ決まることです。

つまり、向上しようという意欲をどのように持ち続けて、未熟な自分を何とかして引き上げようとする思いをどう維持していくか?

それがまさに成就の決め手になるということです。

 

少なくとも、成長する喜びが自分の原動力となり、投じた努力が報われ、理想とする結果は必ず得られる、と断言できるほどの自己への『絶大なる信頼』が欠かせないことに気づきます。

 

では、こうした『絶大なる信頼』を、どうすれば身につけられるだろうか?と思いめぐらすと、いちばん身近なところにその答えがありました。

自分が決めたことをきちんと守るなど日々の地道な行動を通して、生活の中で培っていくものだということです。

 

 

お金との付き合い

以前の私はお金の貸し借りに嫌悪感をいだいていました。お金の貸し借りはもめ事の種になり絶対してはいけないと親から聞かされていたからです。

今は投資という考え方が受け入れられるようになって、お金の貸し借りについても柔軟に考えられるようになりました。

 

お金とは、ある種のエネルギーとも言えると思います。ただの紙切れなのですが、人間社会がそれに価値というエネルギーを与えているのです。

今ではお金は価値を産み出す原動力となり経済の推進力にもなっていますが反面、反社会的な行為も誘発しています。

 

最初はモノのやり取りの仲介役としてお金が使われ始めましたので、その本来の役割である価値やエネルギーの交換を促進するツールとしてとらえておく必要もあるように思います。

 

 

うちに宿る力

 

自分の中に、ある力というものを感じるときがありました。自分にはその力こそが、自分のすべてであるような気がしました。

自分とは何だろうか、その力のことなのだろうかと思いました。

 

例えば物を見ている自分や考えている自分とは、物でもなく考えでもなくて、この肉体でもないということはわかります。

自分がここにいることは確かなのですが、見えず聞こえず触れることもできないそれは、自由に動かせる肉体を通して存在を示すことはできるのです。

 

車を運転しているとき、ふと気づいたことがあります。自分の車をどうのように運転するかは、自分で自由に出来ます。

しかし前を走っている車は、自分で自由に出来るものではないという、ごく当たり前のことをつい忘れるものです。

 

自分がどんなに急いでいたとしても、それは前の車や周りには全く関係のないことであるのに、道を譲ってくれないことにイライラし、不平不満をぶちまけるのです。

自分で自由にコントロール出来るものと、そうでないものとを識別することさえ、いまだ出来ていないということです。

これは元はといえば、自分の原動力の源である、ある力に気づいていないから、こういうことが起きるのだとわかったのです。