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経験からの学び

 

魂からの語りかけは感情と思考、経験を通じて絶えずあったのですが、それらに耳を傾けて来なかったのではないかという指摘でした。

確かに気づかないで無視して来ましたのは、全面的に認めます。せっかく経験した内容を、自覚さえしていない場合も多々あったように思います。

 

本気になって経験から学んでいましたら、より高い境地に立って物事に対処できていましたに違いありません。

例えばいま、いろいろな制約の下で生きております。ここからどのようなメッセージをくみ取ればいいのでしょうか。

 

そう簡単には思い通りに事が運ばないというのは、裏を解せばもっと深く考える機会を与えてくれていると思えます。

違った角度からの思考を促すメッセージと受け取れます。あきらめずに、どれだけの強い意志を持って臨んでいるのかを試されているのかもしれません。

 

それでは自分が完璧ではないという体験を通して、学べます点はどんなものがあるでしょうか。

まず、限られた範囲の知識と思考パターンの中で、どのような最大限の成果が得られるかを考えて行けばいいと言えます。

 

次に、その成果を得るためにはどうすればいいのか、持てる知識を総動員しまして実行項目を練り上げます。

そして、その中ですぐ取りかかれるものから順に実践します。もしも成果が得られなかったときには、最初からやり直してみます。

 

以上のように考えてみましただけでも、経験から学べるものは実に多いというのがわかります。 ※参照「神との対話1」

 

 

真実は感情の中に

 

魂とコミュニケーションするには、どうすればいいのでしょうか。「神との対話」によれば、魂は感情を通して語りかけていると言います。

自分が感じています、その中に多くの真実が含まれていると言うのです。

 

ではいま何を感じているのかを探ってみますと、特にこれといったものは見当たりませんでした

しかし、先ほど仕事のことを考えていましたとき、落ち着かない感じがしていました。

 

その原因を考えてみますと、商品が売れ残ったという現象に対して不安を感じていました。

お客さんに気に入ってもらえなかっただけですのに、どうしてそんなに深刻に受けとめるのでしょうか。

 

仕事は順風満帆でなければ、食っていけないのではないかという恐れを持っていました。

でも実際に食っていけないほどに困ったことは、いままでに一度だってなかったのにです。

 

もし、こうした感情が魂から来ているとしましたら、何を伝えようとしているのでしょうか。

売れ残らないほどに、もっと仕事に打ち込めと言うメッセージなのでしょうか。

 

あらゆる努力を傾けて、これ以上は考えられないほどの緻密さで仕事をしているかと問われれば、もちろんとは言い切れず、そういう意味では激励であります公算が大です。

ここまで来まして、ようやく魂の真意を受け取ることができたように思います。

 

 

すべてを思う

 

なぜ、みんなのことだけを考えて行くのでしょうか。それがほんとうの自分と同調できます領域に、もっとも近いからではないでしょうか。

個別の意識から抜け出しまして距離を保つには、最良の方法と思われるからです。

 

それは親元を離れた自分が親を思い、慈しむ心を呼び覚ましてくれるようなものなのです。

みんなを思い描こうとしますと、そのみんなから祝福を受けているように感じます。

しかも、ずっとこれまで祝福されていましたのに気づかされます。とても癒やされます。無条件の愛とは、このことでありました。

 

自分とは、いったい何だったのでしょうか。そこでは自分というものが、どこにも見当たらないのです。

しかし現実の中に意識を戻しましたら、自分といういつもの感覚にいるのです。

個別意識と全体意識の違いを垣間見ましたように思えます。ほんとうの自分は、全体意識とつながっていますのが理解できたような気がします。

 

意識面でみんなとつながっているとは、こういうことでありました。

そのつながりを無視しますことで、個別意識が表れて来るのでした。出来るだけ、みんなに意識を合わすように心がけます。

どちらの意識に焦点を合わせているのか、それを意識しておくのが重要なことのように思われます。

 

 

観察に専念する

 

主に黙想を通しまして、自分を観察するようにしています。

当初は思考します自分と観察しています自分とを、同時に共存させますのがきわめて困難でありました。

ある考えに、はまりきってしまうか、あるいは観察の視点をもつときかの、どちらかでありました。

 

ごくたまにでありますが、想念をいだいていますところを、離れて見ている状態になれる瞬間がありました。

このまま時間をかけて行っていきますと、観察者の目で自分の思考や感情を追って行けそうに思います。

 

ここで注意しなければいけないことがひとつありました。観察する側に立った自分は、ただそのことだけに専念し続けます。

このとき、決して思考をコントロールしようとしてはならないのです。

あるとき誤ってそれをやりまして一瞬、頭がおかしくなって混乱してしまいました。もう二度とやるまいと思いました。

 

自分の心をただ見つめるだけに集中しておりますと、時間の経つのがとても速いように感じます。

そこで次からは、思考や感情をどれだけ詳細にわたって眺められるのか、そこに気をつけながら進めて行きましたら、もっと時間を有効に使えそうな気がいたします。

 

 

最大の関心事

 

時間管理術についての動画を、続けて3回見ました。最初に見たときは、わからないところがいくつもありました。

ところが2回、3回と見ますたびに、それまで気づけなかったところに気がつきまして、先ほどまでわからなかった内容がようやくわかりかけて来たのです。

続けて3回見るという効果をまざまざと実感できました。つぎの質問がポイントでありました。

 

「なぜ時間を管理する必要がありますか?」

もちろん、それは時間を無駄にしないためです。だれもが無制限に時間を与えられていません。

限られた期間のなかで、最短最速で目標を達成したいと思いますのが、ごく当たり前です。

時間をうまく管理しまして何とか、無駄なときをなくそうと努力いたします。

 

しかし、それができるかできないかは、目標達成までの長期間にわたって、どれだけ情熱を持ち続けられるかどうかにかかっているのです。

大部分の人は、効率のよい時間管理が未だできていないのが実情です。

 

ですから注意点としまして、立てる目標は、自分が一番情熱の持てるものでなければならないのです。

あまり興味もなく、好きでもないことをやり続けて行きますのは、非常に苦しくて難しいです。ここで失敗してしまうケースが非常に多いのです。

 

もし、それが最大の関心事のことでありましたら、そこに無駄なときが生じる余地はありますでしょうか。

多少の困難に出合いましても、少しの努力で難なく切り抜けて行けます。

言われなくとも頭は四六時中、どのようにすればうまく行くのかを考えていますので、いろいろなアイデアも生まれて来るのです。

ここでは時間管理の出る幕がありません。

 

そうした状況の中では、参考となる動画や資料などを立て続けに3回読みますことも、さして苦にはならす、

理解の度合いが格段に深まって行きますのも、当然の成り行きと言えましょう。

 

 

自分を観察する

 

今すぐ取りかかれる問題として、黙想を生活の中でどのようにして定着させるかです。

時間的には夕方の30分を確保しています。

 

いま自分が行っている黙想をかんたんに紹介しますと、目をつむり座ったまま、身体を動かさずに心を静めていきます。

そして浮かんでくる考えや情景などをただ観察して行くだけです。

 

以前は30分以上、黙想しておりましたが、最近は15分がようやくという状況です。

時間が短くなったのは、始める前に終了時間を特に設定せず、ある程度できたら、そこで切り上げるようにしてからです。

黙想をうとましいと思っている自分の声に従い、それを許して来た結果でもありました。

 

30分間の黙想のときの効果は、それほど大きな変化はなかったように思います。

しかし、一時間以上の黙想を提唱されていますのに、30分ぐらいでは、成果が出ないというのは当然なのです。

ここまで考察して来まして、積み上げる重要性を思い起こすに至りました。

 

これまで黙想を行うことに関しては、途中でやめたくなってきてもやり通す、そんな意気込みを欠いておりました。

つぎからの黙想では、30分間は続けていきます。それを定着させてから、一時間に戻して行く予定です。

自分の思考や行動などを観察する重要性については、日をあらためて考えてみるつもりです。

 

 

当たり前のこと

 

ある女性から「一日だけ、はさみを貸してください」と言われて、手持ちのはさみを貸しました。

一日ぐらいなら、それがなくても別にどうってことはなかったのですが、二、三日たってもはさみが返ってきません。

さすがに不便を感じることがあり、貸した人に返してもらわなくてはと思っていました。

 

やっと、その人に聞く機会がありましたので「はさみは、どうしましたか?」とたずねたところ、

「忘れていました。返そうと思っていたのですが…」という答えでした。

これを聞いて、その人に対してどんな印象を私が持ったのかは、想像がつくと思います。

 

この人は、自分の言ったことでさえも、守れないのだ。借りたものは返すのが当たり前、と思っているだけで、なかなか実行しない人なのだ。

すぐ返さなくても、貸した人は別段、困ることもないだろう、などと自分勝手なことを考えている人だ…。

 

ちょっとしたことをきちんと守る習慣ができていない人は、いくら着飾ってみても、人から好印象を持たれることはまずないでしょう。

本人がそのことに、いち早く気づいて、心を改めていけば、何の問題もないことです。

その女性は、はさみをすぐ返しに来たので、相手から言われる前に、自分から返すことを心がけるように、と伝えました。

 

ちょっとした約束ごとなのに、人はどうして守れなくなるのでしょうか。

おそらくそれは、子どもの頃には褒めてもらえたのに、大人になってからは、ちょっとした約束ごとをしっかり守り通してきたとしても、それは当たり前のことなので、高く評価してくれる人や感謝してくれる人がいなくなったからではないでしょうか。

もしそうなら、誰も褒めてくれなくても大丈夫です。

 

この次から自分が、当たり前のことを当たり前にやれたときは、自分で自分を、うんと褒めて上げればいいのです。

それじゃー、さびしいですか。

でも、当たり前のことを、当たり前にやることこそ、ほんとうは一番むずかしいことを、ほとんの人は知らないのですから、

このことの方が、よほど悲しいのではないでしょうか。

 

 

未知の体験

 

自分には簡単に解決できそうにない問題に出合った、そのときこそ、自分の思ってもみない底力が引き出せるチャンスかもしれない、と考えてみてはどうでしょうか。

人の助けが必要なときもありますが、どうしても自力で困難な状況を切り抜けなければならないときもあるものです。

 

いつ、そんな危機に遭遇するのか、まったく予測がつかないので、普段から努力を要するようなことにチャレンジして、自分を鍛えておくことが重要かもしれません。

こうした習慣を身に着けていれば、いざというときに素早く思考回路が働いてくれて、苦境から脱出する手助けになってくれるものです。

 

人間が本来、持っている能力の大部分は、まだ使われていないと言われています。

その未使用の領域から少しでも力を引きだせれば、いままでできなかったことができるようになるかもしれないのです。

 

そうした潜在能力を引きだすためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは興味を持っていることで、何か新しいことを始めてみることだと思います。

そのときに注意することは、途中でやめたくなったとしても我慢して続けることです。

 

未知の体験を始めたのですから当初は、わからないことや慣れないことなどで、つまずくことが多いものです。

そこを耐えて行き、決してあきらめたりはしないことなのです。とにかく続けて行くこと、積み上げて行くことです。

 

そうすると徐々に、自分に力がついて来ることに気づけるはずです。これまでのことを思い返してみてください。

いま自信を持ってできると言えるものでさえ、かつての自分にとっては、まったく未知の分野のものであったのではないでしょうか。

いままでにも、何度も新しいことに挑戦してやって来たのです。ですから、今度もやれないはずがないのです。