「何があっても裁かない」を実践する難しさを、改めて実感する機会が
ありました。
相手のちょっとしたことに「こうしたらどう?」と言うのも、広い意味では
裁いていることになるのです。
昨日、娘が旅行から帰って来て、荷物が玄関脇に置いたままになっていた
ので、言い放ったのです。
「荷物をさっさと片付けたら、どう!」と。
理想は、そうした状態をも許すことでした。
それが私の本来、取るべき態度であったのです。
後になって、そのことに氣づく自分でした。
もちろん普通に考えれば親の勤めとして、片付けるように言うのは何も
間違ってはいないでしょう。
しかしこの場合、躾には当てはまらないのです。
相手がやるべきだと思うことを、相手がやっていなかったので、そのことを
裁いていたのです。
だから、私はやってしまったと思ったわけです。
どうしてこうも簡単に、相手を裁いてしまうのでしょうか?
その衝動は、自分でも氣がついていないほど、心の奥深くに根付いている
とも言われています。
考えて見れば、これまでに人からさんざん「許しはしないぞ」と言われ続けて
来た経緯があります。
何度もそう言われている内に、自分でも自分を許せなくなってしまうものです。
そして自分を許せないことの結果を、そのまま相手にも投影させてしまうのです。
それで人のことをも許せなくなって「許しはしないぞ」となるのです。
この悪循環を断ち切るのは、「許し」だけなのです。
いま何があっても許すことに挑戦しているのも、そのためでもあるのです。