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無害性を引き出す

 

無害性を表していきますのに、自分に非があります場合はもちろん、相手に非がありましても、それを基に

争ってみましたり、とがめましたりは決してするまいと、誓っておきますのも非常に有効であります。

 

先日、ある取引先から賞味期限切れの品が届きましたので、電話で問い合わせてみました。

ただ事実だけを述べました後に、こちらの希望を伝えましたところ、早速引き取って新しい品をお届けしますとの返答でした。

 

相手も自分も、とても気持ちよく応対ができました。

そこに抗議や釈明、苦情めいた話などが一切なかったことによりまして、無害性を引き出せました。

 

考えてみますと、人はどうして害を与え合うような生き方を選んでしまうのでしょうか。

その理由としまして、ストレスから来る単なる気晴らしでありますとか、やられましたらやりかえすという論理などが上げられそうです。

 

つまり、いずれ自分に降りかかって来ます災難を、自ら作り出しているに等しい行為を、平気でやっているのです。

自分が何をしていますのか、全く見えていない状態なのです。

少し冷静になって考えてみれば、わかりそうなものですのに、それができないというのはどうしてなのでしょうか。

 

ひとつ言えますのは、自分の言動を見つめる目を、普段から養っていないからではないでしょうか。

こうした状況を考えますと、内側を観察する視点を発掘して行きます重要性と、それを開発して行きます必要性が増して来そうな気がします。

 

 

思いたいように思う自由がある

まわりの人から自分がどう思われているのかを絶えず気にしながら生きて来て、本当にしたいことは何も出来ずに終わってしまうところでした。

例え、自分がどんなことをしたとしても、人は思いたいように思うものであること、自分がやりたいことをやっても変わらないと気づいたのです。

 

だったら人と争うことは金輪際やめて、人には思いたいように思ってもらって自分はしたいことをやって行けばよいと思ったのでした。

自分と同じように人がどう思おうとそれを認め尊重して行けばいいのです。

 

 

自分の人生に責任を取る

ダン・ミルマンの本「癒しの旅」(ピースフル・ウォリアー)の中に、次の言葉があります。

『自分の人生に責任を取れるようになる』

例えば、暴飲暴食をして短命に終わったりとか、最後には全ての責任を取る羽目になると思うのですが、早い内から責任ある習慣を身に付けたいものです。

 

それは一本筋の通った生き方をすることであり、すること、しないことが明確で迷わない生き方でもあると思います。

人と争うことはしないとか、間食はしないとか、かつてそれをやって来て弊害を知っているからこそ行えることかもしれません。

何か1つからでも、責任を取る生き方は今すぐ始めることができると思うのです。