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自分に帰る

 

ヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」は、「自分に帰れ」ということを伝えたかったのだと思いますが、なぜ自分に帰る必要があるのか、考えてみたいと思います。

 

「デミアン」が書かれた年代では、第一次世界大戦が起こっています。

戦争というものは、いままで生きてきた世界が崩壊したようなショックを人々に与えるのではないでしょうか。

 

著者は、基盤にしていた現実の世界が目の前で崩れ去り、その世界をより所にしていた自分とは、いったい何だったのかという内面の叫びで、何か大きな間違いを自分がして来たことに、はじめて気づかされたのではないかと思うのです。

そして長い神経症とその治癒の解明をへて、人間の本質へとつながる自己探求の道に、活路を見出すことになります。

 

この本で、もうひとつ感銘をうけたのは、主人公ジンクレールにさまざまな指南を与えつづけたデミアンという人物は、実はジンクレール自身であったということです。

自己を導いてくれるのは、自己自身しかいない、という最後のメッセージはとくに印象深いものでした。

 

他にも教えられることが、この本にはたくさんありますが、ここまでで学んだことをまとめてみました。

人間として生まれてきたのは、人生という航海をとおして自分自身に、少しでも近づけるように努力するためであり、人間が人間に完全になることが最終的な目標であるということです。

 

自分が帰るべきところは、自分自身にしかないことを心にきざんで、百パーセント自分自身になることをいつも意識して、これからの半生を生きていくことが大切だということです。

 

 

うとましい道

 

百パーセント自分自身になりきった人間なぞ、いまだかつて存在したためしはない

これは、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」(註)という本の中で語られる言葉です。

この本には精神性を高めてくれる興味深い内容が随所にあり、人生を真に支えてくれる数少ない作品のひとつではないかと思います。

 

この本でもうひとつ紹介したい言葉は、

人間にとって、まったく何がうとましいといって、自分を自分自身に連れて行ってくれる道をたどるほど、うとましいことはないのだ

です。

 

自分自身に連れて行く道とは安易な道のりではなく、様々な葛藤や悩みをくぐり抜け自己探求に取組んで行く道のことではないかと思います。

最後はその道をたどるしかないのはわかっていても、ずっとそれから距離をとっておきたいほど、うとましい道なのです。

 

なぜ、うとましく思うのか。

どこかわからないところへ連れて行かれるのではないかという、不安が心のすみにあるからなのかもしれません。

未知のことに対して、不安になってみたり恐れをいだくというのは、仕方ないことです。

 

自分自身に連れて行ってくれる道に、喜び勇んで歩む気が起こらないのも当たり前といえます。

逃げ出したい心境の自分をなだめすかしながら、うとましい道をたどるように自分を鼓舞していくのが、やっとのことではないでしょうか。

 

この「自分自身に連れて行く」という「自分自身」とは、思い悩む自分とは違い、いっさい迷いのない本来の自分自身のことです。

 

(註:浜川祥枝訳 1963年10月12日初版 中央公論社)