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最高の人間

 

人間に与えられた役割とは何なのか、自分個人のことを考える以前に、誰もが一度は問い返したことがあるのではないでしょうか。

自由気ままに振る舞っていいのだろうか、決してそうでないことを、人は心の奥底では知っているのだと思います。

 

だから、やりたい放題のことをやっている人を見ると、あの人は間違っていると思うのです。

好き勝手に自分がやっているときには、それになかなか気づかないもので、人から言われてハッと気がつくものです。

 

人間には、やっていいことといけないことの節度をわきまえる能力が最初から備わっているものだと思います。

それなのになぜ、そこから逸脱してしまうのか、とても不思議なことだと思ってしまいます。

おそらく、それは自由意志というものをはき違えているからなのでしょう。

 

ある意味では確かに他の生物とくらべて、人間に与えられている自由の度合いは格段に大きいものがあります。

それをいいことにして人間は何をしてもいいのだ、という思い上がった考えが芽生えるのかもしれません。

 

人間にしかできない、あることをやり遂げるために自由ないし自由意志というものがあるのだと気づくべきでしょう。

しかし、自由意志といえども無制限に許されるわけではないはずです。この自由意志とは、何なのでしょうか。

 

仮に、どんな強制があったとしても最終的に、自分が行う「選択の自由」のことではないかと思うのです。

地上のあらゆる生物の頂点に立つ人類は、ある重大な役割を担っていることだけは確かです。

個人個人の役割というものはすべて、この人類に課せられた役割の延長線上にあるものだと言えます。

 

もし延長線上になければ、それはその人の自己満足でしかないものです。自己満足のどこがいけないのか。

人生を単なる自己満足だけで、終わっていいのかどうかを自分に問いかければわかることです。

 

人間に与えられた役割とは、いったい何なのでしょうか。いまの段階で言えることは、考えられる最高の人間になる、ことではないかと思います。

 

 

全うする

 

「自分は、〇〇しか出来ない!」という言葉は、良くないという意味で使われることが多いように思います。

でも、それしか出来ないということは、それだけは出来ると言っている訳ですから、むしろ喜ばしいことではないでしょうか。

ひとつのことをやり遂げていくということは、それ以外のすべてをあきらめてこそ、はじめて出来ることなのです。

 

専門バカとか、つぶしがきかない奴だとか、いろいろ陰口をたたかれたとしても気にせず、恐れる必要はまったくないといえます。

それしか出来ないところまで達するというのは、とても大変なことであり、全うして行くこと自体なかなか出来るものではないのです。

 

映画「鉄道員(ぽっぽや)」を見ました。

定年退職を目前にした主人公は、鉄道の事しかできないと言いつつ、先のことを心配するより、いまの仕事をともかくも全うしようとするのです。

鉄道はこれからの日本を引っ張っていくのだという父の言葉を、ひたすら信じ、「ぽっぽや」として生きて来た自分に悔いはないと言う。

好き勝手なことばかりやって来たのに、みんな良くしてくれる…自分はホントに幸せ者だと、胸いっぱいにして語るシーンは泣けました。

 

赤字路線の廃止や時代の流れで、あったものが次々と消えていく中で、いつまでも残るものがあるとすれば、それはそこで生きた人間の生き様であり、その思いではないでしょうか。

それがこうして語り継がれ、私たちの思い出として記憶にしっかりと刻まれます。

 

自分自身もそうなのですが、人は何よりも自分の人生を全うしたくて、人の全うした人生やその生き方に感動し、共感するのだと思います。

 

人とどう関わって行くか

 

例え自分1人でどんなことが出来たとしても、そこには自己満足があるだけで、真の感動は生まれて来ないと思います。

人は他者と一緒になってやり遂げた時とか他者と共有し合えた時に大きな喜びを感じるようにできているように思われます。

 

また人は、人との関わりの中でしか成長できず、それは他者を鏡にしてしか自分を知り尽くすことができないからだと思います。

結局どんな人生にして行くかは、どういう人とどう関わって行って、自分はどう変わって行きたいのか、ということでもありました。

 

 

偉大であることは誤解されること

自分にとって偉大であるとはどういうことかと思いめぐらせると、やれそうもないことをやり遂げることだったり、途方も無いことをやり遂げたというイメージが浮かびました。

これまで自分には偉大ということには全く縁がない人間だと思っていました。

しかし凡人でもひょっとして偉大なことをなし得るのは可能かもしれないと思えるようになりました。

例えばどんな小さなことでもそれをやり続ける、これを確実に行なうだけで気がついたら大変なことをやっていたとわかる日が来るのかもしれません。

もちろんこれはまだ憶測ですが自分で試してみる価値はあると思ってやっているところです。

 

 

自己の基準に従って責任を果たす

どういうことであっても、それなりの自分のここまではという基準のようなものを、臨む前とかやってる中で無意識にもっているものです。

私も遊びでも仕事でも取り組む時には、責任を果たすというレベルに行かなくても満足できるところまでは何とかやろうとそれなりに努力して来たように思います。

 

しかし自分にとって大事なことに取り組む場合には、人から課せられた基準以外に自分独自の基準となるものを持ち、その基準を忠実に守っていく姿勢がやり遂げる上でなくてはならないものだと改めてわかりました。

自分は鍛えられその手応えを感じながら、それが次への励みにもなるのです。