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やれる範囲内で

 

もっとも成長を遂げました段階にいますのがいまの自分なのですが、何とも心もとない心境におちいってしまいがちです。

例えば、いま感じています大切なことを書こうとしましても、なかなか言葉が浮かんで来ないのです。

 

着実に進化の道を歩んでいるのでしょうか、という不安がよぎって来ます。

しかし、この「着実に」というのが、ある意味でくせ者かもしれません。

 

人生は一直線に進んでは行かないのは、少し考えてみればわかりそうなものです。

実際、人生は紆余曲折の連続でありますのが実情なのです。

 

あの世はもちろんのこと、この世でさえも、わからないことだらけなのですから、手探りで進みますしかありません。

いくら頑張ったとしましても、いまの自分がやれます範囲内のことしかできないという気づきに至ってようやく落ち着くのです。

 

 

霊的成長に専念

 

人間の霊的成長にとって、この地上世界はどのような役割があるのでしょうか。

ある意味では、霊的成長しますのに、これ以上の難しいところはないと言えるほどの場を、人間のために用意されたかのようです。

 

そこで生まれ落ちてから、その大変さや苦しさを味わう中でこそ、魂は磨かれると言われます。

簡単に行かないからこそ知恵を絞り、あらゆる努力を傾けて切り抜けて行こうとするのです。

最後まで決してあきらめずに自分のやれるだけのことを行う、これが大切でありました。

 

成長を妨げるものはことごとく捨て去り、別にどうでもいいものはすべて退けて行かなければなりません。

そして一番大事な霊的成長に専念する日々を確立して、歩んで行きますのが地上人生の唯一の目的でありました。

 

 

あるがままを受容

 

以前から家庭セールスに来る人たちに、誠実な態度で接するのは難しいところがありました。

今回も無愛想な対応をしまして、後で余りいい気持ちがしませんでした。

 

それから今度は、ごく親しい人とのやり取りのときです。

会話がはずんでいたのですが、つい相手の生活態度に自分の自説を押しつけるような口調で言ってしまいました。

 

この二つの出来事を振り返ってみまして、利他愛の精神をどのように表していけば良かったのかを考えてみました。

取って付けたようなことを言うよりも一番に、相手のありのままを受容することが大事なのだと理解できたのでした。

 

例えば、セールスの人に対しては以下のようなことぐらいは言えたはずなのです。

「寒い中をお疲れ様です。あいにくですが、間に合っていますのでお引き取りください。ご苦労様でした」と。

 

 

毎日、実践の場

 

自分に対して、こんな疑問が湧きました。唯一の霊的成長をめざして実践しているでしょうか。

それで霊的成長とは何なのかを、改めて考えるようになりました。正直なところ、まだまだわかっていないのが実情であります。

 

それでも一つだけ浮かんで来ました。実践しますことで確実に霊的な成長につながりますのが、利他愛という行為です。

しかし知っているだけでは、どうしょうもないのにも気づきます。これをどのように実践して行きますかが、いまの課題でありました。

 

利他愛を生かせます場をまず見つけます、そう意図することから始まるのだと知るのです。

自分は何も求めずに相手に与えることだけを求めますが、そのように行うと意図するのは、何もしないときよりも違って来るのは確かだと思います。

 

また人と一緒でなくても、自分一人のときでもできます何かがあるはずです。

例えば、出会った人を思い浮かべて、その人が一層の幸せを喜んでいます姿を思い描き、祝福のメッセージを送れます。

 

 

私と個別意識

 

なぜ、大して重要でないことに思い煩うのでしょうか。

内側の意識に焦点を当てて見ましても、そこには煩った痕跡は見当たりませんでした。

私の個別意識が思い煩っていただけでした。元々実態のないものだけに、絶えず恐れを抱かずにはおれない小心者です。

 

いつかは、この個別意識を手放すときが訪れるような気がします。

だからと言って、それはなくなってしまうわけではなく、隅のほうで観察者の役目を果たしているだけだと思われます。

 

それまでは、この自我意識に振り回される生活が続くことになります。

今後も思い悩んだり、恐れおののいたりすることでしょう。

ただ、それと完全に同一化してしまわないよう気をつける必要があります。

 

 

信頼というパワー

 

大切なことは、もっと宇宙を信じ、自分自身を信じて行くことなのです。どこまでもまっすぐに伸びている道があります。

信頼する心が導いてくれます。信頼から大きなパワーが得られます。自分を生かしています宇宙の力は完璧です。

 

いま手にしています結果は最良のものであり、今後得るであろう結果も最善のものなのです。

だから迷わず、目の前のことに自分のベストを尽くせばいいのです。

 

また、優しさと思いやる心を持ち続ける重要性は、想像している以上に大きいことが伝わって来ます。

ほとんどの人たちは様々な制約によって雁字搦めに成りながらも、それでも生き抜いて行こうとしているのです。

人々の幸せを祈らずにはおられません。宇宙の心は、どの人をも慈しみ等しく愛情を注がれているのです。

 

 

心を砕くこと

 

前にも触れましたが身の回りには、人間や霊や星々などから発せられる、あらゆる想念のエネルギーが飛び交っています。

そのときの自分の関心事や思いによって、それに見合った波長の想念を引き寄せることになります。

 

霊界ではそれが顕著に行われ、尚且つその一部始終を他者は知ることとなるようです。

受け取ります想念のレベルは、受信する人によってピンからキリであろうと思われます。

 

もっとも高いレベルのものは、それ相応の高い人徳を備えていなければ得られない仕組みになっているようです。

地上生活において、できる限り小さな徳を積んで行く大切さが伝わって来ます。

少なくともみんなの幸せ、全体のことにいつも心を砕くまでに成長していなければなりません。

 

 

信頼と感謝の念

 

人生においてあるいは他者に対しての、信頼と感謝に満ちた態度はどのようにして生まれ、身に付けて行けるものでしょうか。

なぜ片時も忘れないほどに信頼できていないのでしょうか。いま自分の置かれています状況を正しく認識していないからでしょう。

 

こうして存在していること自体も奇跡でありますのに、そのことにさえ気づいていないのです。

どうしてでしょうか。人間や自分自身に対する無知、これが最大の問題と言えるかもしれません。

 

どうすれば、自分についてもっと知ることができるのでしょうか。もっと知ろうと欲するのです。

人間とは何でしょうか。自由意志を行使して霊的に成長する存在だと言えるでしょう。

 

なぜ人類は生まれ出たのでしょうか。創造しそれを体験するためだと思われます。

実際、それらを可能にします大いなる力が常に働いているのです。

一瞬たりとも忘れられたり見捨てられたりすることなく、支えられていないときはないのです。

 

いついかなるときも命は脈動し、その生命の息吹が感じられるでしょう。

それがわかれば、どうして信頼と感謝の念が湧いて来ずにいられましょう。