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心を開くことから

 

人の身に何が起きましょうとも、それはその人の問題で、自分には関係がないと思いたい気持ちから、知らない振りをしてしまうのではないでしょうか。

どうして、このように考えるようになってしまったのでしょうか。

 

スマホや24時間営業の店などの出現によりまして家族間のコミュニケーションする機会が減りました。

交通の発達によって、地域でのつながりも薄れて来ております。

また、核家族化によりまして先祖とのつながりも希薄になっていますのが、今の状況であります。

 

地域で、お互い助け合って乗り越えて来たこともなければ、一緒になって苦労して作り上げたという経験も見当たりません。

おじいちゃんやおばあちゃんから、どんな家系の家で生まれ育ったのかという話も聞いたことがないのです。

こうして、人とのつながりを強く感じます機会がほとんどなくなりましたのが、主な原因ではないでしょうか。

 

つながり自体は昔も今も変わらずにつながっていますが、自分がそれをどれほど感じ取れていますかどうかが問題なのです。

人とのつながりを取り戻して行かなくてはならないすのは、あくまでも自分の方なのです。

 

つながりに気づき、それを実感しますのが、なぜそれほど重要なのでしょうか。

たとえば、自分ひとりでは解決できない困難な問題にぶつかったとき、どう対処できますでしょうか。

もし周りとのつながりもなく孤立感に包まれていました場合、助けを誰かに求めたり相談したりすることさえ思い浮かばないでしょう。

悶々と独りで悩んだ末に、絶望におちいってしまうしかないでしょう。

 

では、どのようにしてつながりを取り戻して行きますれば、よろしいのでしょうか。

考え方を百八十度、変えてみましてはどうでしょうか。

人に何が起きましたときは、それは自分にも大いに関係があると考えますから、何とかして関わりを持とうとします。

そして、一緒になってその事実を突き詰めて行こうと、積極的に相手を受け入れまして心が開きますことで、つながりを実感できます。

 

 

自己の棚卸し

 

無害でいますために、最初に手がけなくてはならないのが、自己の棚卸しです。

自分の傾向としまして、例えば、どうして些細なことでさえ、人と言い争ってしまいがちなのか、という疑問が浮かんで来ます。

 

いまだからわかるのですが、そのときは完全に自己中心的な考えにとらわれていました。

相手の身を思いやる気持ちは全くなくて、あきれますほど身勝手な態度で、人と接していたのです。

 

愚かにも、そうした独りよがりな自分の振る舞いにも気がついていませんでした。

せめてもの救いは、その後で悪かった自分を悔いますのが常で、二度としますまいと思うのです。

しかしながら当時は、そうした反省をつぎに生かします知恵も働かなかったのです。

 

最近では利己的な考えがかなり薄らいで来ましたが、ただ表面に現れて来ないだけであります。

おそらく一生涯をかけましても一掃できるものではないと見ております。まだまだ自己の内に巣くっていますのは明らかです。

 

普段から自分の思考や言動には十分、注意を怠りませぬよう気を引き締めているところです。

少しでも独善的なところが見つかりましたときは、すぐにそれらを改めて行きますのと、慎重にその芽を摘み取って行きます。

 

 

最大の関心事

 

時間管理術についての動画を、続けて3回見ました。最初に見たときは、わからないところがいくつもありました。

ところが2回、3回と見ますたびに、それまで気づけなかったところに気がつきまして、先ほどまでわからなかった内容がようやくわかりかけて来たのです。

続けて3回見るという効果をまざまざと実感できました。つぎの質問がポイントでありました。

 

「なぜ時間を管理する必要がありますか?」

もちろん、それは時間を無駄にしないためです。だれもが無制限に時間を与えられていません。

限られた期間のなかで、最短最速で目標を達成したいと思いますのが、ごく当たり前です。

時間をうまく管理しまして何とか、無駄なときをなくそうと努力いたします。

 

しかし、それができるかできないかは、目標達成までの長期間にわたって、どれだけ情熱を持ち続けられるかどうかにかかっているのです。

大部分の人は、効率のよい時間管理が未だできていないのが実情です。

 

ですから注意点としまして、立てる目標は、自分が一番情熱の持てるものでなければならないのです。

あまり興味もなく、好きでもないことをやり続けて行きますのは、非常に苦しくて難しいです。ここで失敗してしまうケースが非常に多いのです。

 

もし、それが最大の関心事のことでありましたら、そこに無駄なときが生じる余地はありますでしょうか。

多少の困難に出合いましても、少しの努力で難なく切り抜けて行けます。

言われなくとも頭は四六時中、どのようにすればうまく行くのかを考えていますので、いろいろなアイデアも生まれて来るのです。

ここでは時間管理の出る幕がありません。

 

そうした状況の中では、参考となる動画や資料などを立て続けに3回読みますことも、さして苦にはならす、

理解の度合いが格段に深まって行きますのも、当然の成り行きと言えましょう。

 

 

自分を振り返る

 

昨日、求めていましたテンピオーブンをオークションで見つけまして、落札できました。

近いうちに商品が届く予定でありますが、今日は朝から何か落ち着かないところがあります。

どうしてそうなのか、自分の思いをたどってみました。

 

先日、台風の影響で早朝の3時間あまり、停電に見舞われました。ちょうどパンを焼き始める時間帯でありました。

最初はすぐ復旧するものと思っておりましたので、たいして気にかけておりませんでした。

 

ところが30分、1時間たちましても電気は止まったまま、電気オーブンが使えない状況が続きます。

その間にも、パンの生地は発酵がどんどん進んでいきまして、とうとう廃棄という事態になってしまいました。

 

このときのガスオープンさえあったら焼けていたのに、という悔しい思いから、停電になっても使用できるオーブンを探し始めるのでした。

ガスオーブンで焼きますと、電気オーブンより味がよいことも、頭から離れなくなっていました。

 

ガスコンロを使用したオーブンが、どこまでガスオープンの味に近づけられますか、まったくわかりません。それでも、どんなパンが焼けるのかとワクワクしておりました。

 

あまり期待しすぎますと、その通りに運ばなかったときの気落ちの度合いも大きくなりがちです。そのように考えていますと、どうにか落ち着いてきました。

もっとも、テンピオーブンで焼けますパンの量は少なくて気休めでしかないわけですが、試作品をたくさん焼いて楽しみたい気持ちがそこにありました。

 

送られてきますのは、30年以上も前に流行しましたピーステンピの751型コンロ上置きオーブンであります。

いまアウトドア用品として、テンピオーブンに人気が集まっています。今回はテンピの紹介で終わりそうです。

 

 

自分を観察する

 

今すぐ取りかかれる問題として、黙想を生活の中でどのようにして定着させるかです。

時間的には夕方の30分を確保しています。

 

いま自分が行っている黙想をかんたんに紹介しますと、目をつむり座ったまま、身体を動かさずに心を静めていきます。

そして浮かんでくる考えや情景などをただ観察して行くだけです。

 

以前は30分以上、黙想しておりましたが、最近は15分がようやくという状況です。

時間が短くなったのは、始める前に終了時間を特に設定せず、ある程度できたら、そこで切り上げるようにしてからです。

黙想をうとましいと思っている自分の声に従い、それを許して来た結果でもありました。

 

30分間の黙想のときの効果は、それほど大きな変化はなかったように思います。

しかし、一時間以上の黙想を提唱されていますのに、30分ぐらいでは、成果が出ないというのは当然なのです。

ここまで考察して来まして、積み上げる重要性を思い起こすに至りました。

 

これまで黙想を行うことに関しては、途中でやめたくなってきてもやり通す、そんな意気込みを欠いておりました。

つぎからの黙想では、30分間は続けていきます。それを定着させてから、一時間に戻して行く予定です。

自分の思考や行動などを観察する重要性については、日をあらためて考えてみるつもりです。

 

 

未知の体験

 

自分には簡単に解決できそうにない問題に出合った、そのときこそ、自分の思ってもみない底力が引き出せるチャンスかもしれない、と考えてみてはどうでしょうか。

人の助けが必要なときもありますが、どうしても自力で困難な状況を切り抜けなければならないときもあるものです。

 

いつ、そんな危機に遭遇するのか、まったく予測がつかないので、普段から努力を要するようなことにチャレンジして、自分を鍛えておくことが重要かもしれません。

こうした習慣を身に着けていれば、いざというときに素早く思考回路が働いてくれて、苦境から脱出する手助けになってくれるものです。

 

人間が本来、持っている能力の大部分は、まだ使われていないと言われています。

その未使用の領域から少しでも力を引きだせれば、いままでできなかったことができるようになるかもしれないのです。

 

そうした潜在能力を引きだすためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは興味を持っていることで、何か新しいことを始めてみることだと思います。

そのときに注意することは、途中でやめたくなったとしても我慢して続けることです。

 

未知の体験を始めたのですから当初は、わからないことや慣れないことなどで、つまずくことが多いものです。

そこを耐えて行き、決してあきらめたりはしないことなのです。とにかく続けて行くこと、積み上げて行くことです。

 

そうすると徐々に、自分に力がついて来ることに気づけるはずです。これまでのことを思い返してみてください。

いま自信を持ってできると言えるものでさえ、かつての自分にとっては、まったく未知の分野のものであったのではないでしょうか。

いままでにも、何度も新しいことに挑戦してやって来たのです。ですから、今度もやれないはずがないのです。

 

 

高め合う生き方

 

人間の役割は最高の人間をめざすことだと思っています。地球上の他の生物や鉱物資源などを支配することではないのです。

あらゆる存在を敬い、彼らの進化・成長を促すものであると思います。最高の人間とは、どんな人間なのでしょうか。

 

神にもっとも近い存在といえるほどに、進化した人間のことではないでしょうか。

この進化し成長を遂げることが、人類をはじめとして、全宇宙のありとあらゆるものの存在理由でもあると言えるでしょう。

 

もしも、進化の道からはずれた場合は何であれ、滅んでいく運命にあるのです。

いまの人類は、その崖っぷちに立っていると言えます。一人ひとりが、いま自分は進化の道にいるのだろうか、退化の道をたどってはいないだろうかと自問すべきなのです。

 

別に難しいことではなくて、昨日よりも今日の自分は、少しは進歩したかどうか、一日の終わりにざっと振り返ってみるだけでもいいと思うのです。

たとえば「今日、あの人に厳しいことを言いすぎたので、明日はやさしい言葉をかけてみよう」とか、そういった相手も自分も高めてくれるようなことを実行して行くだけで十分です。

 

ほんの小さなことであっても、自分の本心から出て来たことを、そのまま行うように心がけていけば変わって来るものです。

少なくとも人と争ってみたり、不平や不満を言ってみたり、投げやりになって仕事をするようなことは、自分から慎んでいかなければなりません。

 

共同生活を営む私たちは、お互いに高めて合って生きていくようにできているのだと思います。

ときには厳しいことを人に告げなければならないこともあれば、反対に人から手厳しいことを言われることもあるものです。

 

また、困難なことが立ちふさがり、もう絶望するしかない状況に直面したときでさえも、私たちは支え合って、その難題を乗り越えていくだけの知恵と勇気を持ち合わせているものです。

人はそうした局面にぶち当たってこそ、めざましい成長を遂げるものでもあるのです。

 

 

自分を生きる

 

2007年公開の映画「母べえ」を見ました。1940年以降の日本の状況が描かれていました。

言いたいことが言えるというのは、今でこそ当たり前ですが、当時はそれが出来ない世の中であったことがよくわかりました。

 

戦争拡大に走る国策に反する考えを持っているということで、父親が投獄され、その一家を描いた作品でした。

親戚縁者の助けと、獄中からの手紙のやり取りを通して、一家は心を通わせ合うのですが、2年後父親は獄死するのでした。

この映画から学んだこととして、様々な困難や試練に逢おうと、たとえ拘束されたとしても、自分の考えに従って生きる尊さ、大切さでした。

 

戦時中の時代とくらべて、いまは自由で何でも言える世の中ですが、逆に自分を生きることの重要性が見えにくくなっています。

いまの風潮に気を付けていないと、どうしても安易な方向に走ってみたり、利害や損得だけの生き方に流れがちになります。

しかしながら自分を見失う原因を、外に求めてみたり時代のせいにするのもやめなければならないことに気づくのです。

 

どんな世の中になっても、自分の中に変わらぬ芯になるものを持ち続ける、それを生きる、このことだったのです。

それは絶対に譲れない自分の考え、価値観、あるいは信念といえるものかもしれません。