相手を受けとめる

 

● 相手を理解することに全力を傾ける

 

人と親しく付き合っていくためには、自分がどういう人間であるのかを自己開示して、相手に知ってもらう必要があります。

自己開示するにあたっておすすめしたいのが、「自分史」を書いてみることです。

書いていくことで自分への思わぬ発見があるかもしれないのです。

 

例えば私の場合、学校を卒業して社会に出てから、上司とぶつかってはなんども転職をくり返していました。

なぜそうしたことが起こったのか、ずっと理解していませんでした。

そのときの心境は、なぜ人は自分のことをわかってくれないのだろうか、わかって欲しいという思いだけでした。

 

そこで当時の自分にアドバイスするつもりで、自分のことを相手にわかってもらうために、どうすればよかったのか、考えてみたのです。

自分のことを理解してもらうためには、まず自分の方から相手をよく理解する必要があったということです。

 

「理解してから、理解される」という言葉のように、自分が相手のことを理解することで、わかり合える糸口も見つかるものです。

なぜなら、相手も自分のことを理解して欲しいと思っているからです。

 

自分の方から働きかけ、相手の欲求を受け入れることが関係を築いていく上では最も重要なことです。

もしも相手を理解することに全力を傾けるなら、相手から理解や支援が得られて、仕事は見違える程はかどることが予想されます。

 

このように「自分史を書く」ということは、過去の自分から貴重なメッセージを受け取れることもあります。

こうしたメッセージに従えば、これからの人生において、確実に望んだ方向へ展開して行けるという激励でもあるのです。

 

● 自分の周りには、どんな人たちがいるのか

 

もし、次のように問われたら、あなたは何とこたえるでしょうか。

あなたの周りには、いま、どんな人たちがいますか?

 

家族や職場で自分と接する人たち、1人ずつ思い起こしてみてください。

親切でやさしい人。

安心して仕事を任せられる人。

いざいうとき、頼れる人。

コツコツ仕事をやっている人。

一生懸命に生きている人。

遠慮なく何でも話せる人

そういう人を、あなたは何人見つけられるでしょうか?

 

そんな人はひとりもいないと思われるかもしれませんが、必ずいるのです。

どんな人たちも、上記のどれかにあてはまるのです。

 

よくよく考えてみてください。

何と自分は、恵まれた環境にいることか!と、気づいていただきたいのです。

 

私自身、家庭や仕事場で楽しく人々と関わっていますが、以前はまったくその反対でした。

人の話を聞くときは、どんな話を聞かされるのかと身構え、人に頼み事をするときには、無視されたらどうしょうとビクビクしていました。

 

いまはそうした怖れを抱くこともなくて、物事の受け取り方や考え方が大きく変わりました。

どうして、そこまで自分が変われたのか?

実は、次のようなことを身にしみて理解できたからです。

 

起こった出来事や人の振る舞いに、どんなに怒ったり抵抗しても、むなしくなるばかりで何も得るものがなかったことです。

今度は、それらをあるがまま素直に受け取ってみると、気持よくて物事もうまく運ぶようになったことです。

 

いまでも時々、立ち止まって周りの人たちのことを白紙の状態で思い浮かべてみるのです。

新たな氣づきが得られたり、思いがけない発見をすることも度々あるのです。

 

 

● 意図をもって生活する

 

毎日、日記を書こうと決意し、やってみたものの昨日はとうとう書けませんでした。

日々、周りの状況も自分の心も絶えず変化しており、1日として同じ日はないのです。

にもかかわらず、何も書けなかったというのは一体どうしてなのかと考えてみました。

 

そこで氣づいたことは、自分から何かやろうと意図して行ったことがひとつもなかったことです。

ただ周りの状況に流されるまま考えようともせず、ただ動いていただけでした。

 

だから何をしていたのか、後で思い出そうとしても何も浮かんで来ないのです。

「自ら意図して行動する」ことの大切さ、その重みをずっしり感じます。

 

この氣づきを生かそうと思い、机上のパソコン環境を変えてみることにしました。

今まではダブルモニターで作業をやっていて、ずっと不便を感じていました。

そこで思い切ってトリプルモニターに転換することを決めました。

 

手間としては必要な部品を買い足したことと、機器まわりをこまめに掃除しただけでした。

やった結果は、以前とは比べものにならないほど快適な環境に変わりました。

 

こうして「意図して行動する」のは、そんなに難しいことではないことを知りました。

日記を書くのも事欠かない、充実した日をおくるには、ちょっとしたことでも意図をもって生活することであったのです。

 

● 与えた価値だけ受け取る

 

望む現実をつくり出すためには、新しいことを始めることになります。

新しいことを定着させて行くには、どうしても古い反応パターンを変えていく必要があります。

 

この反応パターンを変えるとは、ものごとに対し自分がどう感じて、どう考え、どう行動しているか、その一つ一つを望ましい形に置き換えて行くことです。

 

自分の感じ方や考え方、行動が変われば、記憶にある情報のつながり方も変わり、やがてそれが外に表れて来るのです。

 

例えば、お金はトラブルの元だと考えて、金儲けの話には嫌悪感を抱きつつ一切距離を置いていました。

しかしその後、お金を稼ぐことは社会に役だっている証でもあり、感謝の見返りがお金であるとポジティブな意味付けに変えたのです。

 

その結果、敷居が高く感じていたネット・オークションに挑戦してみる氣にもなったのです。

やってみると自分にとって不要品だったものが、相手に喜ばれ臨時収入も入って来るという楽しい体験となりました。

 

もう1つ、反応パターンが180度変わってしまった体験があります。

メガネを交換するためメガネ屋さんへ行ったときの話です。

レンズ代だけでもかなりの出費でしたが、ワクを選ぶときです。

 

店員さんが普通のワクなら3つ以上も買える、高額のワクをすすめて来たのです。

一瞬、ムッとなり、こんな高いものを売りつけて何という店員なんだと思いました。

 

しかしすぐに、こうも受け取れることに氣づいたのです。

あなたは普通のモノ3つ以上も買えるほどの、価値あるモノを身に付けるにふさわしい人物ですよ。

 

そう受けとめると決めてから、その店員さんに親しみを感じられ、いい買い物ができたという思いに満たされたのでした。

 

起こったことに対して、いかに自分が前向きな意味づけを与えるかで、それ以上のものが受け取れるという事例でした。

 

● 最高には、最高で応える

 

「人やモノに投資する」という考え方が身近なものになった体験です。

 

今まで自己啓発に関するセミナーや教材、書籍などに多くのお金と時間を投じてきました。

成果はあったのかと聞かれれば、何もなかったというのが正直な気持ちでした。

 

ところが、ある人に自分への投資の話を持ちかけたとき、返ってきた言葉は

「投資なんか、やれば損するだけだ」

こう言われてみて、はっと氣づいたことがあります。

 

何のリスク対策も負わずに、成果だけ期待する投資はあり得ないことでした。

例えば、高額の講座を受講して成果を出す場合を考えてみます。

 

仮にその講座が90%の信頼度だとしたら、残り10%は自分の努力で穴埋めする必要があります。

100%にして初めて成果が出せるということです。

 

もし望むような結果が引き出せなかったとしても、次に生かせる貴重な経験ができたのです。

前向きな投資においては、投入以上の成果が得られるということです。

 

最高の先生や教材に出合ったとしても、自分もそれ以上の努力を傾けることです。

そうしてはじめて最高の成果が得られるものです。

 

最高の結果を生む力は、人から授けてもらうものではなくて、自分で身につけるものであったのです。

どんなものでも、何の努力もせずに成果を期待するのは間違っていたのです。

 

最高のものを持っているだけで、自分も最高なんだとカン違いしないように気をつける必要があります。

最高のものに最高の自分で応えるから、最高の成果が導き出せるのです。

 

新しいことを始める立ち上がりのときは、特に時間と労力を惜しまないことです。

勢いを加速させることが最も重要であったのです。

< h4>● この体験から何を得たのかこれまでの学びで、確信できたことがあります。

「相手に何かを与えた場合に、自分も与えた分だけのものを必ず受け取っている」

 

これは、一方的に与えるだけ、あるいは受け取るだけという関係は本来あり得ないということです。

この世界で、自分と他者とは常に対等な関係で成り立っていることです。

 

例えば、短期間で何らかの結果を出すには、相当の時間やエネルギーを投じなければならないことです。

そうすることで、ようやく受け取れる状況が整ったということです。

ここまでは誰もが納得のいくところです。

 

しかし、もし仮に自分が詐欺に出合った場合でも、対等の交換が行われていると言えばどうでしょうか。

持って行かれたお金と相応のものを、同時に自分は受け取ったことになります。

これに納得できる人は少数かもしれません。

 

確かに加害者と被害者という立場で見れば、フェアでないかもしれません。

しかし、この自分が被害者であるという意識こそが問題の発端なのです。

 

被害者の立場にいる限り、受け取った相応の価値に氣づくことは難しいのです。

そのままでは、自分の未来を切り開いて行く力も湧いて来ません。

 

こういうときこそ、「この体験から、自分はいったい何を得たのだろうか?」と問うことです。

被害者という立場を捨て、人生を仕切る当事者になれる質問です。

「自分は、この体験で何を得たのか?」

 

信用できる人なのか、あるいは信頼できる情報かをよく確かめなかったとしたら、それを学ぶ機会であったのです。

周りの現実というのは、自分が何かを選択して行動した結果なのです。

それは自分が生み出したものです。

 

ですから、その現実が気に入らなければ、自分の行動を変えて創り直せばいいだけなのです。

特に、とんでもないことに出会ったときには、この質問を思い出すことです。

「自分は、この体験から何を得たのだろうか?」

 

 

鍵は自己信頼にあり!