「自己信頼」カテゴリーアーカイブ

自己を信頼 自分自身をもっと知る

口ぐせ「許してください」

 

「許してください」を口ぐせにしてみて、何をなぜお詫びしなければいけないのか、そのいくつかがわかりました。

 

まずパンを買っていただいていたお客さんに対してでした。

そのお客さんの要望や期待を真摯に受けとめなかったことがありました。

どうか「許してください」

心からお詫びをして完了させていただきました。

 

次は、両親に対してでした。

生前、お金は決して人から借りてはいけないとよく言われていました。

しかし現在、あるところから借金をしています。

親の教えに背く気はありませんでした。

ある理由から体験でそれを学ぼうと、敢えてお金を借りたという経緯がありました。

いずれにしても親にきちんと、この件でお詫びをする必要がありました。

「許してください」

両親には、心からお詫びをしました。

 

そして次は、最高の自分自身に対してでした。

例えば、モノを買う場合に、何でも安いもので済まそうとしていました。

これは最高の自分自身に対して、とても失礼なことをしていたことに気づけたのです。

「許してください」

もし、いいモノが手に入らなくても、安いもので済まそうとしないことです。

どうしたら、いいモノが手に入るのか。

何で、それを手に入れる必要があるのか。

それは最高をめざす自分にとって、ふさわしいモノかどうか。

それを必死に考えることだったのです。

 

次に、自分の思い込みで、これまで多くの人たちの心を傷つけて来たことに対して、きちんとお詫びをすべきだと思いました。

例え、相手にも非があったとしても、嫌な思いをさせたことに対して素直に詫びたい気持ちになりました。

思い浮かんだ人たち、一人ひとりに対して

「許してください」

ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

こうして、「許してください」を口ぐせにしていると、いつの間にか、自分が言っているのでなくなってきました。

私が「許してください」と言うたびに、まわりのほうから自分に、「許してください」と言われているように聞こえて来るのです。

私の発する「許してください」が、他の人からの声として、自分に届いているように思えます。

お詫びの言葉を言うたびに、まわりからお詫びの言葉が返ってくる。

そんな感覚になりました。

自分が発することは、自分に返ってくる。

これは、真実だということを実感できました。

 

口ぐせ「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」を口ぐせに運転をしてみました。

そうしたら、なぜ「ごめんなさい」と言っているのか、その理由があとでいくつも浮かんできたのです。

目の前の小さなことで、例えば信号が赤になったことで不平を言っている自分がいました。

そんな態度をとらせたことに、「ごめんなさい」と言い、直ちに帳消しにしていました。

 

また先日、ある人の話をきちんと受けとめなかったことから、誤解され立腹させてしまったことがあります。

そうさせてしまったことに、「ごめんなさい」と言っていました。

ほかにも、過去のことで至らなかったことが次々と思い出していました。

そのたびに、そのことと向き合い「ごめんなさい」と言うでした。

 

「ホ・オポノポノ」の4つの言葉のうち、今回は「ごめんなさい」を口ぐせにしてみて、その効用のひとつを実感しました。

翌日、立腹させてしまったある人の誤解が解けたという連絡をもらったことです。

それから、もうひとつ「ごめんなさい」の口ぐせで気づいたことがあります。

 

この人生で目的を果たし終えるのは、ほぼ決まっており、日々それに向けて出来事が展開しているという考え方があります。

そのことを忘れて、目の前のちょっとしたアクシデントに反応している自分に、何度も気づかされたことです。

未来で、人生の目的を果たし終えた自分を信じずに、それを疑うことから、いろんな問題を自分でつくっていたのです。

 

この「ごめんなさい」は、未来の自分に対して、もう二度と疑ったりはしません、という約束の言葉でもありました。

 

ホ・オポノポノ 2

今日を生きる

 

人生を、どう生きるかは、ひとそれぞれです。

 

わたしは、「人生をマスターする」道をずっと探していました。

そして、ようやく着いた先が、いまこうして与えられている「今日」という日です。

今日、目の前の課題を、どうマスターすればいいのか?

それだけを考えて生きることが、マスターにつながる道だったのです。

 

毎日のウォーキングで、いつも感じ入ってしまうことがあります。

一歩一歩をゆっくりと踏みしめて行くと、遥か前方にあると思っていたところへ、いつの間にか、たどり着いている自分に驚くのです。

 

一歩を休まず、続けさえすれば、どんな長い道のりでも、行き着くことができる!と毎回、確信を新たにするのです。

「絶大なる信頼」を身に付けるには

ジョフ・コルヴアンは『究極の鍛錬』という本のなかで、

世界のトップクラスに達するために必要な「膨大な努力をさせるものはいったい何か?」と投げかけています。

そして、その答えは次の2つの問いに、どう答えるかにかかっていると書いています。

「本当に欲しいと思うものは何か?」

「本当に信じているものは何か?」

 

結局のところ、自分が多大な努力を行えるかどうかは、自らを動機づける力をどれだけ身につけているかで、ほぼ決まることです。

つまり、向上しようという意欲をどのように持ち続けて、未熟な自分を何とかして引き上げようとする思いをどう維持していくか?

それがまさに成就の決め手になるということです。

 

少なくとも、成長する喜びが自分の原動力となり、投じた努力が報われ、理想とする結果は必ず得られる、と断言できるほどの自己への『絶大なる信頼』が欠かせないことに気づきます。

 

では、こうした『絶大なる信頼』を、どうすれば身につけられるだろうか?と思いめぐらすと、いちばん身近なところにその答えがありました。

自分が決めたことをきちんと守るなど日々の地道な行動を通して、生活の中で培っていくものだということです。

 

 

信頼の力

 

1人で出張販売に出かけましたが、現地で手伝ってくれる方が2人現れて大変助かりました。最近、困るようなことがほとんどなくなったような気がします。

お店のほうもパートさんたちが十分に動いてもらえて自分のすることが少なくなり、時々の相談事にもじっくり耳を傾けることができて有り難いことです。

 

見渡せばもう十分信頼していい環境下にあることに気づきます。結局は自分の態度如何だったということをつくづく思い知るのでした。

その都度その都度、浮かんでくる不安などを振り払って相手を信頼する方向へシフトしながら仕事を進めて行った結果が今の現状だったのです。

 

半信半疑なところが自分にあったのも事実ですが、しかし今の生き方を確信していい時期に来ていること。後はそれを自分が認めるだけでよかったのです。

 

 

ありのままの自分が大好き!?

仮に1つや2つ出来たからといって、あるいは出来なかったからといってそのことに余りに重きを置き過ぎていないかどうか振り返ることが重要だと思いました。

しかし、これまで私は小さい頃から自分が出来ないことに対して大きなコンプレックスを感じながら育ち、何で自分は出来ないんだと出来ない自分を許せなかったことも度々でした。

 

だから、そういう過去の自分を重ねて出来ていない今の自分もどうしても好きになれないことがわかりました。

でも、それだからこそ自分が大好きだと言える自分になる必要があるのだと思います。

 

 

自分の境遇は自らつくるもの

自分の境遇に文句を言ったり無気力になっても事態は変わらないどころか、余計に悪くなるケースもあるので十分注意したいところです。

かつて会社勤めをしていた私は人事異動に不満をもち仕事にも身が入らなくなり、上司とも上手く行かずに退職した経緯があります。

 

それ以前の仕事で自分の至らなかったことが思い出され、その境遇は自ら招いたものだったのです。

このことを思い出すたびに今後は一念発起する自分であり続けたいとつくづく思うのです。

 

 

自分の振る舞いを正す

 

自分の振る舞いを正す意味でも、人との関係において自分の意思をきちんと伝えると同時に相手の意思もきちんと確認することがとても大事でした。

ここで変に遠慮したりして曖昧な形で話を進めると後でトラブルの元になったり、お互いの関係が気まずいことになり兼ねず注意したいことです。

 

はっきり確認することを怠ると、思い込みで相手は受け取ってしまったり自分も思い込みで判断するからです。

思い込みを一切なくそうと何度でも相手に確認する作業を行うようにしてからはゆとりも出来て、仕事もはかどるようになりました。