「自分を磨く」カテゴリーアーカイブ

人は人によって磨かれる

進化と奉仕の道

 

気がついて感謝したとしましても、その後がいつも通りでありましたら、あまりにもったいない話です。

何も知らないでいるより気づけましただけでも幸運だったわけですが、それを今後に生かしていくには、どうすればいいのでしょうか。

 

愛するものに囲まれている自分とは、いったい何者なのでありましょうか。もっと自分自身について知る必要があります。

すべてのものにも意識があるとしますと、それらは黙って人間に奉仕していますように考えられます。

なぜそうするのでしょうか。そのことによって、かれらは着実に進化の道を歩んでいるようなのです。

 

同じように進化をめざしています人間は、誰に奉仕していけばいいのでしょうか。

その相手とは同胞の人間であり、それ以外には考えられないと思われます。

 

ひとつの生命は他の多くの生命に依存し、生命同士がお互いに支え合って生きています。

今の自分がありますのは、計り知れないほど多くの生命の奉仕による恩恵を受けているからと言えます。

そのことにどれだけ気づいて生活しているのか、それが問われています。

 

意識していませんが、まわりの奉仕する心に自分は信頼をおきまして、現在もこうして生きようとしています。

全体を思いその幸せを願う身であります故、他者から信頼に値するものでありたいと切望せずにはいられないのです。

 

 

愛するもの

 

いつも感謝していますことがあります。それはお風呂の湯沸かし器です。

もう25年以上に渡って稼働していますが、普通はそんなには持たないそうなのです。

風呂に入る度に、ありがとうと礼を言っているのです。このとき、同時に愛でる気持ちも送りつづけておりました。

密かに、愛が通じていますのを感じるのでした。

 

また仕事面では、いくつかの機械を毎日、使っていますが、どれも20年以上の間、現役でいまなお頑張ってくれています。

考えてみますと、まだほかにもたくさん動いてくれています機械類があります。

 

これからは、もっときちんと言葉にして感謝を述べていかなくてはなりません。

どんな機器でありましても使いますときは、感謝していますことを正直に伝えますのが大切だとつくづく思うのです。

「使わせていただきます。いつもありがとう!」と。

 

そして自分の肉体に対しても、まったく同じだと思うに至りました。

どれだけ感謝しましても仕切れないほど四六時中、世話になっていますのが身体です。

心から愛していますことを、もっとも多く伝えなくては申し訳が立たないです。

 

愛と感謝のエネルギーも、この身体を通して流れていくように思われます。

気がつきますと感謝し、愛するもので取り囲まれていますのが、いまの自分という存在なのでありました。

 

 

毎日ワークを実践

 

心構えとしては、真の望みだけを描き、私利私欲を捨てて、やるべきことに集中することです。

そのひとつひとつをどのようにして行い、定着させていきますのか。それを次に考えていかなくてはなりません。

 

ほんとうの自分にとっての望みは、全体の幸せと霊的に進化しますことしかあり得ません。

あれこれと欲望を持ちますのは、個別意識が支配しているときなのです。

ですから全体意識に通じていますには、愛に意識を置かなくてはなりません。

 

自分がもし愛でありますなら、どう行動するでありましょうかと考えてみます。

私利私欲を持たないようになるためにも、つねに愛とともにいることが重要となります。

考えようによっては、自分の身体や周りのあらゆるものが愛で満ちていると言えるかも知れません。

 

ずっと以前に、あるワークショップで二人一組になって両手から愛のエネルギーを送るワークをやりましたところ、相手はびっくりするほどのエネルギーを感じたと言っていました。

愛は意識できますだけでなく、自分からエネルギーとして送り出すのも可能だと知りました。

 

意識的に見たり触れたりするときには、そのものに愛を差し出しているようにも思えます。

意識を集中させるとは、一心に愛のエネルギーを投じるということではないでしょうか。

毎日、愛のワークを実践して行くと考えればいいわけです。

 

 

意識を意識する

 

車の運転している最中に、どんな行動を取りますかは、そのときの意識状態で大きく異なるのに気がつきました。

愛を意識していますときは、ていねいな運転を自然とやっていますが、いつの間にか通常の個別意識に戻っているのです。

 

信号のない交差点に差しかかっても、左右の確認をおろそかにして先を急ごうとするのです。

そんな独りよがりの行動を平気でやっておりました。

 

個別意識の自己中心的な性質が、ハンドルを握ると顕著に表れていますのには驚きます。

これでは周りに何らかの害を与える可能性が常にありますので、この通常の意識状態を何とかしなくてはなりません。

そうは言っても手強い相手でありますし、一筋縄では行かないのは確かです。

 

個別意識を敵視したり、無視したりしても無駄でありますどころか、かえって身勝手さを助長しますことにもなりかねません。

どのようにして、個別意識と折り合いを付けて行くのか、それを考えますほうが得策のようです。

 

愛や幸せという言葉だけよりも、それをイメージにして心に満たし、それを絶えず意識できるようになるには、どのようなステップを踏めばいいのでしょうか。

人生の大半を、この意識のもとで生きて来ましたから、それを変えて行きますのは容易ではありませんが、何とかしてやって行かなくてはと思うのです。

 

 

 

すべてを思う

 

なぜ、みんなのことだけを考えて行くのでしょうか。それがほんとうの自分と同調できます領域に、もっとも近いからではないでしょうか。

個別の意識から抜け出しまして距離を保つには、最良の方法と思われるからです。

 

それは親元を離れた自分が親を思い、慈しむ心を呼び覚ましてくれるようなものなのです。

みんなを思い描こうとしますと、そのみんなから祝福を受けているように感じます。

しかも、ずっとこれまで祝福されていましたのに気づかされます。とても癒やされます。無条件の愛とは、このことでありました。

 

自分とは、いったい何だったのでしょうか。そこでは自分というものが、どこにも見当たらないのです。

しかし現実の中に意識を戻しましたら、自分といういつもの感覚にいるのです。

個別意識と全体意識の違いを垣間見ましたように思えます。ほんとうの自分は、全体意識とつながっていますのが理解できたような気がします。

 

意識面でみんなとつながっているとは、こういうことでありました。

そのつながりを無視しますことで、個別意識が表れて来るのでした。出来るだけ、みんなに意識を合わすように心がけます。

どちらの意識に焦点を合わせているのか、それを意識しておくのが重要なことのように思われます。

 

 

同胞と向き合う

 

先日、久しぶりに親しい人と話す機会がありました。相手の方が一時、体調を崩されて、その理由をいろいろと言われていました。

それを聞きました後、そうではなくこうすべきだと諭すように自分は言っていたのです。相手のあり方を駄目だと否定していましたのに、後で気がつきました。

 

どれだけ優しく言ったとしましても、自分の意見を押しつけていたことに変わりはありません。どうしてこうした行動に走ってしまうのかを考えてみました。

ひとつには、相手を上から目線で見ていました。気づかない内に傲慢な姿勢で応対していました。そうでなければ、相手を批判するような接し方は生まれて来なかったはずです。

どんな高尚なことを考えて行きましても、人を見下し驕りある態度が出て来ます素地が自分にあるということです。

それを認めて警戒を怠らないで行きますと共に、謙虚さをもっと養って行かなければと思いました。

 

ふたつ目としまして、人にはそれぞれ、その人自身を常に見守っています存在がいます。

ですから、人のことはその人に任せまして自分が心配します必要はなく、それよりも自分を正しますことに専念すべきなのです。

 

みっつ目として、ひとつ目と関連しますが、相手が誰でありましても、その相手と自分とは人間的に全く対等であります点です。

たとえ年齢や地位などがどんなに離れていましても、それらは本質にはいっさい関係がないのです。

同じ道を歩みます同胞として、お互いに向き合っているのですから、それを決して忘れてはならないと思いました。

 

 

霊的な成長

 

人が生きている意味は、霊的に成長して行くことにありました。

いろいろな本で読んで来まして、それをようやく知り得ましたが、そういう核心的な事柄を、どうして学校では教えないのでしょうか。

毎日、生活費を稼ぐために仕事をし、欲望を満たして消費するだけが人生のすべてであるとは、とうてい思えません。

 

人間が霊的に進化しますとは、どんなことでありましょうか。

高度に進化した人というのは、普通の人にはない雰囲気(オーラ)をまわりに漂わせていると言われています。

どんな人にもその人独自の雰囲気をまわりに放ってはいるのですが、その力が微弱なため他の人には感じられないだけかも知れません。

 

霊的に進化しますと人が本来、持っています各能力は高まりますと共に、特殊な能力も発揮できるようになると言います。

もっとも、そうした超能力なるものは成長して行く過程で起きます付随的な出来事でありますので注意しなくてはなりません。

 

霊的に成長するとは、イメージとして何となくわかるような気がしますが、ほんとうはどういうことなのか、まだ完全に把握できているわけではありません。

イメージ的には次のようなものが上げられそうです。自我や感情をコントロールできますのと、意識が高く大きな視野で物事を深く思考できて来ます。

人間の起源とその本質、地球や宇宙の成り立ちが理解できております。

 

 

人生の役目

 

もし人に数多くの人生というものがあるとすれば、その中のひとつに過ぎない、いまの人生をどのようにとらえて行けばいいのでしょうか。

そもそも自分が望んだわけでもないのに、なぜ人間は人生というものが与えられているのでしょうか。

すぐ出てくる答えは、さまざまな体験を通して学んでいくための舞台として人生があるということです。

 

もう二度とおなじ辛い思いをしなくて済むように、自分のおかした間違いや失敗から何か学び取ろうと、努力するのが人間ではないかと思います。

少しでも「ましな生活」をしようと、少しは「まともな人間」になろうとして、なんとか知恵を働かせるものだと思うのです。

 

みずから進んで学ぶというよりは、どちらかといえば、学んで行かざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。

何も学ぼうとしない、ずっと学ばない選択をする人も中にはいますが、敢えてそのように振る舞っているだけで、そういう人はいずれ大きな代償を払ってでも学ぶことになるのです。

 

この学び続けるという選択は、簡単なことのようで非常に難しいことがわかってきます。

いったい何を学び、どのように学んで、それをどう活かして行ったらいいのかという問題です。

学んだつもりだったのに、結局何も学んでいなかったと気づかされることが何度あったことでしょうか。

 

人生でたったひとつのことでいいから、それに関しては十二分に学べたと胸を張れるほどに、学び尽くしたいものです。

ひとつのことを浅く学んで終わりにするのか、または、ひとつのことからどれだけ深く学びとおすのか、そのことを学ばせるのも人生の役目のような気がします。

 

そして、人にはそれぞれ、その人生で掘り下げていくべきテーマというものがあるようです。

それが何であるのかは重要なことですが、人生を歩んでいくうちに何となくわかってくるもののようです。