「自分を磨く」カテゴリーアーカイブ

人は人によって磨かれる

危険な道

 

再度、岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」を読んでいまして、次の言葉が目に飛び込んで参りました。

 

『危険な道をとる』

いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。

死に対面する以外の生はない。

ぼくの…ポジションはその決意の実践だった…

 

安全な道をとり続けるか、あるいは危険な道をとるかを決断し、自ら誓うまでに自分を追い込まなければならないのでした。

そして決意しましたからには当然、それを実践しますことが求められます。

 

意識して選択しますときには自分の心に従い、敢えて危険な道をとってきました。

しかし、常にそうではありませんでした。まだまだ安全な道を選びます方が多かったように思います。

 

些細なことばかりでしたが、これまで決意し誓いました約束事はその後、間違いなく実践できていました。

何が問題かが、かなり見えてきましたように思います。

 

 

理解し合う難しさ

 

先日、親しい人とメールのやり取りをしていました時、ある件を伝えますのに言葉足らずなところがありまして誤解を招きました。意思伝達の難しさを感じました。

こんな時に思ったのは、霊界のように意思が言葉を介さずともストレートに届くのでありましたら、こうした行き違いはあり得ないということです。

 

人との会話において言葉を選んで誠心誠意、伝えるという態度は大切でありますが、それでも百パーセント言い伝えられるとは限らないのです。

たとえ気心の知れた間柄でありましても、思っていますことの半分以上が伝われば、それで満足すべきではないでしょうか。

 

この地上界におきましては、人と真に理解し合うというのは、いかに困難なものでありますかを改めて思い知ります。

それに比して霊界では思ったことは何もかも即座に知れ渡るのですから、お互いをありのままに難なく理解し合えているのです。

人との親密度は、まったく地上界とは比較にならないでしょう。

 

 

内なる魂と対話

 

「(神のメッセージは)本気で耳を傾ければ、必ず聞こえてくるはずだ。本気で聞けば、無視することはできない。」

と「神との対話」(※注)では続きます。

なぜ、今まで聞こうとはしなかったのでしょうか。別に聞く責任はありませんし、受け取る責任もないと確かに思っていました。

 

もし

「神のメッセージを受け取ったと認めれば、自分で考え、実行する責任が生じる」

からでありまして、まさに図星です。

ですから

「神の言葉は誰かほかの人が聞いていると決めつけ、その人たちの言うことを聞いている」

だけでありました。

 

どうして自分で考えようとはしなかったのでしょう。もちろん、他人の解釈を聞いているほうが楽で安全だということも考えられますが、それだけではないような気がします。

「神は特別な方法で、特別な人にだけコミュニケートすると信じて」

いたのです。

 

何よりも自分に神が語りかけているとは、まったく露ほども思えなかったことです。

神というものは、はるか雲の上のかけ離れたところにいる存在としか認識していなかったからです。

自分にも神性を宿しているかもしれないと知ったのは、ずっと後になってからです。

 

そして今ようやく、内なる魂とのコミュニケーションを実感したばかりで、

「この瞬間にも受け取っているかもしれない、神のメッセージを理解しようと努力」

し始めたところなのです。

 

(※注)その後、信頼できる筋から、この「神との対話」シリーズのチャネリング情報は、霊界の低級霊による悪戯によるものとの指摘を得ました。

 

 

経験からの学び

 

魂からの語りかけは感情と思考、経験を通じて絶えずあったのですが、それらに耳を傾けて来なかったのではないかという指摘でした。

確かに気づかないで無視して来ましたのは、全面的に認めます。せっかく経験した内容を、自覚さえしていない場合も多々あったように思います。

 

本気になって経験から学んでいましたら、より高い境地に立って物事に対処できていましたに違いありません。

例えばいま、いろいろな制約の下で生きております。ここからどのようなメッセージをくみ取ればいいのでしょうか。

 

そう簡単には思い通りに事が運ばないというのは、裏を解せばもっと深く考える機会を与えてくれていると思えます。

違った角度からの思考を促すメッセージと受け取れます。あきらめずに、どれだけの強い意志を持って臨んでいるのかを試されているのかもしれません。

 

それでは自分が完璧ではないという体験を通して、学べます点はどんなものがあるでしょうか。

まず、限られた範囲の知識と思考パターンの中で、どのような最大限の成果が得られるかを考えて行けばいいと言えます。

 

次に、その成果を得るためにはどうすればいいのか、持てる知識を総動員しまして実行項目を練り上げます。

そして、その中ですぐ取りかかれるものから順に実践します。もしも成果が得られなかったときには、最初からやり直してみます。

 

以上のように考えてみましただけでも、経験から学べるものは実に多いというのがわかります。

 

 

真実は感情の中に

 

魂とコミュニケーションするには、どうすればいいのでしょうか。ある本によれば、魂は感情を通して語りかけていると言います。

自分が感じています、その中に多くの真実が含まれていると言うのです。

 

ではいま何を感じているのかを探ってみますと、特にこれといったものは見当たりませんでした

しかし、先ほど仕事のことを考えていましたとき、落ち着かない感じがしていました。

 

その原因を考えてみますと、商品が売れ残ったという現象に対して不安を感じていました。

お客さんに気に入ってもらえなかっただけですのに、どうしてそんなに深刻に受けとめるのでしょうか。

 

仕事は順風満帆でなければ、食っていけないのではないかという恐れを持っていました。

でも実際に食っていけないほどに困ったことは、いままでに一度だってなかったのにです。

 

もし、こうした感情が魂から来ているとしましたら、何を伝えようとしているのでしょうか。

売れ残らないほどに、もっと仕事に打ち込めと言うメッセージなのでしょうか。

 

あらゆる努力を傾けて、これ以上は考えられないほどの緻密さで仕事をしているかと問われれば、もちろんとは言い切れず、そういう意味では激励であります公算が大です。

ここまで来まして、ようやく魂の真意を受け取ることができたように思います。

 

 

体験的に知る

 

なぜ、創造のプロセスが始まったのかを想像してみました。ありとあらゆるものは元々一つの存在でありました。

あるとき、その存在は自分が全てであって完璧であることを知っていましたが、それが一体どういうことなのかを体験的にも知りたいと思ったのです。

 

そして、それを体験したくてたまらなくなりました。体験するためにはどうすればいいのかを考え、乗り物であります肉体と、それを統御し観察する分身(魂)が必要であることに気づいたのです。

そこで、体験したいという思いを徐々に大きく膨らませ、ついには大爆発を起こして一つだったものから、たくさんの微少な部分が生まれたのです。

 

「神智学大要」によりますと、大筋として超微粒子を束ねて基本となります構造物を作り上げましてから、それらをいくつか集めて物質の構成単位となる原子の基を作りました。

また違った角度から「神との対話」では、自分が光であることを知っている小さな魂がそこから離れ、闇の世界に入って光を体験として知る話があります。

 

もう一つの体験としては、許すというテーマで述べられています。なぜこの世に悪がはびこり、許せない状況があるのか、それを解きます意味深長な内容であります。

 

(※注)その後、信頼できる筋から、「神との対話」シリーズのチャネリング情報は、霊界の低級霊による悪戯によるものとの指摘を得ました。

 

意識して行う

 

日常、どんなことを心がけて過ごせばいいのでしょうか。朝、目覚めましたとき、一番に何を思い浮かべるかです。

少なくとも嫌な気持ちにさせますことは決して思い描かないように、できれば明るい気持ちになれますような言葉を口ずさむだけでもいいと思います。「よしっ、元気で行こう」と。

 

起きてから、いつもの仕度をやっていますときに、今日一日やり遂げたいことはないか考えて、何か一つやってみようと決めるのもいいのです。

仕事を始める場合には、いきなり取りかかるのではなく全体の流れをざっと描いた後、今日気をつけるところはどこかを考えてから取り組みます。

 

何をするにしましても、漠然とやらないようにしなければなりません。

これまでの長い習慣であります無造作にやってしまうのを、改めて行かなくてはならないのです。組み込まれたプログラムを変えて行くのです。

また無心になって行う場合もありますが、そんなときにも意識して行う必要があるのです。

 

やっていますことに、いつも気づいていますのが肝心なのであります。

身は起きていましても、半ば眠っているようなボーッとした状態に自分を置いてはいけないのです。

 

いままで、ただ身体を動かしているだけで、機械的に行っていたのがどれほどあったことでしょうか。

慣れるというのは一見、好ましいと思ってしまいますが、注意を怠り意識をそらします元凶でもあるのです。

 

 

必要な情報を見分ける

 

日常をどのようなことに心がけて、過ごすようにすればよいのでしょうか。

特に何も気にかけずに過ごしますと、どういうことになるのかだけは理解できたように思います。

 

すなわち、いつの間にか過去の世界に舞い戻り、あれこれと心のおしゃべりを延々と繰り返すようにプログラムされていると言えます。

ですから、充分に気をつけて、何らかの対策を講じなければならないわけです。

 

テレビやラジオなどに身も心も預けますと、いったいどういうことになるのかは察しがつきます。

気づかずに他人に文字通り操られた人間に成り下がってしまい、もう自分では考えようとしなくなってしまいます。

 

それでなくても身の回りには、一種の洗脳と思われるような情報であふれています。

毎年モデルチェンジしないと、時代遅れを感じさせるトレンドな車が走っています。

保険会社のセールスマンが玄関に現れて、将来への心配の種を運んできます。

ショッピングでは便利さや安さ、お買い得品で注意を引いて購買欲を駆り立てます。

 

これらはどれ一つも、ほんとうに重要な部類に入るものではないのです。食べ物で例えれば、どれもがジャンクフードに当たります。

本来は必要でない、そういうものばかり食べていますと、肝心の栄養あるものが食べられなくなってしまうのです。

 

美味しくて身体のためになるのは、どういうものかを普段から考えていなければならないのです。

自分を高めて力を与えてくれるような生き方を奨励します情報を、自ら求めて行く時代にいるという認識を持たなくてはならないのです。