「自分を磨く」カテゴリーアーカイブ

人は人によって磨かれる

豊かさを求める

 

この宇宙が生まれました理由のひとつは、より豊かさを追求するためではないかと思われます。

それを実現して行く媒体として人間や他の生物が創造されまして、豊かさを生み出す源泉として自由意志や創造性、想像力などが賦与されたように思うのです。

奴隷のように酷使されたり、操作されたりするために人類が生まれたのでは決してありません。

 

全体がより豊かになりますには、構成員の個々が創造性を発揮して豊かになり、更なる豊かさを求め続ける意思を貫かなければなりません。

それから各個人が個人の域を一刻も早く抜け出し、グループから全体へと思考の枠を広げて行きまして、知恵を最大限に働かせる必要があります。

真の個人の豊かさは全体の豊かさから、もたらされるものであるからです。

 

個人が行います第一歩としまして、信頼に裏付けられました愛を自身と周りにできる限り満たします。

そして、周りのありとあらゆる存在の本質である愛を見届けます。

どんな出来事にも意味があることを認め、それらを謙虚に受けとめます。

この人生は自分を磨く修行の場と考えますと、何が来ようとも恐れるに足らずです。

 

 

体験から学ぶ

 

いわゆる闇に対しまして、どのように対処していけばいいのでしょうか。

光だけを受け入れて闇には断固として拒絶すれば、それですむのでしょうか。なぜ闇と称せられるものが存在するのでしょうか。

 

この世の中に無駄なものは何ひとつないと考えますと、闇にも何か重要な役割がありますように思われます。

諸々の誘惑に負けましたり退廃的な行動に走ってしまったりしますのも、その根となる怠惰な性質が自分の内にもあったからです。

そのことに気づけましたのも、引き金となります魔の力に出会ったからです。

 

これではいけないと思って強くあろうと努力し、自分の身を立て直す方向に行かせるきっかけを与えてくれたのです。

あるいは、そのままズルズルと深みにはまってしまって、頭をガツンとやられるまで気づかない場合もあります。

いずれにしましても、学びがそこに生まれるわけです。

 

闇と呼ばれますものの中には、様々な試練を人間に与えますことで、向上しようという意欲を呼び覚ます役目になっています。

それに関連しまして、下降があってはじめて上昇が生まれるという構図もあります。

 

成長しますには、それを阻む要因を必要とするのです。不幸な体験を経ましたからこそ、幸福の有り難みを実感できるのと同じです。

夜の明けない朝はないと言われますように、仮にどんな逆境に見舞われましても、いつかは去って行くものであって耐える力を養うときであります。

 

 

意図を持って行う

 

観察者の視点をつねに持っていることの重要性は、思っている以上に大きいように思います。

本来の自分を忘れてしまいますのは、体験者に成りきってそのまま突っ走ってしまうからでした。

 

ですから冷静でいられますように、あまり深刻に物事を受けとめないように注意する必要があるのです。

体験者の身として気をつけなければいけないのは、ほかにどういう点があるでしょうか。

 

選択した結果によりましては、恐れで固まってしまって身動きが取れなくなります。

恐怖心を抱きますのは決して悪いことではなく、何かを教えてくれるサインだとして受けとめるように切り替えます。

 

もし恐怖を感じましたら、そこから逃げ出そうとせずに何に恐れているのか、その恐れるものをじっと見つめて対峙するのです。

これは自分に何を伝えようとしているのか、と考えます。

 

そのほとんどが、不注意によるものや軽はずみな行動に対する警告でありまして、以後充分に注意して行かなければと思うのです。

普段から明確な意図を持って、事に当たっているかどうかが問われています。

 

「よしっ、自分を信じてやろう」と、体験者であります自分に信頼を寄せますことで、その信頼に応えます自分がもう一方にいるのを忘れないことなのです。

 

 

進化と奉仕の道

 

気がついて感謝したとしましても、その後がいつも通りでありましたら、あまりにもったいない話です。

何も知らないでいるより気づけましただけでも幸運だったわけですが、それを今後に生かしていくには、どうすればいいのでしょうか。

 

愛するものに囲まれている自分とは、いったい何者なのでありましょうか。もっと自分自身について知る必要があります。

すべてのものにも意識があるとしますと、それらは黙って人間に奉仕していますように考えられます。

なぜそうするのでしょうか。そのことによって、かれらは着実に進化の道を歩んでいるようなのです。

 

同じように進化をめざしています人間は、誰に奉仕していけばいいのでしょうか。

その相手とは同胞の人間であり、それ以外には考えられないと思われます。

 

ひとつの生命は他の多くの生命に依存し、生命同士がお互いに支え合って生きています。

今の自分がありますのは、計り知れないほど多くの生命の奉仕による恩恵を受けているからと言えます。

そのことにどれだけ気づいて生活しているのか、それが問われています。

 

意識していませんが、まわりの奉仕する心に自分は信頼をおきまして、現在もこうして生きようとしています。

全体を思いその幸せを願う身であります故、他者から信頼に値するものでありたいと切望せずにはいられないのです。

 

 

愛するもの

 

いつも感謝していますことがあります。それはお風呂の湯沸かし器です。

もう25年以上に渡って稼働していますが、普通はそんなには持たないそうなのです。

風呂に入る度に、ありがとうと礼を言っているのです。このとき、同時に愛でる気持ちも送りつづけておりました。

密かに、愛が通じていますのを感じるのでした。

 

また仕事面では、いくつかの機械を毎日、使っていますが、どれも20年以上の間、現役でいまなお頑張ってくれています。

考えてみますと、まだほかにもたくさん動いてくれています機械類があります。

 

これからは、もっときちんと言葉にして感謝を述べていかなくてはなりません。

どんな機器でありましても使いますときは、感謝していますことを正直に伝えますのが大切だとつくづく思うのです。

「使わせていただきます。いつもありがとう!」と。

 

そして自分の肉体に対しても、まったく同じだと思うに至りました。

どれだけ感謝しましても仕切れないほど四六時中、世話になっていますのが身体です。

心から愛していますことを、もっとも多く伝えなくては申し訳が立たないです。

 

愛と感謝のエネルギーも、この身体を通して流れていくように思われます。

気がつきますと感謝し、愛するもので取り囲まれていますのが、いまの自分という存在なのでありました。

 

 

毎日ワークを実践

 

心構えとしては、真の望みだけを描き、私利私欲を捨てて、やるべきことに集中することです。

そのひとつひとつをどのようにして行い、定着させていきますのか。それを次に考えていかなくてはなりません。

 

ほんとうの自分にとっての望みは、全体の幸せと霊的に進化しますことしかあり得ません。

あれこれと欲望を持ちますのは、個別意識が支配しているときなのです。

ですから全体意識に通じていますには、愛に意識を置かなくてはなりません。

 

自分がもし愛でありますなら、どう行動するでありましょうかと考えてみます。

私利私欲を持たないようになるためにも、つねに愛とともにいることが重要となります。

考えようによっては、自分の身体や周りのあらゆるものが愛で満ちていると言えるかも知れません。

 

ずっと以前に、あるワークショップで二人一組になって両手から愛のエネルギーを送るワークをやりましたところ、相手はびっくりするほどのエネルギーを感じたと言っていました。

愛は意識できますだけでなく、自分からエネルギーとして送り出すのも可能だと知りました。

 

意識的に見たり触れたりするときには、そのものに愛を差し出しているようにも思えます。

意識を集中させるとは、一心に愛のエネルギーを投じるということではないでしょうか。

毎日、愛のワークを実践して行くと考えればいいわけです。

 

 

意識を意識する

 

車の運転している最中に、どんな行動を取りますかは、そのときの意識状態で大きく異なるのに気がつきました。

愛を意識していますときは、ていねいな運転を自然とやっていますが、いつの間にか通常の個別意識に戻っているのです。

 

信号のない交差点に差しかかっても、左右の確認をおろそかにして先を急ごうとするのです。

そんな独りよがりの行動を平気でやっておりました。

 

個別意識の自己中心的な性質が、ハンドルを握ると顕著に表れていますのには驚きます。

これでは周りに何らかの害を与える可能性が常にありますので、この通常の意識状態を何とかしなくてはなりません。

そうは言っても手強い相手でありますし、一筋縄では行かないのは確かです。

 

個別意識を敵視したり、無視したりしても無駄でありますどころか、かえって身勝手さを助長しますことにもなりかねません。

どのようにして、個別意識と折り合いを付けて行くのか、それを考えますほうが得策のようです。

 

愛や幸せという言葉だけよりも、それをイメージにして心に満たし、それを絶えず意識できるようになるには、どのようなステップを踏めばいいのでしょうか。

人生の大半を、この意識のもとで生きて来ましたから、それを変えて行きますのは容易ではありませんが、何とかしてやって行かなくてはと思うのです。

 

 

 

すべてを思う

 

なぜ、みんなのことだけを考えて行くのでしょうか。それがほんとうの自分と同調できます領域に、もっとも近いからではないでしょうか。

個別の意識から抜け出しまして距離を保つには、最良の方法と思われるからです。

 

それは親元を離れた自分が親を思い、慈しむ心を呼び覚ましてくれるようなものなのです。

みんなを思い描こうとしますと、そのみんなから祝福を受けているように感じます。

しかも、ずっとこれまで祝福されていましたのに気づかされます。とても癒やされます。無条件の愛とは、このことでありました。

 

自分とは、いったい何だったのでしょうか。そこでは自分というものが、どこにも見当たらないのです。

しかし現実の中に意識を戻しましたら、自分といういつもの感覚にいるのです。

個別意識と全体意識の違いを垣間見ましたように思えます。ほんとうの自分は、全体意識とつながっていますのが理解できたような気がします。

 

意識面でみんなとつながっているとは、こういうことでありました。

そのつながりを無視しますことで、個別意識が表れて来るのでした。出来るだけ、みんなに意識を合わすように心がけます。

どちらの意識に焦点を合わせているのか、それを意識しておくのが重要なことのように思われます。