「自分を磨く」カテゴリーアーカイブ

人は人によって磨かれる

すべてを思う

 

なぜ、みんなのことだけを考えて行くのでしょうか。それがほんとうの自分と同調できます領域に、もっとも近いからではないでしょうか。

個別の意識から抜け出しまして距離を保つには、最良の方法と思われるからです。

 

それは親元を離れた自分が親を思い、慈しむ心を呼び覚ましてくれるようなものなのです。

みんなを思い描こうとしますと、そのみんなから祝福を受けているように感じます。

しかも、ずっとこれまで祝福されていましたのに気づかされます。とても癒やされます。無条件の愛とは、このことでありました。

 

自分とは、いったい何だったのでしょうか。そこでは自分というものが、どこにも見当たらないのです。

しかし現実の中に意識を戻しましたら、自分といういつもの感覚にいるのです。

個別意識と全体意識の違いを垣間見ましたように思えます。ほんとうの自分は、全体意識とつながっていますのが理解できたような気がします。

 

意識面でみんなとつながっているとは、こういうことでありました。

そのつながりを無視しますことで、個別意識が表れて来るのでした。出来るだけ、みんなに意識を合わすように心がけます。

どちらの意識に焦点を合わせているのか、それを意識しておくのが重要なことのように思われます。

 

 

同胞と向き合う

 

先日、久しぶりに親しい人と話す機会がありました。相手の方が一時、体調を崩されて、その理由をいろいろと言われていました。

それを聞きました後、そうではなくこうすべきだと諭すように自分は言っていたのです。相手のあり方を駄目だと否定していましたのに、後で気がつきました。

 

どれだけ優しく言ったとしましても、自分の意見を押しつけていたことに変わりはありません。どうしてこうした行動に走ってしまうのかを考えてみました。

ひとつには、相手を上から目線で見ていました。気づかない内に傲慢な姿勢で応対していました。そうでなければ、相手を批判するような接し方は生まれて来なかったはずです。

どんな高尚なことを考えて行きましても、人を見下し驕りある態度が出て来ます素地が自分にあるということです。

それを認めて警戒を怠らないで行きますと共に、謙虚さをもっと養って行かなければと思いました。

 

ふたつ目としまして、人にはそれぞれ、その人自身を常に見守っています存在がいます。

ですから、人のことはその人に任せまして自分が心配します必要はなく、それよりも自分を正しますことに専念すべきなのです。

 

みっつ目として、ひとつ目と関連しますが、相手が誰でありましても、その相手と自分とは人間的に全く対等であります点です。

たとえ年齢や地位などがどんなに離れていましても、それらは本質にはいっさい関係がないのです。

同じ道を歩みます同胞として、お互いに向き合っているのですから、それを決して忘れてはならないと思いました。

 

 

霊的な成長

 

人が生きている意味は、霊的に成長して行くことにありました。

いろいろな本で読んで来まして、それをようやく知り得ましたが、そういう核心的な事柄を、どうして学校では教えないのでしょうか。

毎日、生活費を稼ぐために仕事をし、欲望を満たして消費するだけが人生のすべてであるとは、とうてい思えません。

 

人間が霊的に進化しますとは、どんなことでありましょうか。

高度に進化した人というのは、普通の人にはない雰囲気(オーラ)をまわりに漂わせていると言われています。

どんな人にもその人独自の雰囲気をまわりに放ってはいるのですが、その力が微弱なため他の人には感じられないだけかも知れません。

 

霊的に進化しますと人が本来、持っています各能力は高まりますと共に、特殊な能力も発揮できるようになると言います。

もっとも、そうした超能力なるものは成長して行く過程で起きます付随的な出来事でありますので注意しなくてはなりません。

 

霊的に成長するとは、イメージとして何となくわかるような気がしますが、ほんとうはどういうことなのか、まだ完全に把握できているわけではありません。

イメージ的には次のようなものが上げられそうです。自我や感情をコントロールできますのと、意識が高く大きな視野で物事を深く思考できて来ます。

人間の起源とその本質、地球や宇宙の成り立ちが理解できております。

 

 

人生の役目

 

もし人に数多くの人生というものがあるとすれば、その中のひとつに過ぎない、いまの人生をどのようにとらえて行けばいいのでしょうか。

そもそも自分が望んだわけでもないのに、なぜ人間は人生というものが与えられているのでしょうか。

すぐ出てくる答えは、さまざまな体験を通して学んでいくための舞台として人生があるということです。

 

もう二度とおなじ辛い思いをしなくて済むように、自分のおかした間違いや失敗から何か学び取ろうと、努力するのが人間ではないかと思います。

少しでも「ましな生活」をしようと、少しは「まともな人間」になろうとして、なんとか知恵を働かせるものだと思うのです。

 

みずから進んで学ぶというよりは、どちらかといえば、学んで行かざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。

何も学ぼうとしない、ずっと学ばない選択をする人も中にはいますが、敢えてそのように振る舞っているだけで、そういう人はいずれ大きな代償を払ってでも学ぶことになるのです。

 

この学び続けるという選択は、簡単なことのようで非常に難しいことがわかってきます。

いったい何を学び、どのように学んで、それをどう活かして行ったらいいのかという問題です。

学んだつもりだったのに、結局何も学んでいなかったと気づかされることが何度あったことでしょうか。

 

人生でたったひとつのことでいいから、それに関しては十二分に学べたと胸を張れるほどに、学び尽くしたいものです。

ひとつのことを浅く学んで終わりにするのか、または、ひとつのことからどれだけ深く学びとおすのか、そのことを学ばせるのも人生の役目のような気がします。

 

そして、人にはそれぞれ、その人生で掘り下げていくべきテーマというものがあるようです。

それが何であるのかは重要なことですが、人生を歩んでいくうちに何となくわかってくるもののようです。

 

 

より強くなれる人

 

悩みに圧倒されてしまい、ほかのことに手がつけられない状態になっている自分に気づいたら、どうすればいいのか、を考えました。

いったん、ほかのことにはいっさい目もくれずに、徹底して悩んでみることをおすすめします。

悩み抜く決意をしてみてください。

そうすることで、徐々に悩みというものの実態やその本質のようなものが、何となく見えて来るようになると思います。

 

一度、声に出して、自分はどういうことにどう悩んでいるのかを言ってみてください。

うまく言う必要はなく、出てくる言葉を声に出し、何度も言い換えて言ってみます。

こんどは、なぜそのことで自分は悩んでいるのか、理由を言ってみます。

 

次に最悪の事態になったとして、自分はどこまでなら受け入れられるか、勇気を出して言ってみてください。

そこまで出来るなら、全部引き受けてみるぞと、言葉にして言うだけでいいので言ってみましょう。

よくぞ言いきったと自分を褒めてあげてください。

 

ここまでやれたら、だいぶ気持ちが整理できたのではないでしょうか。さいごに次のことを考えてみてください。

最悪な状況にならないように、いま自分に出来ることがいくつかあるはずだと。

 

何でもいいので、それを10個以上リストアップしてください。

そのうち、すぐやれるものから、ひとつずつ実行してください。悩みに注いできた力を、生きる力に変えていきます。

 

それから、もうひとつ提案したいことがあります。

とことん自分のことで思い悩んだあとは、一旦これらの悩みごとをすべて頭から追い出してください。

そして今度は、どれだけ他者のことを思えるかを試してみます。

 

自分と関わっている人たち、一人ずつ思い浮かべて、その人にしてあげられること、喜んでもらえることは何か、考えていきます。

するかしないかは別にして、とにかく些細なこと、ちょっとしたことでいいので考えてみるのです。

 

人間としての器は、どこまで他者のことを自分ごとのように思えるか、それで決まるといわれています。

自分の器を大きくすることによって、これまでの悩みをぜんぶ自分の強みに、転換してしまう意気込みで明日を迎えましょう。

自分に帰る

 

ヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」は、「自分に帰れ」ということを伝えたかったのだと思いますが、なぜ自分に帰る必要があるのか、考えてみたいと思います。

 

「デミアン」が書かれた年代では、第一次世界大戦が起こっています。

戦争というものは、いままで生きてきた世界が崩壊したようなショックを人々に与えるのではないでしょうか。

 

著者は、基盤にしていた現実の世界が目の前で崩れ去り、その世界をより所にしていた自分とは、いったい何だったのかという内面の叫びで、何か大きな間違いを自分がして来たことに、はじめて気づかされたのではないかと思うのです。

そして長い神経症とその治癒の解明をへて、人間の本質へとつながる自己探求の道に、活路を見出すことになります。

 

この本で、もうひとつ感銘をうけたのは、主人公ジンクレールにさまざまな指南を与えつづけたデミアンという人物は、実はジンクレール自身であったということです。

自己を導いてくれるのは、自己自身しかいない、という最後のメッセージはとくに印象深いものでした。

 

他にも教えられることが、この本にはたくさんありますが、ここまでで学んだことをまとめてみました。

人間として生まれてきたのは、人生という航海をとおして自分自身に、少しでも近づけるように努力するためであり、人間が人間に完全になることが最終的な目標であるということです。

 

自分が帰るべきところは、自分自身にしかないことを心にきざんで、百パーセント自分自身になることをいつも意識して、これからの半生を生きていくことが大切だということです。

 

 

いまという時

 

少しでも人生を振り返ってみたことのある人が、そこで大きな価値を見つけ出すのは、決まって、

自分を前進させてくれたものであったり、新しい経験だったり、思い込みから自分を解放してくれたもの、などであったことです。

しかし、それらはすべて、その当時の自分からすれば、決して心地よいものではなく、むしろ辛い思いをさせるものばかりであったはずです。

 

こうした自分の殻から抜け出すきっかけとなった出来事は、いきなりやって来るものですが、それ以前にそれを招くような布石を、自分が打っていたことに気づく必要があります。

身に覚えがなくても、自分が脱皮を繰り返して行くために、その結果を生むような原因の種を、自分がその都度まいていたのです。

 

もし、いま困難なことにぶつかり、それを乗り越えようとしている最中なら、それは将来の飛躍に不可欠な体験をしているのかもしれないのです。

そう思うとより一層身を入れて、この場を切り抜けようとするものです。いい加減にすませたり、手を抜くことは出来なくなるものです。

 

だからといって、いまというときを未来を案じることに、奪われないよう注意しなくてはなりません。

いまでしか、やれないこと、それだけをやって行く。確実に積み上げていくには、それが基本のような気がします。

 

未来というものは、着々といま造られつつありますが、古い過去が見直され、新しい過去が造られるのもいまなのです。

そうした未来や過去が集まる、いまという大切な時に、

「自分はいったい何をやろうとしているのか?」

「いま何をやっているのか?」

こう問うことで、自分自身に連れて行ってくれる道の、真っただ中にいる自分に気づくのです。

 

 

信じて行動

 

自分自身に連れて行ってくれる道とは、自分自身に忠実に生きていくプロセスでもあると思われます。

自分ひとりでその道をたどるのは容易でありませんが、サポートしてくれる誰かがいれば何とか歩んでいけるものです。

 

そのサポート役が自分の中にいることを普通、気づかないものです。

窮地に追い込まれるなどのきっかけがあれば、ちゃんと役割を果たしてくれる頼もしい存在です。

だから自分自身を信じて行動すれば、自ずと道は開かれるといわれるのです。

 

また、自分から行動を起こしていかなければ、いつまでたってもサポートは得られないともいえます。

なぜ自由意志というものが自分に与えられているのか、それを積極的に行使する機会を逃してはもったいないことになるわけです。

 

あくまでも自分が主体となって事を起こすことが大事になってきます。

楽な道や寄り道ばかりに時間をつぶしていると、心はいつまでもむなしさに満たされたままです。

 

もっとも人にはそれぞれ、自分自身に連れて行ってくれる道を歩み始める時期というものがあります。

あせってみたり急ぐ必要もなく、その人のベストなタイミングでその時期がやって来ます.

そしたら本腰を入れて取組めばいいだけです。

 

人間が生まれてきた理由は、放蕩息子として様々な経験を経て、ようやく我が家に戻るというシナリオを体験するためなのですから。