「心と人間関係」カテゴリーアーカイブ

なぜ、この世界があるのか?

 

私たちが肉体をもって生まれてきたのは一体、何のためでしょうか?

 

もしそのことが本当にわかったなら、この世で悩んだりすることはまったくもってナンセンスだということに氣づけるはずです。

 

私たちが物質世界で生きているのは、ここでの様々な体験を通して精神的な成長を積むためだとしたら、どうでしょうか。

 

ミシェル・デマルケ著「超巨大宇宙文明の真相」において、はるかに進化した異星人が地球人に対して語っています。

 

あなた方はどのように生き、苦しみ、死ぬのかを学ぶためだけでなく、できるだけ精神性を高めるために地球にいるのです。

 

人間は精神性を高めるために、肉体を持って存在しているというのです。

 

精神的な成長や精神性を高めるには、どうすればいいのでしょうか?

ひとつには、赦すことだったのです。

 

どんなことに対しても、それを赦すことを学んでいくことです。

どんな人に対しても、優しく接する知恵を獲得することなのです。

 

 

 

 

好き勝手な行動を許す

 

人との関係が上手く行っていないとき、次の質問をしてみることです。

自分は周りの人たちに、好き勝手な行動を許しているだろうか?

 

とかく人のことを、批判する目で見がちです。

そうしたことが続くと、徐々に関係がギクシャクして来ます。

そんなとき周りの人たちに好き勝手な行動を許すだけで、関係が改善できます。

 

私たちは両極端を行ったり来たりして、ダンスを楽しむために生きているのです。

これは自分自身に対してにも言えることなのです。

 

 

もし何らかの怖れを感じているときは、ありのままの自分を出し切っていない可能性があります。

自分にどんなことも自由に表現していいんだと認めれば、怖れは消えてなくなります。

 

本来の自分というものは、もともと変わることのない存在です。

しかし様々な経験をするために自由意思を与えられ、この相対的な世界に生まれて来ました。

 

例えば辛い体験をすることによって、はじめて楽しい体験というものがわかるのです。

辛いことを味わったことがなければ、嬉しさを存分に味わうことはできないのです。

ですから、どんなに辛くても決して逃げてはならないのです。

 

辛い場面で、いま自分は体験しているんだと、第三者の目で自分をとらえることが大切です。

どんなこともそうですが、自分がすべての状況を引き寄せているということです。

つまり必要なときに、必要な体験を自ら選んで、創造しているのです。

 

自己成長を願い、自分の内面がそうした困難な状態をつくり上げているとも言えます。

しかし意識が拡大していくに従って、こうした厳しさも軽減して行くものです。

相対的な世界では、こうしたことを理解しておくことです。

 

 

個人的なことより、全体のことを意識する

 

以前までは自分にとってプラスになることだけを考え、行動していても生活は成り立っていました。

しかし今は、それでは立ちゆかなくなりつつあります。

 

まわりの人々や世界にとってプラスになることを思い実行すると、うまく回って行くようなのです。

自分の行動したことによる結果が、すぐ現れてくるようになりました。

 

例えば、お客さんが喜んでいるところを想像しながら、パンを焼いていると、とてもうまく焼けるのです。

社会全体も、何となくそのような流れになって来ているような氣がします。

 

これからは意識の上で、自分と他人という境界があいまいになり、自他の区別はなくなっていくようです。

だから、自分が関わる物事はすべて自分ごとである、という視点で考えて行動していくことが要求されます。

つまり相手が得することは、すべて自分の得でもあるということです。

 

あるいは、自分の損得勘定は抜きにして、社会全体が良くなることだけを考え行動すれば、いい結果になるとも言えます。

自分という、とらえ方を根本から変えていく必要があります。

自分を、小さな個人的なものに限定しないで、広く全世界の人々ともつながる、大きな存在の一部であると考えます。

 

だから自分でないものは、何もないということです。

すべてが自分だとしたら、憎むことや争うことは無意味です。

自分でもある相手を励ましたり、引き上げ高めることしかなく、他にやることはないのです。

 

 

なぜ愛で対応することを切望するのか

 

なぜ、愛で対応することを切望するのか?

どうしてもイラツイてしまう自分の性格を

何としてでも変えたいという思いからでした。

 

例えば、自分が簡単にやれることや理解できることを、

娘がそのようにできないときに、

ついイライラしてしまうのが常でした。

 

また妻との会話で、

自分の言ったことが

全く予期しない形で受け取られたときは、

あきれてしまい

その先が言えなくなって、

会話が続かなくなることがよくありました。

 

なぜそうしたときに、

セッカチな性格があらわれてくるのか。

それがようやくわかりました。

 

娘や妻の言動の中に、

できない自分やトンチンカンな自分を

見ていて、

そんな歯がゆい自分に

耐えられないからでした。

 

かつてのできない自分、

知らない自分を

いまだに許していなかったのです。

 

人から「できないくせに」

とか

「そんなことも知らないくせに」

と言われて、

また

自分でも自分をそうした言葉で責め立て、

その度に縮こまっている自分を

見ていられないからでした。

 

それで状況を変えるためには、

自分の未熟さを

心から許し

受け入れることと、

そんな自分を

愛で対応するように実践する

ことが先決だとわかりました。

 

まず未熟な自分を

愛で対応できるようになって、

はじめて妻や娘に対しても

同じように

接するようになれる

ということです。

 

日々、自分とどう付き合っているのか?

それが

対人関係のあり方をも決めている。

そのことが今回、理解できたのです。

 

やったことが返って来る体験

自分が出合う状況には、
それなりの意味があること、
その場の自分にふさわしい、
必要なことだということ
を改めて
知る機会がありました。

それは、
出来事をどのように
受けとめたかによって、
違ったものに見える、
印象的な体験でした。

『人の振り見て、我が振り直せ』
という故事どおりに、
望まないことを人からされた時、
それを
自分がやったことに
置きかえてみて、
考えることによって
これまで見えていなかったものが
見えて来たのです。

自分の見方が自分の考えを
大きく支配していることを思い知りました。

自分の見方を変えただけで
周りの状況が違ったように
見え始めたのです。

もし、一つの見方しかできず、
ほかの見方があることに
まったく気づけなかったり、
間違った見方をしていることに
気づかなかったら、
間違った考えで、
間違った行動を
とり続けていたことになります。

わが身を振り返ることの
難しさとともに、
その大切さを
痛感する出来事でした。

今日の朝食です。
自分が焼いたパン、地元でとれた各野菜のサラダ。
それに妹から届いたりんごでした。
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