「自分を知る」カテゴリーアーカイブ

宇宙を知ること

すさまじく思うこと

 

「成し遂げる」とは、

どういうことなのでしょうか?

稲盛和夫さんの著書

「生き方」には、

次のような言葉があります。

 

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すさまじく思うことが大切

 

強烈な願望として

寝ても覚めて四六時中そのことを

思いつづけ考え抜く。

 

頭のてっぺんからつま先まで

全身をその思いでいっぱいにして、

切れば血の代わりに「思い」が流れる

 

それほどまでにひたむきに

強く一筋に思うこと、

そのことが物事を成就させる

原動力となる

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過去を振り返ると

これまで本当にバカなことばかり

わたしはやって来ました。

これからも、

それは続くことでしょう。

 

ただ同じバカをするにしても、

少しはマシな選択ができる

生き方ができたら‥と、

そう願っています。

 

これからも一生懸命に

バカなことをすることでしょう。

 

それを軽減するには、

心から湧き出てくる「思い」に、

どれだけ素直に従えるか!

それが重要だということです。

 

自分の主義や主張に

生きるのではなく、

心から湧き出て来る

「思いを生きる」こと。

 

これができているかが

最も大切なことです。

まわりの環境が

どのような状態であっても

構わないのです。

 

物事を成就する上で

問われるのは、

まわりの状況よりも

「わたし自身が、どうであるか」

ということです。

 

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こちらの思いの深さと

観察の鋭さに応じて、

無機質であるはずの

現場や製品にも

「生命」が宿り、

無言の声を発する‥

 

いわば

「心に物がこたえる」

瞬間を経て、

物事は成就していく

――――――――――――――――

 

自分がおかす愚かさに

目を光らせ、

よりマシな選択が行えるよう

謙虚になることです。

 

自分の思いに

忠実に従うとともに、

まわり状況を

ありのままとらえる

必要があります。

 

成就するとは、

自分の思いを

一途に確立して行く

ことです。

 

そのプロセスを通じて、

はじめて

まわりに貢献できる道

も見えて来ます。

 

 

バカな自分を思い知る

 

もう一度やり直せるものなら、

やり直したいと思うほど、

バカなことをして来ました。

その最たるものが、

これまでの娘との関わり方です。

 
例えば、娘が小学生のころ、

前から故障していたビデオ機を

早く直して!

と腹を立てて言ってきた

ときのことです。

 

それに対して

わたしは「もう直さない!」

と言ったのです。

「前もそうやって

大事に使おうとしていないので、

また故障するから直さない」

と言いました。

 

そして

「感謝して使っている?」

と聞いたのです。

娘は

その感謝して使うということに、

どうしていいか、

わからないようでした。

 

そして涙を出して、

懸命に言い返そうと

していました。

そんな娘に対して、

わたしは

心を寄せる余裕もなく、

自分の言いたいことしか

頭にありませんでした。

 

「世界には、ビデオを

使えない人がたくさんいる」

と言うと、娘は

「そういう人は、

そこに産まれたのが悪い」

と言いました。

自分には関係がない

という風でした。

 

更に、わたしは

前々から思っていたことを

言い放ったのです。

「テレビも買い換える

必要があっても買わない」

と‥。

 

後になって、

娘にどうなって欲しいか、

希望をきちんと伝える

必要性を感じたものの、

その後で

しっかりフォローをしたという

記憶がないのです。

 

娘に対して

良かれと思って

やったことの多くは

自分の考えを

押し付けること

だったのです。

 

これを思い出すたびに

自分のバカさ加減

とともに、

謙虚になることを

思い知るのです。

 

 

なぜ愛で対応することを切望するのか

 

なぜ、愛で対応することを切望するのか?

どうしてもイラツイてしまう自分の性格を

何としてでも変えたいという思いからでした。

 

例えば、自分が簡単にやれることや理解できることを、

娘がそのようにできないときに、

ついイライラしてしまうのが常でした。

 

また妻との会話で、

自分の言ったことが

全く予期しない形で受け取られたときは、

あきれてしまい

その先が言えなくなって、

会話が続かなくなることがよくありました。

 

なぜそうしたときに、

セッカチな性格があらわれてくるのか。

それがようやくわかりました。

 

娘や妻の言動の中に、

できない自分やトンチンカンな自分を

見ていて、

そんな歯がゆい自分に

耐えられないからでした。

 

かつてのできない自分、

知らない自分を

いまだに許していなかったのです。

 

人から「できないくせに」

とか

「そんなことも知らないくせに」

と言われて、

また

自分でも自分をそうした言葉で責め立て、

その度に縮こまっている自分を

見ていられないからでした。

 

それで状況を変えるためには、

自分の未熟さを

心から許し

受け入れることと、

そんな自分を

愛で対応するように実践する

ことが先決だとわかりました。

 

まず未熟な自分を

愛で対応できるようになって、

はじめて妻や娘に対しても

同じように

接するようになれる

ということです。

 

日々、自分とどう付き合っているのか?

それが

対人関係のあり方をも決めている。

そのことが今回、理解できたのです。

 

自分と上手に付き合う

 

「自分と上手に付き合って行く」、

その大切さについて書いてみます。

 

1年前に毎日10分くらい、

きついが身体に良い体操をやり始めました。

そのときに「続けるコツ」

のようなものをつかめたのです。

 

それは、自分で分量を20回やると決めたら、

その分量を守ることです。

やってはいけないのは、

その分量を増やしたりすることです。

 

それをやったために

自分の中で反動が生まれ、

やる意欲まで失くしてしまったことが

過去にありました。

 

自分に課す努力目標が困難であればあるほど、

それに取り組んでいる自分に対して、

いい加減な態度は禁物だということです。

 

だから、決めた分量をこなしたら、

それで切り上げるようにしています。

やった自分と喜びを分かち合うようにしてから、

ずっと続けることができています。

 

自分と約束をした場合に、

それを守るのは誰かといえば、

子どものような従順な、

もうひとりの自分なのです。

 

その「子ども」を信頼し向き合って行けば

いい結果が生まれます。

もし自分の中の子どもを粗末に扱えば、

決していい結果は生まれないのです。

そのことに気づいたとき、

やっと自分と和解できて

清々しい気持ちになれました。

 

結局、いまの自分にできることは、

「信じること」

「誠実に対話すること」

「全力で協力すること」

なのです。

 

自分が何かを成し遂げるということは

内面で、

いかに親密な関係を築き上げるか

にかかっていると言えます。

 

それがあってはじめて、

他者とも良好な関係が結べるものなのです。

 

 

 

「書く力」をもらいました

 

しばらく途絶えていましたが、

またブログを再開したくなりました。

 

イケダハヤトさんの

「武器としての書く技術」

を読み改めて

「書くことの力」を再認識しました。

特に、

ためになったところを列挙してみます。

 

「本心からの意見を怖れず発信する勇気を持つ」

これまで自分の中に、

遠慮して言えなかったことがたくさんjあったことを認めました。

 

「自分の言いにくいことは、誰かの言ってほしいこと」

そういえば、

過去に敢えて言いにくいことを言って、

みんなから喜ばれたことがあったことを思い出しました。

 

「完璧主義をやめる」

完璧でないという理由で、

下書きのまま放置してきた記事がかなりありました。

 

「新しい価値を提案すれば、必ず批判が起こる」

批判に対しては寛容になるチャンスだととらえ、

発信して行く力に取り込んでいける自分をめざして行きます。

 

「表現することは自分の癒しであり、

それを見ている鑑賞者にとっても癒しとして機能する」

内から湧き起こるものや表現したいものを、

そのまま表現することが、

自分やそれを受け取る人の癒しになる、

と絶えず言い聞かそう。

 

「本当にそう思うなら、強く断定すればいい」

確かにブログを書き始める前と比べると、

かなり断定できるようになりました。

しかし、もっと勢いを付けて行くことにしました。

 

ここまで書いてみて、

「周りを気にする自分」というものの存在の大きさに、

改めて気づけました。

 

書き続けることの大切さを、

いま一度、頭に叩き込むことができした。

完璧さを求めずに、

ブログ記事をまた書き続けて行こうと決めました。