「心を鍛える」カテゴリーアーカイブ

裁くことを慎む

「何があっても裁かない」を実践する難しさを、改めて実感する機会が

ありました。

相手のちょっとしたことに「こうしたらどう?」と言うのも、広い意味では

裁いていることになるのです。

 

昨日、娘が旅行から帰って来て、荷物が玄関脇に置いたままになっていた

ので、言い放ったのです。

「荷物をさっさと片付けたら、どう!」と。

 

理想は、そうした状態をも許すことでした。

それが私の本来、取るべき態度であったのです。

後になって、そのことに氣づく自分でした。

 

もちろん普通に考えれば親の勤めとして、片付けるように言うのは何も

間違ってはいないでしょう。

 

しかしこの場合、躾には当てはまらないのです。

相手がやるべきだと思うことを、相手がやっていなかったので、そのことを

裁いていたのです。

だから、私はやってしまったと思ったわけです。

 

どうしてこうも簡単に、相手を裁いてしまうのでしょうか?

その衝動は、自分でも氣がついていないほど、心の奥深くに根付いている

とも言われています。

 

考えて見れば、これまでに人からさんざん「許しはしないぞ」と言われ続けて

来た経緯があります。

何度もそう言われている内に、自分でも自分を許せなくなってしまうものです。

 

そして自分を許せないことの結果を、そのまま相手にも投影させてしまうのです。

それで人のことをも許せなくなって「許しはしないぞ」となるのです。

 

この悪循環を断ち切るのは、「許し」だけなのです。

いま何があっても許すことに挑戦しているのも、そのためでもあるのです。

 

 

自分の心を変える

 

何度も周りの状況や、あるいは自分の行動を変えようとしました。

しかし、うまく行った試しがありませんでした。

いまようやく致命的な間違いをおかしていたことに氣づくのです。

 

周りの状況や自分の行動というのは結果であって、その原因に目を向けていなかったのです。

結果を変えようとしていたので、何の進展もなかったのです。

 

起こっていることの原因とも言える、自分の心を変える必要があったのです。

好ましくないことや好ましいことも含め、様々な現象には目もくれないことです。

 

但し、どうやって自分の心を変えていくかについては、いろんな困難が予想されます。

だから慎重に対処する必要があります。

 

ウィリアム・W・アトキンソン著の『引き寄せの法則』では「心を改造する」という

章の中で、次のように語っています。

「人は心を鍛えて望む状態に作り変えることができます。(中略)洞察力のある人は

すすんで心を鍛えています。このような人は他人の暗示や影響を受けず、自分を支配しているのです」

もう少し引用してみます。

「彼らは『真我』(真の自分)を肯定し、低い心の機能を従わせています。

真我は心の支配者で、意志と呼ばれているものはその道具です」

 

ですから心を変えていくには、決して1人では始めないことです。

真我に指導を求めながら、意志の力を使ってやって行くということです。

低い自分を、つねに支配していなければならないからです。

 

過去にやって来た過ちは、もう二度とくり返さないことが肝要です。

低い自分と低次元で議論したりする落とし穴にも、はまらないことが重要だと氣づくのです。