「あきらめない」カテゴリーアーカイブ

継続は力なり

望むことに集中

 

これまでで、なぜ心の休まるときがないのだろうかと、疑問に思ったことはないでしょうか。

一日のあいだでも、落ち着いているときもあれば、何かにせき立てられていたり、ちょっとしたことが思い通りにならないので、イライラするときがあったりします。

 

何をするにせよ、また何があろうとも、出来れば心はつねに平静でいられるに越したことはありません。

充実した毎日を過ごすうえで、いつも気にかけておくべきことが、何かきっとあるはずです。

 

そのひとつとして、いわゆる放心状態のときをなくすことが上げられます。

何かに集中しているときや、目的をもって何かをしているときというのは、心が定まっているので特に問題はないといえます。

気を付けなければいけないのは、何となく過ごしているときや、感情的になっているときです。

何となくやっていると、気がゆるんで心にスキができます。そこに好ましくない想念が忍び込んで来たり、魔が差すこともあるので注意しなければなりません。

 

感情的になっているときは、何をやってもうまく行かないはずですので、そんなときはいったん手を休めることです。感情が通り過ぎるまで、待つ必要があります。

イライラしたりする原因となるような、しこりを心に残さないためです。気持ちが落ち着いて来たら、そこで再開すれば問題はないでしょう。

 

ここまででわかったことは、ものごとに取り組む際には、その目的なり何らかの意図を持ってやり始めることです。そうすれば、望む結果も生まれやすいということです。

また一日を始めるにあたっては、今日をどんな日にしたいかを考えてみることです。そして、声に出して言ってみることです。その後で、忘れてしまってもいいのです。

 

自分はどんな日にしたいのかを考え、それを声にして言うことが大事なのです。望むことに集中する時間をもつことなのです。少なくとも望まないことを描くことはないはずです。

 

 

1日の積み重ね

 

たった1日の、積み重ねることの重みをいま、ひしひしと感じています。

早朝パンを焼くことから始まって、コップ一杯の飲尿。夕方のラジオ体操、チベット体操、真向法を行い、入浴時の尿塗布を欠かさずやっています。

 

そして今年3月から独学でギター練習が加わりました。

教本はDVDとCD付き、監修斉藤松男さんの「はじめてのクラシック・ギター」です。

いま和音の練習曲をやっているところです。

最初、この曲と向き合ったとき、こんな難しいのを弾くのは無理じゃないかと思ったものです。

しかし毎日、ゆっくりと少しずつ練習して行くにつれて、難しいと思っていた伴奏つきの曲が、ずっと身近に感じるようになりました。

積み重ねる意味を改めてここで教えてもらったのです。

 

健康面での積み重ねは、特に重要視しなければならないと思います。

どんなことを積み重ねるかで、結果に大きな違いが出て来るからです。

食べすぎや偏食などを繰り返したりすると、身体に致命的な結果を招くし、少食やバランスよく食することを心がけていれば、快食快便につながります。

また日ごろから軽い運動を積み重ねるようにしていると、身体の硬化を防いてくれるように思うのです。

続けるには少しずつ、というのがとても大事なことだと思っています。

 

 

欲望を減らす

 

例えば、車を運転中は、次の信号は青になってくれとか、青のままでいてくれなどと、思っている自分がいました。

またあるときは、前の車はもっと早く走るべきなんだとか、あの車は自分が通るまで待っているべきだとか、自分勝手に思っているのです。

 

これらはすべて、ほんの些細な欲望なのかもしれませんが、小さいからこそ質が悪いことに気がつき始めました。

心の隅には、こうした些細な欲望がひしめきあって、そのおしゃべりを絶えず聞かされているのです。

主人であるはずの自分は、いつもそうした欲望に突き動かされ、無意識にそれに従っているのです。

 

欲望それ自体は別に悪いわけでなく、来ては去って行くだけのものに過ぎず、それに執着しなければいずれ消えてなくなります。

 

そのことに気づいてから運転中は、自分勝手な願望は手放して、信号が青でおれば進むし、赤や黄色であれば止まることにしました。

また人の運転についても、とやかく言うことをやめ、目の前で展開していくままを受け入れて運転するように心がけています。

 

すべてをなくそうとするのではなく、気づいたひとつひとつの欲望から手放していく。その第一歩を踏み出したばかりです。

欲望に走ることをやめて、個人的な意志を手放していく。これがこれからの課題です。

 

 

許して、優しく接しよう

 

仮に人から小言を言われたり、あるいは何か気にさわることをされたとしたら、どうしますか?

ここで許すことを学べるチャンスだと、思ったらどうでしょうか。

 

そもそも、なぜ許さなくてはいけないのでしょう?

その理由というのは、しごく簡単なことなんです。

自分も含めて人は一つの見方しか出来ず、限られた中でしか物事を考えられないからです。

だから、どんなに頑張ったとしても、相手と自分はどっこいどっこいなのです。

 

人からどんなに理不尽なことだをされたと思っていても、自分もそうしたことをやって来なかったとは言えないものです。

感覚器官というものは、一方的な見方、考え方しかできないことを認めなくてはいけないのです。

ある人の見方は、自分の見方からすれば違っていて当然だということに、気づいてほしいです。

もしも多種多様な見方や考え方ができれば、どんなことも一理あることを認めるのは簡単なことです。

 

一つの見方や考え方しかできないが故に怒ったり、別の見方や考え方を認めることができないのです。

そんな自分をまず許すことから、始めてみてはどうでしょう。

それができれば、相手を許すことはもっと簡単にできるはずです。

 

この世界だけでも、様々な見方や考え方をする人たちがいること、その意味に気づくことです。

そうすれば特定の見方、考え方で生きている一人一人に、優しく接することも難しくはないでしょう。

 

 

裁くことを慎む

 

「何があっても裁かない」を実践する難しさを、改めて実感する機会がありました。

相手のちょっとしたことに「こうしたらどう?」と言うのも、広い意味では裁いていることになるのです。

 

昨日、娘が旅行から帰って来て、荷物が玄関脇に置いたままになっていたので、言い放ったのです。

「荷物をさっさと片付けたら、どう!」と。

 

理想は、そうした状態をも許すことでした。

それが私の本来、取るべき態度であったのです。

後になって、そのことに氣づく自分でした。

 

もちろん普通に考えれば親の勤めとして、片付けるように言うのは何も間違ってはいません。

 

しかしこの場合、躾(しつけ)には当てはまらないのです。

相手がやるべきだと思うことを、相手がやっていなかったので、そのことを裁いていたのです。

だから、私はやってしまったと思ったわけです。

 

どうしてこうも簡単に、相手を裁いてしまうのでしょうか?

その衝動は、自分でも氣がついていないほど、心の奥深くに根付いているとも言われています。

 

考えて見れば、これまでに人からさんざん「許しはしないぞ」と言われ続けて来た経緯があります。

何度もそう言われている内に、自分でも自分を許せなくなってしまうものです。

 

そして自分を許せないことの結果を、そのまま相手にも投影させてしまうのです。

それで人のことをも許せなくなって「許しはしないぞ」となるのです。

 

この悪循環を断ち切るのは、「許し」だけなのです。

いま何があっても許すことに挑戦しているのも、そのためでもあるのです。

 

 

ある体験の総括

 

15年以上、長として務めていた組織が解散してから、人との関わる機会が減ったことに氣づきます。

しかし今というときは、つぎの段階に進むためのものだと感じています。

 

ここで区切りとして、これまでの体験を簡単に総括し、完了させておこうと思います。

どんな小さな組織でも継続して行くことは並大抵ではなく、それなりに大変であることがよくわかりました。

 

特に人との対応が長の仕事のうち最も重要なものでした。

構成員の人たちに絶えず理解と協力を求め、コミュニケーションをはかる必要があるのです。

 

相手の意向や思いをくみ取りながら要望を伝えて、協力してもらうことが不可欠なのです。

人と相対するにあたり、いつも問われるのは自分の姿勢です。

 

あいまいであったり、一人よがりであったりすると、たちまち事が運ばないのです。

またどんな場合にも大切なことは、オープンな気持ちで接することでした。

 

次に、売上げを上げていくことが何よりも優先すべき事柄でした。

組織はそれを達成するために存在しているのですから、当然のことです。

 

利益を出していくには、考えられるあらゆる手立てを考えて実行することにあります。

販売のチャンスがあれば、どこへでも出かけて行きました。

 

そしてそれらを楽しんでやっていました。

たとえ小さなことでも利益が見込まれるとわかれば、躊躇せずやってみることなのです。

 

思えば、ほんとうに得がたい貴重な体験をさせていただきました。

関わっていただいた皆さまには心から感謝申し上げます。

 

 

人間関係を劇的に改善する

 

人間関係を改善する一番の近道は、相手を変えようとすることではなく、自分のあり方を整えることです。

自分のあり方を整えるとは、自分という人間を一から見直すことです。

 

第一段階

対人関係で行き詰まるということは、自己のとらえ方に誤りはないだろうかと、問います。

自分をはじめ人間には、自然に出てくる思いやりや優しさの源があることを自覚します。

相手を思うこの氣持を、例えどんなことが起こったとしても大切にすべきではないだろうかと自問します。

この氣持ちの通りに生きたい、という切実な思いに正直になることです。

 

自分の可能性のすべてを愛したいと願えば、宇宙にそれを阻むものはありません。

相手がどんな人でも、どんなことがあっても動じない、自分の態度が固まります。

 

人間関係を劇的に変える鍵はつねに、相手ではなく自分が握っています。

人を見たらワクワクするぐらい、愛の根源である自分に氣づく人になればよいのです。

 

第二段階

困っているのは、自分以上に相手だという視点をもつことです。

自分のことは一旦、棚に上げて相手の立場になってとらえ直してみます。

仮に自分が損をしてでも、相手を助け譲る氣持ちを呼び起こすのです。

 

ほとんどの人間関係のトラブルは、お互い譲る氣がないから起こります。

どんな難しい問題であれ、少なくともどちらかが相手の身になって、全力で耳を傾ける氣持ちを持つだけで氷解します。

後日、その何倍もの徳が返ってくることは間違いありません。

 

 

「人生を転換する」には

 

長期にわたって「人生の転換」をはかることにしました。

 

それまでは、ズバッと方向転換をして新たなウェブサイトに一新しようと考えていました。

しかし方向が見えず、一歩も前に進むことができませんでした。

 

それで、いままでの流れを急に変えるのではなく、ゆるやかに変えて行くやり方に修正しました。

 

ゆくゆくは、「食べ物とアレルギー」、「食べ物と健康」についても記事を充実させて行きます。

健康や病は突然やって来るのではなく、時間をかけて起こるものです。

 

その方面の情報や知識を十分に蓄積していって、はじめてその分野の様子もつかめるものです。

これまで食生活の転換を感覚で決めていたので、記事の形にするには時間がかかりそうです。

 

いま言えることは、食生活を更に変えてから、すこぶる身体の調子がいいということです。

 

昨年の10月半ばから連日、深夜1時半に起床して、パンを焼き続けています。

たまには昼寝をして睡眠の不足分を補っていますが、それほどきついとは感じていないことです。

元旦の日も、午前2時から8時まで作業を行い、午後1時から3時まで仮眠をしました。

 

 

健康維持のコツのひとつには「食」にあることを、身をもってつかんでいるところです。

私の場合、毎日朝食をしっかり食べることと、お昼はパン少々とリンゴなどの果物を食べるだけで、夕食はとりません。

 

そして、添加物の入ったものを口にするのは、なるべく避けています。

マーガリンなどの植物油脂や保存料などは特に要注意です。

パンを焼くにあたっても食品添加物はいっさい使わず、最小限のものを最小限の量で、原材料を扱っています。

 

どんな場合にもいえますが、自分の趣旨に合わないからといってそれを否定したり、完璧に行おうとしてはならないことです。

たとえば食品添加物は、それなりの役割があって流通しています。

ただ、わたしはそれを使わないというだけのことです。

 

また夕食は基本的にとりませんが、会合などで会食があるときには食べることもあります。

昼食もとらなかったり、1日中ほとんど食べないときもあります。

 

要するに極端にガマンしてみたり、無理をする必要がないということです。

だから、人生を転換していく上でも、少しずつやっていくことが大切だと自分に言い聞かせているところです。