「あきらめないこと」カテゴリーアーカイブ

継続は力なり

より高い自分

 

本質に気づかないよう思考回路は分断され、身体的に改造されているのですから、自分がつねに低い周波数に立ち戻ろうとしますのも仕方がありません。

そのことに気がついていますだけでも、それに見合う適切な対応は可能だと思います。

 

自分の持てます数少ない機能をフルに使いまして、自力で一歩ずつ本来の性能を回復して行くのです。

そこで必要になって来ますのが、まず明瞭なビジョンと愛に満ちたハート、そして信頼であります。いま考えられますビジョンほかは、次のようなものです。

 

私の内の暗闇にことごとく、光を行き渡らせるのを意図します。私に起きるすべての出来事を前向きにとらえ、それを愛で強化して放って行きます。

もしも恐怖心が襲ってきましたら忌み嫌うことなく、愛の周波数で受けとめますように意図します。

 

私は自分の考え、そのものが自分の世界を創り上げていますのを重々承知しており、そうした力を持ちます自分を限りなく信頼します。

私の内にあります、より高い自分を発見します喜びを、すべての意識と分かち合えますことを意図します。

親愛なる神よ、私の意図が成功裏に終わりますように勇気と行動力と忍耐とを私にお与えください。

※参照 バーバラ・マーシニアック著「プレアデス+かく語りき」

 

 

自分の本性

 

仕事の作業中のことです。過去の出来事の、ある場面を思い浮かべて「ああでもない、こうでもない…」と、心のおしゃべりに気づく機会がありました。

そんなことより、もっと大事なことがあるでしょう!と怒鳴りたい気持ちになりました。

 

いつもこのような無駄話をしている習癖に呆れると同時に驚きでもあります。性懲りもなく延々と、こうしたおしゃべりを繰り返すのは、なぜなのでしょうか。

やりたい放題にさせているのは自分であり、それを許しているのも自分でありました。

 

「愛で一日を満たし、愛と共にいなさい」と言われるほんとうの意味がようやくわかりかけたように思います。

気がつくまで雑念に取り込まれてしまう隙を与えまくり、油断していますのが普段の自分の有様なのです。

これは今に始まったことでは無論ありません。何度も気づいて来たのですが、いっこうに改まっていないのが現状です。

 

何回か、心を愛で満たすように意識しました。とても落ち着き安らぎます。これを日常化できないのは、どうしてなのでしょうか。

どうしてもっとも大事な自分の本性を忘れてしまうのでしょうか。何よりも、この自分をマスターしなくてはなりません。

 

 

自己の棚卸し

 

無害でいますために、最初に手がけなくてはならないのが、自己の棚卸しです。

自分の傾向としまして、例えば、どうして些細なことでさえ、人と言い争ってしまいがちなのか、という疑問が浮かんで来ます。

 

いまだからわかるのですが、そのときは完全に自己中心的な考えにとらわれていました。

相手の身を思いやる気持ちは全くなくて、あきれますほど身勝手な態度で、人と接していたのです。

 

愚かにも、そうした独りよがりな自分の振る舞いにも気がついていませんでした。

せめてもの救いは、その後で悪かった自分を悔いますのが常で、二度としますまいと思うのです。

しかしながら当時は、そうした反省をつぎに生かします知恵も働かなかったのです。

 

最近では利己的な考えがかなり薄らいで来ましたが、ただ表面に現れて来ないだけであります。

おそらく一生涯をかけましても一掃できるものではないと見ております。まだまだ自己の内に巣くっていますのは明らかです。

 

普段から自分の思考や言動には十分、注意を怠りませぬよう気を引き締めているところです。

少しでも独善的なところが見つかりましたときは、すぐにそれらを改めて行きますのと、慎重にその芽を摘み取って行きます。

 

 

根気強く付き合う

 

自分のいだきます関心事は、いつも高尚なことばかりとは限らないわけですが、この状態が好ましいとはとても思えません。

「なぜ宇宙が生まれ、人間が生まれたのか?」このことに、ずっと関心をもっていたとしましても、それを徹底的に掘り下げて行きます態勢にはなっていなかったのです。

 

いまの時代は興味を引くもので満ちあふれておりますので、ひとつに割きます時間は思う以上に少なくなっています。

こうした状況を変えて行きますには、与えられるまま成り行きに任せていましたのを、まず止めなければなりません。

何を最大の関心事にして行くのか、自らが編み出して行きます必要があります。

 

自分にとりまして仮に先の問いがそれに値すると考えました場合、最大の関心事にもって行きますだけの理由なり根拠なりが、そこになくてはなりません。

はっきりとしました理由を見つけますまでは、根気強く付き合って行きます以外にやりようがないのです。

 

前に紹介しました書籍「アセンション・マニュアル」で述べられています内容の一部は、「トランス・ヒマラヤ密教」あるいは「神智学」と呼ばれています範疇に入りますものです。

 

そうした書物を一度でもお読みになればわかりますが、とても難解と言われています思想体系です。

しかし現在、世界がかかえています解決困難な、あらゆる問題を解消して行きます糸口も指し示していますように思います。

 

 

関心事を絞る

 

最大の関心事は、状況によって変わって来ますのが普通であります。たとえば、トイレに行きます場合もあれば、喉の渇きから水を飲むなどがそうです。

そうしたいろいろな関心事から、いま必要なのは何かを見分けなくてはなりません。

 

何事にも関心を持ちますのは悪いことではありませんが、自分にはこれだと言いますものを持っていませんと、見分ける基準も定まっていないのと同じです。

自分にとって一番大事なことは、何なのか?それを興味のありますものの中から、絞り込んで行かなくてはなりません。

 

そうしますと、見えて来ますのがひとつありました。簡単に言いますと「なぜ宇宙が生まれ、人間が生まれたのか?」です。

この根源的な問いの答えといいますか、その目的は何か、をずっと以前から探し求めておりました。

 

そして、つい六ヶ月ほど前に、ジョシュア・D・ストーン著「アセンション・マニュアル」上下巻に出合ったのであります。

その中に、求めていました答えをようやく見つけ出しました。ところがです。読み始めましても、まったく歯が立たないのであります。

 

副題には「わかりやすいスピリチュアル全書Ⅰ」と書かれていますのに、難しい用語が続出しまして、意味をつかもうとしましてもなかなか理解できずに手を焼いておりました。

取っかかりとなりそうな入門書をいくつか見つけ出しまして、挑みましたものの、それでさえも入り口付近をモタモタしておりますのが実情です。

 

 

自分を振り返る

 

昨日、求めていましたテンピオーブンをオークションで見つけまして、落札できました。

近いうちに商品が届く予定でありますが、今日は朝から何か落ち着かないところがあります。

どうしてそうなのか、自分の思いをたどってみました。

 

先日、台風の影響で早朝の3時間あまり、停電に見舞われました。ちょうどパンを焼き始める時間帯でありました。

最初はすぐ復旧するものと思っておりましたので、たいして気にかけておりませんでした。

 

ところが30分、1時間たちましても電気は止まったまま、電気オーブンが使えない状況が続きます。

その間にも、パンの生地は発酵がどんどん進んでいきまして、とうとう廃棄という事態になってしまいました。

 

このときのガスオープンさえあったら焼けていたのに、という悔しい思いから、停電になっても使用できるオーブンを探し始めるのでした。

ガスオーブンで焼きますと、電気オーブンより味がよいことも、頭から離れなくなっていました。

 

ガスコンロを使用したオーブンが、どこまでガスオープンの味に近づけられますか、まったくわかりません。それでも、どんなパンが焼けるのかとワクワクしておりました。

 

あまり期待しすぎますと、その通りに運ばなかったときの気落ちの度合いも大きくなりがちです。そのように考えていますと、どうにか落ち着いてきました。

もっとも、テンピオーブンで焼けますパンの量は少なくて気休めでしかないわけですが、試作品をたくさん焼いて楽しみたい気持ちがそこにありました。

 

送られてきますのは、30年以上も前に流行しましたピーステンピの751型コンロ上置きオーブンであります。

いまアウトドア用品として、テンピオーブンに人気が集まっています。今回はテンピの紹介で終わりそうです。

 

 

未知の体験

 

自分には簡単に解決できそうにない問題に出合った、そのときこそ、自分の思ってもみない底力が引き出せるチャンスかもしれない、と考えてみてはどうでしょうか。

人の助けが必要なときもありますが、どうしても自力で困難な状況を切り抜けなければならないときもあるものです。

 

いつ、そんな危機に遭遇するのか、まったく予測がつかないので、普段から努力を要するようなことにチャレンジして、自分を鍛えておくことが重要かもしれません。

こうした習慣を身に着けていれば、いざというときに素早く思考回路が働いてくれて、苦境から脱出する手助けになってくれるものです。

 

人間が本来、持っている能力の大部分は、まだ使われていないと言われています。

その未使用の領域から少しでも力を引きだせれば、いままでできなかったことができるようになるかもしれないのです。

 

そうした潜在能力を引きだすためには、どうすればいいのでしょうか。ひとつは興味を持っていることで、何か新しいことを始めてみることだと思います。

そのときに注意することは、途中でやめたくなったとしても我慢して続けることです。

 

未知の体験を始めたのですから当初は、わからないことや慣れないことなどで、つまずくことが多いものです。

そこを耐えて行き、決してあきらめたりはしないことなのです。とにかく続けて行くこと、積み上げて行くことです。

 

そうすると徐々に、自分に力がついて来ることに気づけるはずです。これまでのことを思い返してみてください。

いま自信を持ってできると言えるものでさえ、かつての自分にとっては、まったく未知の分野のものであったのではないでしょうか。

いままでにも、何度も新しいことに挑戦してやって来たのです。ですから、今度もやれないはずがないのです。

 

 

高め合う生き方

 

人間の役割は最高の人間をめざすことだと思っています。地球上の他の生物や鉱物資源などを支配することではないのです。

あらゆる存在を敬い、彼らの進化・成長を促すものであると思います。最高の人間とは、どんな人間なのでしょうか。

 

神にもっとも近い存在といえるほどに、進化した人間のことではないでしょうか。

この進化し成長を遂げることが、人類をはじめとして、全宇宙のありとあらゆるものの存在理由でもあると言えるでしょう。

 

もしも、進化の道からはずれた場合は何であれ、滅んでいく運命にあるのです。

いまの人類は、その崖っぷちに立っていると言えます。一人ひとりが、いま自分は進化の道にいるのだろうか、退化の道をたどってはいないだろうかと自問すべきなのです。

 

別に難しいことではなくて、昨日よりも今日の自分は、少しは進歩したかどうか、一日の終わりにざっと振り返ってみるだけでもいいと思うのです。

たとえば「今日、あの人に厳しいことを言いすぎたので、明日はやさしい言葉をかけてみよう」とか、そういった相手も自分も高めてくれるようなことを実行して行くだけで十分です。

 

ほんの小さなことであっても、自分の本心から出て来たことを、そのまま行うように心がけていけば変わって来るものです。

少なくとも人と争ってみたり、不平や不満を言ってみたり、投げやりになって仕事をするようなことは、自分から慎んでいかなければなりません。

 

共同生活を営む私たちは、お互いに高めて合って生きていくようにできているのだと思います。

ときには厳しいことを人に告げなければならないこともあれば、反対に人から手厳しいことを言われることもあるものです。

 

また、困難なことが立ちふさがり、もう絶望するしかない状況に直面したときでさえも、私たちは支え合って、その難題を乗り越えていくだけの知恵と勇気を持ち合わせているものです。

人はそうした局面にぶち当たってこそ、めざましい成長を遂げるものでもあるのです。