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許して、優しく接しよう

 

仮に人から小言を言われたり、あるいは何か気にさわることをされたとしたら、どうしますか?

ここで許すことを学べるチャンスだと、思ったらどうでしょうか。

 

そもそも、なぜ許さなくてはいけないのでしょう?

その理由というのは、しごく簡単なことなんです。

自分も含めて人は一つの見方しか出来ず、限られた中でしか物事を考えられないからです。

だから、どんなに頑張ったとしても、相手と自分はどっこいどっこいなのです。

 

人からどんなに理不尽なことだをされたと思っていても、自分もそうしたことをやって来なかったとは言えないものです。

感覚器官というものは、一方的な見方、考え方しかできないことを認めなくてはいけないのです。

ある人の見方は、自分の見方からすれば違っていて当然だということに、気づいてほしいです。

もしも多種多様な見方や考え方ができれば、どんなことも一理あることを認めるのは簡単なことです。

 

一つの見方や考え方しかできないが故に怒ったり、別の見方や考え方を認めることができないのです。

そんな自分をまず許すことから、始めてみてはどうでしょう。

それができれば、相手を許すことはもっと簡単にできるはずです。

 

この世界だけでも、様々な見方や考え方をする人たちがいること、その意味に気づくことです。

そうすれば特定の見方、考え方で生きている一人一人に、優しく接することも難しくはないでしょう。

 

 

安い食べ物は結局、高くつく

 

半年前、とても安い小麦粉が手に入るようになり、おやつを自分で作って食べていました。

その後しばらくしてから、前触れもなく腹を刺すような痛みがあり、びっくりしました。

それは断続的で数秒間しか続かないのですが、その度に不安になるのでした。

 

ネットでいろいろ調べてみて、ストレスや肩こりから来る痛みだと思いました。

だから、のんびり過ごすことと、肩をほぐすように気をつけていました。

しかし、その痛みがやって来る頻度が増えてきて、お医者さんへ行くことも考えました。

 

あるとき、夜中にキリキリ刺すような痛みは、よく食べているお菓子によるものだと気づいたのです。

考えてみると、原因として時期的にもピッタリ合うのです。

早速、作ったお菓子を食べるのをやめると、よくあった痛みもなくその夜は寝られたのです。

こうして安易に、安いものに手を出したツケを味わう形になりました。
それにしても取り返しのきかないほど健康を損なわずに澄んで、幸いでした。

口に入れる物は、妥当な値段以上のものを購入スべきなのだ、という教訓が得られました。

うっかりした代償として、苦い体験をさせていただきました。

 

もうちょっとで、食べ物が原因だとは知らず食べ続けて、ほんとうの病気になるところでした。

食べるものが原因で病気になるのは、本当のことなのだとつくづく思うのでした。

せめて食べものにだけでも気をつけていれば、よっぽどの病気になることはまずないのですから。

あとは定期的な運動を心がけていればいいだけです。

なぜ、この世界があるのか?

 

私たちが肉体をもって生まれてきたのは一体、何のためでしょうか?

 

もしそのことが本当にわかったなら、この世で悩んだりすることはまったくもってナンセンスだということに氣づけるはずです。

 

私たちが物質世界で生きているのは、ここでの様々な体験を通して精神的な成長を積むためだとしたら、どうでしょうか。

 

ミシェル・デマルケ著「超巨大宇宙文明の真相」において、はるかに進化した異星人が地球人に対して語っています。

 

あなた方はどのように生き、苦しみ、死ぬのかを学ぶためだけでなく、できるだけ精神性を高めるために地球にいるのです。

 

人間は精神性を高めるために、肉体を持って存在しているというのです。

 

精神的な成長や精神性を高めるには、どうすればいいのでしょうか?

ひとつには、赦すことだったのです。

 

どんなことに対しても、それを赦すことを学んでいくことです。

どんな人に対しても、優しく接する知恵を獲得することなのです。

 

 

 

 

裁くことを慎む

「何があっても裁かない」を実践する難しさを、改めて実感する機会が

ありました。

相手のちょっとしたことに「こうしたらどう?」と言うのも、広い意味では

裁いていることになるのです。

 

昨日、娘が旅行から帰って来て、荷物が玄関脇に置いたままになっていた

ので、言い放ったのです。

「荷物をさっさと片付けたら、どう!」と。

 

理想は、そうした状態をも許すことでした。

それが私の本来、取るべき態度であったのです。

後になって、そのことに氣づく自分でした。

 

もちろん普通に考えれば親の勤めとして、片付けるように言うのは何も

間違ってはいないでしょう。

 

しかしこの場合、躾には当てはまらないのです。

相手がやるべきだと思うことを、相手がやっていなかったので、そのことを

裁いていたのです。

だから、私はやってしまったと思ったわけです。

 

どうしてこうも簡単に、相手を裁いてしまうのでしょうか?

その衝動は、自分でも氣がついていないほど、心の奥深くに根付いている

とも言われています。

 

考えて見れば、これまでに人からさんざん「許しはしないぞ」と言われ続けて

来た経緯があります。

何度もそう言われている内に、自分でも自分を許せなくなってしまうものです。

 

そして自分を許せないことの結果を、そのまま相手にも投影させてしまうのです。

それで人のことをも許せなくなって「許しはしないぞ」となるのです。

 

この悪循環を断ち切るのは、「許し」だけなのです。

いま何があっても許すことに挑戦しているのも、そのためでもあるのです。

 

 

自分の心を変える

 

何度も周りの状況や、あるいは自分の行動を変えようとしました。

しかし、うまく行った試しがありませんでした。

いまようやく致命的な間違いをおかしていたことに氣づくのです。

 

周りの状況や自分の行動というのは結果であって、その原因に目を向けていなかったのです。

結果を変えようとしていたので、何の進展もなかったのです。

 

起こっていることの原因とも言える、自分の心を変える必要があったのです。

好ましくないことや好ましいことも含め、様々な現象には目もくれないことです。

 

但し、どうやって自分の心を変えていくかについては、いろんな困難が予想されます。

だから慎重に対処する必要があります。

 

ウィリアム・W・アトキンソン著の『引き寄せの法則』では「心を改造する」という

章の中で、次のように語っています。

「人は心を鍛えて望む状態に作り変えることができます。(中略)洞察力のある人は

すすんで心を鍛えています。このような人は他人の暗示や影響を受けず、自分を支配しているのです」

もう少し引用してみます。

「彼らは『真我』(真の自分)を肯定し、低い心の機能を従わせています。

真我は心の支配者で、意志と呼ばれているものはその道具です」

 

ですから心を変えていくには、決して1人では始めないことです。

真我に指導を求めながら、意志の力を使ってやって行くということです。

低い自分を、つねに支配していなければならないからです。

 

過去にやって来た過ちは、もう二度とくり返さないことが肝要です。

低い自分と低次元で議論したりする落とし穴にも、はまらないことが重要だと氣づくのです。