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最高の叡智

 

いまもこの世で生かされていますということは、どういう意味なのかを考えてみました。

それは明らかに、やるべき仕事がまだ残っているという証しにほかなりません。

 

やり残していますのは、いま手がけております霊的知識の学びかもしれませんし、もっと別のことかもしれません。

いずれにしましても、目の前の課題に取り組む以外には思いつかないのであります。

 

シルバーバーチほかの高級霊による霊界通信という最高の叡智から学んで行きますのが、いま考え得る最良の道と思えます。

地上人生の目的や生き方が明瞭となりまして、これからの生涯を有意義に過ごせるのです。

 

また死後の世界についての貴重な情報が数多く得られて、この世で心の準備をしっかりとやれますのも有り難いです。

霊的視野で眺められますように、日々この地上におきまして訓練できるのです。

 

それにいかなるときも守護霊に見守られていて、心強い味方が控えていますのも嬉しい限りです。

 

 

失敗から学ぶ

 

シルバーバーチの霊訓などの霊界通信から霊的知識が得られ、知識には責任が伴うことも学んだばかりですのに食べ過ぎたり、人との接触を避けたりしていますのが現状です。

学んだと言いましても、まだまだ浅い理解でしかないのを痛感します。

 

実践して行かなければ、せっかく得ました知識もドブに捨てているようなものです。

この地球という物質世界は、人間が失敗を通して学び、霊的に成長する場所として造られたと言われています。

そういう意味では、失敗にめげずにチャレンジしますのが大切でした。

 

失敗よりもチャレンジしようとしない方が問題でありました。シルバーバーチの次の言葉を思い出します。

『間違いを犯す人間だから、地上に来ているのです。しくじっては、そこから教訓を学ぶのです』

 

もしも間違いを犯さない人であったなら、この地上にはいないはず、とも言っていました。

何度しくじったとしましても、あきらめずに努力しますことが肝心でした。

 

 

霊的成長を念頭に

 

死後の本格的な人生に備えて、地上ではどのように生きて行けばいいのでしょうか。

何よりも、霊的成長につながる考え方を念頭に置きます。

これまで確固とした指針を持っていませんでしたので重要な場面ではいつも迷い、誤った選択をして来ました。

 

そのときどきの気分に任せて、とかく安易な方向へ走りがちです。

先般、空腹に耐えられなくなって、間食をしました挙げ句に食べ過ぎるという愚行をおかしました。

 

今後は肉体本能に突き動かされることから脱しまして、霊優位の状態を保つように心してまいります。

日常生活のあらゆる面において、霊的視野で眺めて行くことを始めます。

 

地上でのどんな困難な状況も去り行くものであり、味わいます苦しみもつかの間に過ぎないのです。

物事を損得勘定で考えましたり短絡的にとらえましたりと、こうした霊的成長を妨げる行為には充分に注意します。

 

 

霊的な生き方

 

霊界の人たちは、地上の私たちが霊的には死んでいるのも同然の生き方をしていると指摘しています。

そして、人間は死んでからはじめて生き始めるようになると言います。

地上人生はつかの間に過ぎず、霊界での人生が永遠に続くものでありますなら、死後の生活が実りあるものとなりますよう生きている間に準備しなければなりません。

 

霊界での暮らしがどんなものでありますかを知りますと、地上がいかに過酷な状況でありますかが理解できます。

霊界では身体の疲れがない、病気がない、お金がいらない、睡眠をとる必要がない、飲食も不要、願ったことはすぐ実現する、行きたい場所へは瞬時に行けるなど、夢みたいな世界です。

 

天国のような生活が死後に待っているとしまして、この地上で霊的に生きますにはどうすればいいのでしょうか。

物欲を手放し、利他愛で生きますよう努力することと言えます。まず、この世的な欲望から距離を置きます。

また、許せない人々も自分と同じ分霊を宿す同胞としまして愛せますように努めます。

 

 

人の役に立つ

 

どうしましたら人の役に立てますでしょうか。これを絶えず口癖にして行かなくてはなりません。

ときに、それは荷造りの手伝いでありましたり、相手の見落としていますことをそっと代行したりしますことであります。

 

人と接しています限りは、探せばいくらでもありますのに気がつきます。

要するに、人の役に立とうという気がありますかどうか、それをすぐ実行する意志がありますかどうか、だけなのです。

 

そういう気持ちを持ち続けますには、どうあればいいのかを考えてみました。

人々に対して関心を持つようにして、相手への気配りをつねに心がけます。

こうして生かされています感謝の気持ちを態度で、あるいは行動面で表します。

 

この世でしか価値のないモノには執着せず、何が大切なのかを決して見失いません。

どのような無理難題にも不平不満を持つことなく、誠心誠意を尽くして対処します。

 

 

祈る資格

 

軽々しく祈れるものでないことを知りましてから、白紙の状態にあります。

単にあれもこれもと望みを取り上げまして、祈りと称して口にするものでなかったのです。

 

他に頼ることなく自分のできる、最善を尽くしますことが先決でありました。

「古代霊 シルバーバーチの不滅の真理」には、こうあります。

 

『あなた方を悩ます全ての問題と困難に対して、正直に正々堂々と真正面から取り組んだ時、

解決のためにありたけの能力を駆使して、しかもなお力が及ばないと悟った時、

 

その時こそ何らかの力、自分より大きな力を持つ存在に対して、問題解決のための光を求めて祈る資格ができたと言えましょう』

まさに正々堂々と真正面から、自分のあらゆる能力を投じてやり込めるまでには至っていませんでした。

 

ここまで気づきましたからには、もうどこにも逃げ場がないのがわかります。

自分の極限にまで、どれだけやれますのかを試す時が来ましたように思います。

 

 

不滅の真理から学ぶ

 

「古代霊 シルバーバーチの不滅の真理」の中で、祈りについて次のように指摘されていました。

『(祈りの)目的をはっきりしなければなりません。ただ単に願いごとを口にしたり、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません』

 

この後、昨日までつづけていました10項目の祈りができなくなりました。口先だけの祈りでありましたからです。

もともとの動機は、自分の進化成長を促進させたいという思いでありました。

 

シルバーバーチは更に語っていました。

『人々のためにという動機、自己の責任と義務を自覚したときに油然として湧き出る祈り以外は、すべて無視されるがよろしい』

ずっと自分のために祈っていましたから、上辺だけになっていたのかもしれません。

 

それまでの祈りの一例を上げますと、「人々をありのまま、愛せることができますように」であります。

この祈りは、自分自身に関します願いごとになっています。人々のためという動機を、まだ持ち合わせていませんでした。

 

 

悔い改め努力する

 

生まれたときの純粋な気持ちは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

愛に包まれて生まれ出ましたのに、そのことも忘れ去って、なぜ不純な思いを持つようになったのかを振り返ってみました。

 

周りの人を意識するにつれて自我が芽生え、自他の区別をするようになったのがそのきっかけなのかもしれません。

やがて好き嫌いを主張するようになりまして、思い通りに行かないことにより様々な葛藤が心に生まれたのではないかと思います。

 

度々の兄弟や同級生との間で繰り広げるいさかいによって、益々自分本位の考え方が身についたものと思われます。

社会人になってもこのわがままな性格は変わらず、同僚や上司とのあつれきを生むことになりました。

 

その後、悔い改めまして努力しましてからは、そうした性格も徐々に薄まって来ましたように思います。

未だに自己本位の習性を引きずっておりますので、言動には充分注意を払いながら利他性に目を向けますように努めています。