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美の創造

 

「シルバーバーチ 不滅の真理」には、次のような一説があります。

『価値観が高まれば高まるほど、精神が成長すればするほど、見にくい卑劣な環境に不快感を抱くようになるものです』

 

『地上のすみずみにまで美をもたらすには、魂・精神・理性・知性・成長のすべてを注ぎ込まなければなりません』と。

その人となりを知りたければ、その人の周りの環境を見れば自ずとわかると言うことでもあると思います。

 

また、周りの環境を少しでもきれいにしますことで、内面にも反映されて魂の成長が促進されると言えましょう。

一番身近な部屋の中から美を作り出して、それを更に発展させられれば、それに伴いまして精神的に充実感も増しますに違いありません。

 

しかし、なりふり構わず全身全霊かけて当たらなければ、美の創造は為し得るものではないという戒めもあります。

無限の宇宙の創造活動に寄与しますことでもありますから、美の創造には気を引き締めて手がけなければなりません。

 

 

死後も存続する事実

 

現在において死後の世界を信じない人々が大勢おられますことに不思議な気がします。

以前の自分がそうでありましたように、心霊現象としての数々の「霊界通信」の存在をご存じないからでしょうか。

 

広くその信憑性が認められています、他界した人たちから送られてくるメッセージの内容を読めば、死後も霊魂が存続しますことが一目瞭然ではないかと思うのです。

もし、こうした歴史的に検証されて来ました膨大な証拠を頑なに認めないとするなら、事実に対する偏見と偽りの思想に毒されているのではないかと言わざるを得ません。

 

もっとも数百年後には、スピリチュアリズムが万人の認めるところとなりますのは確実でありましょう。

近い将来、これまで信じ込まれて来ました唯物論や科学万能主義などの誤った考え方を捨てて行くことになりそうです。

また、五感でとらえるものがすべてという物質至上主義の間違いにも多くの人々は気づいて行くことでしょう。

 

 

善を創造する

 

ダニオン・ブリンクリーほか著の「未来からの生還」という本を読んでいます。

前半部分で、死んでから生前に犯した悪事の数々を回想しているシーンの描写は心に迫るものでした。

 

人間がこうまで暴行の限りをつくせるのかと絶句してしまいましたが、その計り知れない罪を今後どのようにして償うつもりなのでしょうか。

回想で加害者のダニオンは被害者の立場から振り返り、相手が受けた悲痛な悲しみをすべて自分の痛みとして追体験するのでした。

 

その後、周りの人間にはお構いなく独りよがりな行動ばかりして来た自分を大いに恥じて、全く価値のない人間だったことを自ら認めるのです。

これに対して、付き添っていました光の存在は実に寛大でした。

 

『人類は力ある霊的存在で、地上に善を創造するために生まれて来たのです。…

人々の間で交わされる優しさ一つ一つから、成し遂げられるものなのです。

小さなことが積み重ねられた結果なのです。…』

と語るのみでした。

 

何をしたかと言うよりも、なぜそうしたのかと言う動機の方がはるかに重要だったと著者は痛感していました。

確かに、例えば人に優しく接しようと思いましても、なかなか実行できるものではありません。

それはなぜそうしなければならないのかが、わかっていないからでした。

 

人から優しくされて、どんなに嬉しかったのかを思い起こす必要があります。

優しい心で応対できますのは、いつも人の役に立つことを心がけていればこそ出て来ます自然な行為なのでした。

 

 

霊界への準備

 

年齢を重ねるに従いまして、肉体が徐々に生気を失って行きますのは仕方のないことだと思っておりました。

しかし、失った物質エネルギーが霊的エネルギーに変換され、霊体内に蓄えられていますのを知りまして安堵いたしました。

 

生前から死後の霊界での人生に備えて、着々と霊体の準備が行われていたのです。

ですから身体が老いて行きますのを嘆く必要はなく、若かったときの活力はどれひとつ失われずに霊体に持ち越されるのです。

 

最盛期を迎えた肉体はその後、源からのエネルギーを少しずつ減らしつつありますが、それは将来の霊界入りのためであったのです。

そういう意味では地上サイドで行われていますことは、すべて本番であります霊界生活の序幕に過ぎないと言えそうです。

 

またこの世の画期的な発明、発見の端緒となりましたインスピレーションは、ほとんどが霊界からの働きかけによるものであると言われています。

以上のことから、様々な制約に縛られています地上世界と霊界との関係、肉体と霊の主従関係は明らかなのであります。

 

 

未知の「本当の自分」

 

この地上での人生の目的が明確になりましてから、日常で遭遇します問題はどれも些細に見えて、どうでも良いように思えるのです。

そうした問題で悩むことはなくなり、しばらくしてから自然に最善の方法へとたどり着いているのです。

 

霊的に成長しますとは、どういう意味なのでしょうか。ひとつでも多く、未だ知らない真実に気づいて行くことでしょう。

例えば、未知の「本当の自分」についてです。いまの自分が知らない、別の自分というものが無数にあるということです。

それらすべてが「本当の自分」という存在の構成要素なのです。

 

死を迎えて肉体の束縛から解放された霊体となって、はじめて本来の自分に目覚めて生きて行けるのです。

地上世界で肉体をまとって生きています限り、本当の自分に出合うことはあり得ないのです。

 

いま認識しております自分とは、「本当の自分」の極々一部分でしかありません。

しかしながら、今生では限られた知性と知識、能力などを最大限に活用してやって行くしか方法はないのです。

 

 

霊訓との出合い

 

十数年以上も前に「シルバーバーチの霊訓」や「霊界からの手記」「輪廻転生」などの本をすでに購入しておりました。

不思議に思いますのは、それらの本をきちんと読み始めましたのがごく最近なのであります。

 

そうした内容を受け入れる用意が、それまでは自分にできていなかったということでしょうか。

何度か手に取っては見ましたものの、いつも読む気になれなかったのを思い出します。

 

霊的な真理と出合いますには時期尚早で、まだ準備が整っていなかったと言えるのでしょう。

いまでは他のどんな分野の本よりも興味津々でありますので、その落差には驚かされます。

 

英国のホームサークルでシルバーバーチがメッセージを語り始めてから百年後に、こうして霊訓に巡り会えたのです。

人生の目的とは霊的に成長する、これに尽きますこと。

 

人は死によって肉体を脱ぎ捨てた後、霊界において本当の生活が始まりますこと。

利他愛の実践などを通して人間は成長し、永遠の旅を続けますことなど、これらを学んでいるところです。

 

 

霊的真理の探究

 

仕事柄、以前と比べまして人と接触します機会がほとんどなくなってからというもの、人との応対には消極的になっています。

今後、個人的な意志を手放して行こうとしていますのに、これと相反しますような傾向をどうとらえればいいのでしょうか。

 

敢えて自分から、周りに積極的に働きかける気力を持ち合わせていないのです。

もちろん緊急を要します状況に出合えば、率先して人々と協力し対処しなくてはならないのは当然でしょう。

 

ただ特別な事情がない限り、新たに関わりを持とうとはしなくなったのです。

どうしてそのように変わったのかということです。

 

元々の性格が内向性でありましたので、それが前面に出て来ましただけかもしれません。

あるいは必要あって内面の充電期間に入っているようにも考えられます。

 

この時期、内なる心に従いまして専念しなければならない課題があるという意味です。

その課題とは、手がけ始めました霊的真理の探究・実践でありますのは明白です。

 

 

意識の葛藤

 

絶えず起こっています、心のなかの葛藤にもっと注意を向けなくてはいけないことを知りました。

放っておきますと必ず本能の意識のほうが勝って、霊的な意識は片隅に押しやられてしまうからです。

 

気づかぬうちに欲望を満たすのが最優先になっており、霊的成長は二の次なのです。

肉体をまとっています以上、本能の力は強くて抑制しますのが容易でありません。

 

しかし難しくても努力し続けるしか、肉欲や物欲に打ち勝つ方法はないのです。

少なくともこうした心の動きに気づいていますことと、それを客観的に見つめていられるように訓練しておかなければなりません。

 

何ら抗することもなく本能の意識がなすがままに、ただ流されるだけであってはならないからです。

葛藤に気がついたときには霊的真理を学び直すチャンスととらえ直して、改めてシルバーバーチの霊訓を紐解くように教わりました。

 

欲望というものは、来ては去って行きます嵐のようなものです。霊訓に没頭しています間に過ぎ去ってしまいます。