自分とは何者か

 

自分が体験する者でありますことを理解できましたとしても、ほんとうは何を体験したかったのでしょうか。

自分とは何者であるかを知り尽くしますこと。

 

これは体験を通じてでしか、知りようがありません。

どんな体験をしましても、そこから何か自分を知る手がかりを見つけ出さなければ、意味がないことになります。

 

体験を通してでなければ知り得ないというのは、そもそもどういうことでしょうか。

何を体験しましょうとも、行動し実践するという能動的な要素が不可欠であると言えます。

受け身的な体験もないわけではありませんが、被害者意識に見舞われましたり、運を天に任せましたりして、主導権を他者に明け渡す結果になりますので却下すべきでしょう。

 

体験に先立ちまして、何らかの動機ないし意図が脳裏にありまして、それが体験の出発点になるように思います。

どんな動機や意図が考えられますでしょうか。

 

例えば、自分とは何者かという問いから派生しました問題意識に、突き動かされました様々な動機が考えられます。

あるいは、自分自身を知る絶好の事態を前にして新たなる課題に気づき、それを解決します意図かもしれません。

 

もっとも体験のすべては、自分を知る材料をことごとく提供してはいるのです。

ただ自分がそれらを、どれだけ受け取れる用意がありますかどうかだけなのです。