相手を敬う

 

改めて思ったことですが、いつどこで命を落とすのか、それは全くわからないということです。

もちろん人間だけでなく、あらゆる生きているものに、そう言えることかもしれません。

本人が気づいていないだけであって、生きていること自体が、絶えず病気や事故など命を落とす危険に出合うリスクを背負うことだと言えます。

そうした数えきれない関門をくぐり抜けて来たものだけが、いま生きているということです。

もっと言えば、社会や自然界から何らかの、必要とされているものだけしか生きられないということではないでしょうか。

 

そういうことが理解できたら、誰の命であろうと粗末には扱えないものです。

自分も含めてこの地上にあるもの、すべてにはそれぞれの、ある役割を果たすために存在することを忘れてはならないわけです。

でも実際には、個人の好き嫌いとか勝手な判断でないがしろにされたり、逆に、ないがしろにしてしまいがちなのです。

なぜこういうことになるのでしょうか。

 

人類が誕生した初期のころの人間にとっては、自然界のすべてを敬うことが当たり前であったのではないでしょうか。

ところが自然を軽視する者が現れてから人間同士の間でもいざこざが起こりはじめ、自然界やお互いを敬わない者が徐々に増えて来たのではないかと思います。

一度でも人から粗末に扱われたりすると、根に持ちやすいものです。それがたび重なると、その体験が今度は人を粗末にする誘因となるのだと思うのです。

では、どう対処していけばいいのでしょうか。

 

いったん、まず人から受けた理不尽な扱いや体験などすべてをご破算にして忘れてしまうことです。そして自分の原点に立ち戻ることではないでしょうか。

自分のことを人がどう扱いどう思おうと、周りがどうであれ、そんなことはどうでもいいことであって、自分は自分なのだと頭を切り替えることです。

 

たとえば、本当は自分をどうして欲しかったのかをよく考え、して欲しかったことだけを人にして行けばいいのです。

して欲しくないことは、絶対に人にしないことでもあります。

 

本来、当たり前であったことはちゃんと記憶の中にあり、ただ眠っているだけなので、それを呼び起こし、自分から当たり前にして行けばいいのだと思うのです。