平穏な一日

 

平穏な一日の有難みを感じます。

とんだ災難とか、不慮の出来事などもなく、一日が平穏に過ぎていくお陰で、自分のやりたいことがやれるのですから。

 

今朝は目覚ましのセットを忘れたので、いつもより30分遅れて目を覚ましました。たった30分遅れただけで済みました。

また今回の仕込み量はいつもより多かったのですが、通常より1時間半の遅れで焼き終わりました。

考えてみれば電気や水道が止まったり機器の故障とか、何かトラブルが発生していれば、作業は中断していたかもしれないのです。

 

だから、一日が平穏に過ぎて行くということは、どんなにラッキーなことなのか、これほど有難いことはないといえるのです。

まだ一日が終わったわけではありませんので、この後も何事もなく過ぎて行ってくれるだろうと期待しながら書いています。

 

当たり前に過ごしていることを、改めて見つめ直し考えてみることは、あっという間に過ぎ去って行く時間の流れをくい止めることにもつながるのです。

当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかったことに気づくことで、見過ごしていた貴重な時を取り戻したいのです。

平穏な日々とは、どんな日であるのか、両目をしっかり見開いて、些細なことも見逃さずに綴って行ければと思います。

 

自分を生きる

 

2007年公開の映画「母べえ」を見ました。1940年以降の日本の状況が描かれていました。

言いたいことが言えるというのは、今でこそ当たり前ですが、当時はそれが出来ない世の中であったことがよくわかりました。

 

戦争拡大に走る国策に反する考えを持っているということで、父親が投獄され、その一家を描いた作品でした。

親戚縁者の助けと、獄中からの手紙のやり取りを通して、一家は心を通わせ合うのですが、2年後父親は獄死するのでした。

この映画から学んだこととして、様々な困難や試練に逢おうと、たとえ拘束されたとしても、自分の考えに従って生きる尊さ、大切さでした。

 

戦時中の時代とくらべて、いまは自由で何でも言える世の中ですが、逆に自分を生きることの重要性が見えにくくなっています。

いまの風潮に気を付けていないと、どうしても安易な方向に走ってみたり、利害や損得だけの生き方に流れがちになります。

しかしながら自分を見失う原因を、外に求めてみたり時代のせいにするのもやめなければならないことに気づくのです。

 

どんな世の中になっても、自分の中に変わらぬ芯になるものを持ち続ける、それを生きる、このことだったのです。

それは絶対に譲れない自分の考え、価値観、あるいは信念といえるものかもしれません。

 

 

 

1日の積み重ね

 

たった1日の、積み重ねることの重みをいま、ひしひしと感じています。

早朝パンを焼くことから始まって、コップ一杯の飲尿。夕方のラジオ体操、チベット体操、真向法を行い、入浴時の尿塗布を欠かさずやっています。

 

そして今年3月から独学でギター練習が加わりました。

教本はDVDとCD付き、監修斉藤松男さんの「はじめてのクラシック・ギター」です。

いま和音の練習曲をやっているところです。

最初、この曲と向き合ったとき、こんな難しいのを弾くのは無理じゃないかと思ったものです。

しかし毎日、ゆっくりと少しずつ練習して行くにつれて、難しいと思っていた伴奏つきの曲が、ずっと身近に感じるようになりました。

積み重ねる意味を改めてここで教えてもらったのです。

 

健康面での積み重ねは、特に重要視しなければならないと思います。

どんなことを積み重ねるかで、結果に大きな違いが出て来るからです。

食べすぎや偏食などを繰り返したりすると、身体に致命的な結果を招くし、少食やバランスよく食することを心がけていれば、快食快便につながります。

また日ごろから軽い運動を積み重ねるようにしていると、身体の硬化を防いてくれるように思うのです。

続けるには少しずつ、というのがとても大事なことだと思っています。

 

 

尿健康法と1日1食

 

これまでの1日1食の量を、減らす傾向にあります。

毎朝コップ一杯の尿飲料と尿塗布によってかもしれませんが、空腹感を感じることも減ったように思います。

以前のように疲れを感じて、横になることもほとんどなくなりました。

 

先日、とても親しい人から、あるサプリメントをいただきました。

その方の家族は10年以上も飲んでいるとのことでした。

それで試しに1日2粒の服用を3日間だけやってみました。

初日は夕方になっても身体に力がみなぎる感じがして驚きました。

その後も興奮がおさまらず、夜はなかなか寝付けませんでした。

そして翌日、すっきりと目覚めることができたのです。

サプリメント服用中の朝の尿は、いつもとは違って薬っぽい感じがしました。

 

そんな状態が3日間つづきました。

それなりの効果のあることがよくわかりましたが、サプリメントに依存したくなかったので、その後は控えています。

やめてからは、いつもの身体に戻ったので安心しました。

そのサプリメントがその方に合っているように、わたしには尿健康法が合っているとしみじみ感じました。

 

人には人それぞれの健康法があっていいと思うのです。

ですから、わたしはすべての人に尿健康法をすすめるつもりはありません。

自分の健康管理は、続けるためにも自分に合ったやり方を見つけるのが一番なのです。

 

 

 

過去のこと

 

スパっと心を切り替え、新たに踏み出して行けば良いものを、なぜ過去にしがみつき、いつまで過去を引きずりながら生きようとするのか、その訳を考えてみました。

例えば、人様のお店の運営からやっと身を引くことができたのに、その後も別の店でなんとか運営に関わり副収入を得ようと苦心していた自分がいました。

しかし運よく、本腰を入れて自営の仕事に取り組める状況が訪れたので、心を入れ替え人様の店の運営から完全に身を引くことができました。

 

いつも過去のことを思いめぐらしている、そういう自分に気づいたとき、やってみることとしては、まず何にこだわっているのか、そしてなぜそれに執着しているのか、をよく見極めることです。

私の場合、何と代表という役職にこだわり、人から一目置かれることに執着している自分がいました。

早速、それらを手放しましたが、これまで無理に背伸びをしてやっていたことにも気づけたのです。

 

また、過去の自分に執着する原因の一つとして、それを手放した自分に自信が持てず信頼できないことから生じている場合もあります。

そこで自信の持てない自分というものをまず認めて、受け入れることから始めました。

そして弱気になっている自分を、もう一人の自分で抱きしめて「大好きだ」と何度も言って上げるだけで随分と癒されました。

 

 

欲望を減らす

 

例えば、車を運転中は、次の信号は青になってくれとか、青のままでいてくれなどと、思っている自分がいました。

またあるときは、前の車はもっと早く走るべきなんだとか、あの車は自分が通るまで待っているべきだとか、自分勝手に思っているのです。

 

これらはすべて、ほんの些細な欲望なのかもしれませんが、小さいからこそ質が悪いことに気がつき始めました。

心の隅には、こうした些細な欲望がひしめきあって、そのおしゃべりを絶えず聞かされているのです。

主人であるはずの自分は、いつもそうした欲望に突き動かされ、無意識にそれに従っているのです。

 

欲望それ自体は別に悪いわけでなく、来ては去って行くだけのものに過ぎず、それに執着しなければいずれ消えてなくなります。

 

そのことに気づいてから運転中は、自分勝手な願望は手放して、信号が青でおれば進むし、赤や黄色であれば止まることにしました。

また人の運転についても、とやかく言うことをやめ、目の前で展開していくままを受け入れて運転するように心がけています。

 

すべてをなくそうとするのではなく、気づいたひとつひとつの欲望から手放していく。その第一歩を踏み出したばかりです。

欲望に走ることをやめて、個人的な意志を手放していく。これがこれからの課題です。

 

 

自分を管理する

 

相変わらず、時間がない!時間が足りない!という思いで生活している毎日でした。

が‥それを何とかしなければと思っていたとき、20年前の環境サミットで12歳の少女が行ったという伝説のスピーチを聞くきっかけを、ある方からいただきました。

 

ユーチューブで探しましたら見つかり、その動画を3回以上も見てしまいました。

すでにご存知な方も多いと思いますが、私は初めてこの力強いスピーチを聞いてとても感動しました。

自分たちと未来の子どもたちのために、真剣に考えての彼女の発言に、大人のひとりとして自分が恥ずかしくなりました。

日常の中でこそ、ほんとうは何をするべきなのか?という問いかけを自分に課すどころか、成り行き任せだったことを反省するのでした。

 

大人がきちんと自分たちのことを管理できていないから、深刻な状況になってしまったということに気づきます。

目先のことに追われて時間が足りないと嘆くのでなく、まず生活レベルにおいて、地球家族の一員としての自覚をもつこと。

地球規模で一度、目の前の仕事や作業を見直し、その上で行うことが必要だということ。そのことを彼女のメーセージから学んだのでした。