信じ続ける

 

どんなことを行うにしろ、またどんな事態になったとしても、いまの自分を信じ続けられるかどうか、それがいつも試されているように思います。

 

心の中を望ましいことだけで満たして行くには、どういうことに気を付けていけばいいのでしょうか。

まず、やることに対して自信をもつことが上げられます。

 

どんな状況に陥ったとしても、自分を奮い立たせる最良の方法は、自分を信じることです。これに勝るものはありません。

もし、いまが最悪で自分を信じることなど、とても出来ない状況だとしても、そんな自分でも良いところの一つや二つはあるはずで、そのことに気づかなくてはなりません。

 

日常生活での浮き沈みというものは、誰しもが経験するものであって、その程度や頻度に違いがあるだけです。

ですから思い通りにいかなくても気にせずにいることです。無理に明るく振る舞おうとしなくてもいいのです。

落ち込みたくなる状況をそのまま冷静に受け止めて、次に臨めばいいのです。

 

「明けない夜は無い」と言われるように、この世は明暗の繰り返しの世界だということを知ることです。

また「諸行無常」という言葉どおりに、この世のあらゆる物事は永遠には続かず、移り変わっていくものだということを受け入れることです。

 

現実の世界はそのようであったとしても、心の中で自信に裏付けられた動じない世界を築くことは、自分次第で可能だということも知っておいてください。

 

 

満たすもの

 

心は絶えず、見るものや聞くものなど、注意を向けるあらゆるもので満ち満ちています。

普段はそういうことに全く気付かず、過ごしていることにちょっと驚いてしまいます。

 

現実だと思っている、目の前に広がるこの世界は、実は自分が脳内で作り出した幻影に過ぎないことは前から知っていました。

それを考慮に入れると、心というスクリーンに五感で得た情報を映し出して、それを眺めているのが自分だと納得がいきます。

 

だから毎日、心をどういうもので満たし続けるかが大問題であり、その重要性にどれだけ気が付いているのかどうかです。

愛で一日を満たすという課題に取り組んでみた結果、以上のところまでを思いを巡らすことが出来ました。

 

何かに取り組む場合に、注意せず成り行き任せでいると、予期せぬ事態を招くことがあり、それに慌てて対処し、かえって悪化させてしまうことがよくあるものです。

どんな心がけで日々を過ごして行くのか、そうした自己管理を怠っていると心は隙だらけなので、悪夢のような状況を引き寄せないとも限らないのです。

 

自分が望むことや喜ばしいこと、嬉しいこと、楽しいこと、人に役立つことなど、いつもそういうものだけで心を満たしていれば、少なくとも好ましくないことは起こりにくくなるのは間違いありません。

 

 

 

自分の時間

 

人にはそれぞれ、その人の時間が流れている

高倉健主演の映画「あなたへ」で語られるメッセージです。

夫婦といえども、お互いをすべて知っているわけではない、だからこそ、迷いが生まれて当然だともいわれます。

 

人にはその人固有の時間が流れているので、他人のことで過度に思いわずらっていると、自分の時間というものをせき止めてしまうことになります。

そうすると、その人は魂の抜け殻のような生き方しかできなくなってしまいます。

 

人にはそれぞれ、自分の時間が流れている

このメッセージは、先立たれた夫への思いで時間が止まっていた洋子に、英二(高倉健)から贈られます。

それを受け取った洋子は、ようやく自分の時間を取り戻すのです。

英二と夫婦となった洋子は、亡くなる前に「さようなら」という言葉だけの遺言を手紙に書いて、英二にさきのメッセージを伝えるのでした。

 

自分の中で流れている時間を、どのように使っていくのか、それを考え、生きて行くことも非常に大切です。

何も考えずに過ごすことも出来るし、一分一秒を大事に使うことも出来ます。

 

一生で与えられる時間は有限です。自分が使える時間は、いつかはなくなり終わってしまう、そのことをつい忘れがちです。

せめて人に喜ばれることや、人の役に立つような何かのために、自分の時間を使い果たして、終えたいものです。

 

 

 

何に尽くすか

 

山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」を見ました。

時は幕末の頃、地方の一介の武士の生き様を描いたものでした。

移り変わり行く時代の狭間で、家族をかかえ困窮の中にありながらも、精一杯に生きて行きます。

しかし武士の身として、いざとなれば命を張って藩に尽くすしか、ほかに道はなく、どうしようもなかったこと、それが痛いほど伝わってきました。

 

どういう時代に生まれたかによって、人はどう生きるかは大体決まって来るように思います。

もし戦時中に生まれていれば、嫌でも戦(いくさ)と関わることになり、限られた選択の中で生きて行くことになります。

また今という時代に生まれてきた場合は、もっと幅広い生き方が可能かもしれません。

でも、この時代が要求する範囲の中でしか、選択が出来ないという点では変わりはないと言えます。

 

結局のところ、人はある時ある場所に偶然に生まれてくるのではないようです。

時代や場所、そしておそらく両親をも、あらかじめ決めて生まれてくるのではないでしょうか。

そう考えないと、限定され違った時代時代に人間として生まれてくる意味が見つからないからです。

 

だから、幕末の混乱の時代にあえて武士の家系で生まれ、戦(いくさ)で命を落としたとしても、侍として忠誠を尽くすことに意味があったのではないかと思うのです。

いま、この時この場所で生まれて来たことを信頼し、この時この場所でしかできないこと、やることがあるはずなのです。

いま自分は何に集中し、尽くして行くべきなのかを問い、それに見合ったことだけに専念する、そういうことだと思いました。

 

心を満たす

 

車を毎日運転していますが、何も考えず成り行きで運転していると、たまに交差点でつい強引に飛び出してしまい、ヒヤッとすることがあります。

逆に誰かから、そうされることもあります。何かで忙しかったり焦っていたりしていると、そういう運転になりがちです。

 

ですから、運転中は特にゆったりした気持ちを保つことが、つまらない事故などを起こさないためにも、とても重要になってきます。

それで、そういう気持ちを呼び起こすために、自分に言い聞かせている言葉(註)があります。

「愛で一日を満たし、愛とともにいます」

これを何回か唱えるだけで、心はとても落ち着いてくるのです。

 

いまのせわしない世の中にあって、よほど気を付けていないと、自分を見失ったり、だまされまいと身構えたりで、恐れや緊張で心はくたくたになっています。

次の言葉(註)も朝と晩、唱えるように心がけています。

「愛で一日を始めます」「愛で一日を終えます」

 

愛で一日を始める、そう決心して仕事を始めますと、自然に笑みが浮かんでいて、優しい気持ちで接している自分に気づきます。

まだまだ定着し得ていないので、こうした些細なことを少しずつでも積み重ねていくことが、いまの自分にできるひとつではないかと思っています。

(註:ジョシュア・D・ストーン著「完全アセンション・マニュアル下巻」~サイババの教えから)

与える生き方

 

欲望に走ることをやめ、個人的な意志を手放していく

これは私の方針のひとつなのですが、なかなかその通りに実行できずにいます。

 

なぜ欲望に走ることをやめるのかというと、いつまでも小さな自分の世界に閉じこもる元凶になっていることです。

個人的な意志を手放していくのは、どうしてなのか。

個人的なことに時間を費やすことで、独りよがりな性格を助長しており、全体の中の自分だということをすっかり忘れてしまっているからです。

そのことを思い出すためには、いったん個人的な意志を手放すことが重要だと気づいたのです。

 

限定された個人という範囲だけで物事を考え、得ることばかりに注意を向けていました。

だから今度は分かち合うということで個人という枠を外していく必要があるのです。

 

これまで何かが足りないという思いに突き動かされ、その何かを得ようといつも周囲を伺いながら生きて来たように思います。

ほんとうは十分に満ち足りていることをまず知ること。そして奪うのではなく与える側に身を置き、状況を変えて行こうとしています。

 

具体的に何をどのように変えて行けばいいのか、それがいま取り組むべき課題です。

そのひとつの取り組みとして始めていることが、このブログの更新です。毎日重点的に発信して行くことにしたのです。

 

トラブルを防ぐ

 

人とのトラブルのほぼすべては、自分次第で未然に防ぐことができます。

何かトラブったとき、あの人が悪いとか、あいつが変なことをしたから、こういうことになったのだとか、原因をみんな相手のせいにしがちです。

しかし、もしも自分が冷静でいて賢明な選択をしていたなら、そのトラブルはそもそも起こらなかったはずではなかったでしょうか。

 

もし自分がこれ以上できないぐらいの優しさと、何でも許す心をもって臨んでいたなら、相手がどう出ようと争いは起こりようがないではないですか。

どうしてそこまでしなければならないのだと、思われるかもしれませんが、そこまでする価値があなたにあると言いたいのです。

 

良きにつけ悪しきにつけ、人はほとんど思い込みによって生きていると聞いたことがありますが、本当にその通りだと思います。

 

例えば私は小さい頃、いじめられたことがあります。以前はそのことを思い出すと悲しくなったり、相手に怒り感じたりして悶々としていました。

しかしその後、客観的にその頃のことをよく思い出してみたのです。そしたら必ずしもいじめられた訳ではなかったのです。

自分はいじめられていたと思い込んでいただけで、単に相手は当時の私の欠点を指摘していただけのことだったのです。

 

また小学生のときの学習発表会で、みんなの前に立つだけで顔が真っ赤になってしまい、頭が真っ白でした。

このときも、みんなが自分を見ている、見られていると思い、もう恥ずかしくて、顔を真っ赤にしていたのです。

 

自分の過去を振り返ると、ほとんど自分の勝手な思い込みが原因でトラブルを起こし、嫌な目にあって来たことに気づいたのです。

いじめられたり、無視されたり、悪口を言われたことなど、どれも実際には一度もなかったこと、自分の単なる思い込みがそこにあっただけだと断言できます。

 

トラブルを根絶するのは簡単なことなのです。

まず人から何かされるという受け身の立場を金輪際、捨て去ってしまうことです。

そして何かを為す自分として、主体的な立場に立って、自ら積極的に望ましい関係を切り開いて行くつもりになるだけでいいのです。

全うする

 

「自分は、〇〇しか出来ない!」という言葉は、良くないという意味で使われることが多いように思います。

でも、それしか出来ないということは、それだけは出来ると言っている訳ですから、むしろ喜ばしいことではないでしょうか。

ひとつのことをやり遂げていくということは、それ以外のすべてをあきらめてこそ、はじめて出来ることなのです。

 

専門バカとか、つぶしがきかない奴だとか、いろいろ陰口をたたかれたとしても気にせず、恐れる必要はまったくないといえます。

それしか出来ないところまで達するというのは、とても大変なことであり、全うして行くこと自体なかなか出来るものではないのです。

 

映画「鉄道員(ぽっぽや)」を見ました。

定年退職を目前にした主人公は、鉄道の事しかできないと言いつつ、先のことを心配するより、いまの仕事をともかくも全うしようとするのです。

鉄道はこれからの日本を引っ張っていくのだという父の言葉を、ひたすら信じ、「ぽっぽや」として生きて来た自分に悔いはないと言う。

好き勝手なことばかりやって来たのに、みんな良くしてくれる…自分はホントに幸せ者だと、胸いっぱいにして語るシーンは泣けました。

 

赤字路線の廃止や時代の流れで、あったものが次々と消えていく中で、いつまでも残るものがあるとすれば、それはそこで生きた人間の生き様であり、その思いではないでしょうか。

それがこうして語り継がれ、私たちの思い出として記憶にしっかりと刻まれます。

 

自分自身もそうなのですが、人は何よりも自分の人生を全うしたくて、人の全うした人生やその生き方に感動し、共感するのだと思います。