すべての人を受け容れる

 

どうしたら別け隔てなく、すべての人を受け容れられ、愛することができるでしょうか。

 

自分を好いてくれる人を愛することは、そんなに難しいことではありません。

では、あんな人はぜったい愛せないと思っていた人を、どうすれば愛することができるでしょうか。

 

相手によって愛する愛さないを決めているうちは、愛というものの本質をまだ理解できていないのです。

愛するに値しないと思われる人を受け容れて愛するようになって、はじめて愛の何たるかを知る糸口も見えてきます。

 

結局のところ、すべての人や生き物、あらゆる物を区別することなく、それらを愛する人となる以外にありません。

どうすれば、そんな人間になれるのでしょうか。

 

自分が生きている背景について、見て行くことにします。

現在まで、こうして生きて来られたのは、なぜなのだろうかと問うてみます。

 

自分にしかできない、何か役割があるからではないでしょうか。

また、自分で生きて来たというよりも、周りのすべてから助けられ、生かされて来たと言うべきでしょう。

 

自分の意識や身体でさえ、自分が自らつくり出したものではなく、与えられたものです。

太古の昔、人間の意識や身体を創造して、それらを与えたものがいるはずです。

創造主とか神とか呼ばれるような存在が、どこかにいなければなりません。

 

ところで、目に見える現実というものは、現象世界であり結果の世界です。

その裏には、目には見えない原因の世界があることに氣がつかなければなりません。

 

この目に見えない世界によって、自分の身体が生かされていることもわかります。

自分だけではなく、どんなにひどい人であったとしても、等しく生かされているのです。

 

どんな人にも完璧な役割があって、そういう意味で人の優劣はないことになります。

どの人もかけがえのない存在であり、この世で欠かせない存在といえます。

 

もし仮に、そのうちの誰かがいなくなれば、自分も存在し得ないことになるのです。

憎まれ役や天使の役など、その役割は違っていても、人というのはそれぞれの役目を担う尊い存在です。

すべての人が、自分にとっては愛すべき存在なのです。

 

大きな視点にたてば、些細なことで腹を立てたり、嫌ったりしている方がおかしいのです。

自分の役割を果たして行くには、周りの人々の協力が必要です。

同時に、自分がより成長して行くことも不可欠です。

 

多くの人の協力を得るためには、こころから相手に最大限の敬意をはらえるか、どうかにかかっています。

身近なところで、自分を支えてくれている人たちや身近なものに、無条件に感謝し愛することから始めてはどうでしょうか。