人間関係を劇的に改善する

 

人間関係を改善する一番の近道は、相手を変えようとすることではなく、自分のあり方を整えることです。

自分のあり方を整えるとは、自分という人間を一から見直すことです。

 

第一段階

対人関係で行き詰まるということは、自己のとらえ方に誤りはないだろうかと、問います。

自分をはじめ人間には、自然に出てくる思いやりや優しさの源があることを自覚します。

相手を思うこの氣持を、例えどんなことが起こったとしても大切にすべきではないだろうかと自問します。

この氣持ちの通りに生きたい、という切実な思いに正直になることです。

 

自分の可能性のすべてを愛したいと願えば、宇宙にそれを阻むものはありません。

相手がどんな人でも、どんなことがあっても動じない、自分の態度が固まります。

 

人間関係を劇的に変える鍵はつねに、相手ではなく自分が握っています。

人を見たらワクワクするぐらい、愛の根源である自分に氣づく人になればよいのです。

 

第二段階

困っているのは、自分以上に相手だという視点をもつことです。

自分のことは一旦、棚に上げて相手の立場になってとらえ直してみます。

仮に自分が損をしてでも、相手を助け譲る氣持ちを呼び起こすのです。

 

ほとんどの人間関係のトラブルは、お互い譲る氣がないから起こります。

どんな難しい問題であれ、少なくともどちらかが相手の身になって、全力で耳を傾ける氣持ちを持つだけで氷解します。

後日、その何倍もの徳が返ってくることは間違いありません。

 

 

「人は死なない」を読んで

矢作直樹さんの著書「人は死なない」を読んでいます。

 

生きていることは、いつも死と隣り合わせなんだと実感しました。

そして肉体の死はあっても、人はさらに生き続けるということが様々な事例で納得できました。

いたずらに死を怖れたり、嘆き悲しむべきものでもないことがよくわかりました。

 

死というものは、その人が次のステップへ進むための通過儀礼のようなものだと思いました。

自分にその時期が来れば、潔く死を迎え入れて、次なる人生へ旅立てばいいだけです。

だから、今の人生をいつ終わってもいいように、精一杯に生きることを心がけねばと思うのです。

 

過去のことで思い悩んだり、将来を憂いたりする必要はまったくないと言えます。

いま目の前のことに、全力でぶつかって行くだけで良いことがわかるのです。

 

不必要なまでにお金を追い求め、物をたくさん所有したとしても、あの世に持って行けないのは明白です。

お金や贅沢品などのために大事な人生を費やすことは、愚かなことだったのです。

食べて行かなければと、お金を稼ぐことにとらわれ過ぎていないかどうか、よく注意しなければなりません。

 

人との関わりや自然と向き合って得た経験、氣づきなどは自己成長につながり、これらはあの世へも持って行けると言われています。

人生とは様々な学びや体験を通じて、新たな自己を発見していく場ではないでしょうか。

出来る出来ないことにこだわるよりも、自分自身についてもっと深く知ることが重要なのです。

 

 

すべての人を受け容れる

 

どうしたら別け隔てなく、すべての人を受け容れられ、愛することができるでしょうか。

 

自分を好いてくれる人を愛することは、そんなに難しいことではありません。

では、あんな人はぜったい愛せないと思っていた人を、どうすれば愛することができるでしょうか。

 

相手によって愛する愛さないを決めているうちは、愛というものの本質をまだ理解できていないのです。

愛するに値しないと思われる人を受け容れて愛するようになって、はじめて愛の何たるかを知る糸口も見えてきます。

 

結局のところ、すべての人や生き物、あらゆる物を区別することなく、それらを愛する人となる以外にありません。

どうすれば、そんな人間になれるのでしょうか。

 

自分が生きている背景について、見て行くことにします。

現在まで、こうして生きて来られたのは、なぜなのだろうかと問うてみます。

 

自分にしかできない、何か役割があるからではないでしょうか。

また、自分で生きて来たというよりも、周りのすべてから助けられ、生かされて来たと言うべきでしょう。

 

自分の意識や身体でさえ、自分が自らつくり出したものではなく、与えられたものです。

太古の昔、人間の意識や身体を創造して、それらを与えたものがいるはずです。

創造主とか神とか呼ばれるような存在が、どこかにいなければなりません。

 

ところで、目に見える現実というものは、現象世界であり結果の世界です。

その裏には、目には見えない原因の世界があることに氣がつかなければなりません。

 

この目に見えない世界によって、自分の身体が生かされていることもわかります。

自分だけではなく、どんなにひどい人であったとしても、等しく生かされているのです。

 

どんな人にも完璧な役割があって、そういう意味で人の優劣はないことになります。

どの人もかけがえのない存在であり、この世で欠かせない存在といえます。

 

もし仮に、そのうちの誰かがいなくなれば、自分も存在し得ないことになるのです。

憎まれ役や天使の役など、その役割は違っていても、人というのはそれぞれの役目を担う尊い存在です。

すべての人が、自分にとっては愛すべき存在なのです。

 

大きな視点にたてば、些細なことで腹を立てたり、嫌ったりしている方がおかしいのです。

自分の役割を果たして行くには、周りの人々の協力が必要です。

同時に、自分がより成長して行くことも不可欠です。

 

多くの人の協力を得るためには、こころから相手に最大限の敬意をはらえるか、どうかにかかっています。

身近なところで、自分を支えてくれている人たちや身近なものに、無条件に感謝し愛することから始めてはどうでしょうか。

 

 

 

やり続けるには他を捨てる

 

大事だと思ってやり始めたことも、いつの間にかやめてしまうケースがほとんどです。

果たしてこれで良いのかと初心を疑い、あれこれと考え過ぎてしまうからでした。

 

保江邦夫著の「人を見たら神様と思え」に、人を活かす処世術について詳しく書かれいます。

その中で、下僕になることへの興味深い内容が伝わって来たときは、思わず身震いするほどでした。

判断や私心をいっさい挟まずに「言われたことをその通りに行動し続ける」ことで、右脳的人間へと変われるのです。

 

決めたことを延々とやり続ける上でも、大変参考になるものでした。

また、せっかく素晴らしい閃きやアイデアが浮かんで来ても、それを無視したり見逃したりしがちです。

一にも二にも「まず行動する」そして、それを「やり通す」

これが出来るようになれば、望む成果は自ずと現われて来るのです。

 

特に身体を動かすことの重要性には、注目する必要があります。

儀式のように、何か型通りの運動か動作を毎日決まった時間にやり続けてみることです。

そのときは何も考えずに、ただそれに集中するだけです。

 

これからは、いかに考えずにやり続けられるか、がキーワードになりそうです。

頭を空っぽにする時間を増やすことに意識を向けることです。

但し、テレビをみることや身元がはっきりしない情報などには、距離を置いて避けるようにします。

 

 

 

個人的なことより、全体のことを意識する

 

以前までは自分にとってプラスになることだけを考え、行動していても生活は成り立っていました。

しかし今は、それでは立ちゆかなくなりつつあります。

 

まわりの人々や世界にとってプラスになることを思い実行すると、うまく回って行くようなのです。

自分の行動したことによる結果が、すぐ現れてくるようになりました。

 

例えば、お客さんが喜んでいるところを想像しながら、パンを焼いていると、とてもうまく焼けるのです。

社会全体も、何となくそのような流れになって来ているような氣がします。

 

これからは意識の上で、自分と他人という境界があいまいになり、自他の区別はなくなっていくようです。

だから、自分が関わる物事はすべて自分ごとである、という視点で考えて行動していくことが要求されます。

つまり相手が得することは、すべて自分の得でもあるということです。

 

あるいは、自分の損得勘定は抜きにして、社会全体が良くなることだけを考え行動すれば、いい結果になるとも言えます。

自分という、とらえ方を根本から変えていく必要があります。

自分を、小さな個人的なものに限定しないで、広く全世界の人々ともつながる、大きな存在の一部であると考えます。

 

だから自分でないものは、何もないということです。

すべてが自分だとしたら、憎むことや争うことは無意味です。

自分でもある相手を励ましたり、引き上げ高めることしかなく、他にやることはないのです。