「食べ物」の変わりように唖然とする

 

 

二十数年前に、娘のアトピーをきっかけにして、本来の「食べ物」に、こだわり続けてきました。

そして最近では「食べること」の意味が、自分なりに見えてきて「食べ物」へのこだわりがなくなってきたのでした。

結局のところ、何を食べようと食べまいと大差のないことを知ってからは、「食べ物」への関心も薄らいでいました。

ところが、あるきっかけで、「食べ物」を切り口にして、今の世界や日本を見てみると、「食」に対する意識や「食べ物」の変わりように驚くばかりです。

そのときの衝撃は痛烈でした。気持ちをもちなおして、今度はこれまで以上に「食べること」「食べ物」にこだわって行くことを決めました。

「食べる」行為には、「食べること」以上に、何か絶対に譲れない大切なものがあるように思えてしかたがないのです。

 

今や食べ物の多くは、食品として日本をはじめ世界各地の大工場で大量生産され、また規格に沿った農産物が流通しています。

数十年前には考えられなかったスピードで、「食」にまつわる状況が世界規模で一変してしまったようです。

食べ物だけではなく、身のまわりにあるもの、例えば携帯電話もスマホに変わり、どんどん変化の度合いも激しくなっています。

まるで、ある決められたレールの上を猛スピードで走らされているように感じたりします。否応なく、ある方向へ進むよう仕向けられています。

そのことに気づいている人もいれば、全く気がついていない人もいます。深いところでは、誰もが気づいているはずです。

流れそのものを変えることが出来ないにしても、いま自分は何をしてるのか?どこへ向かっているのか?

せめて、それだけでもわかって行動していることが大切です。

 

 

宇宙も自己探求中

 

今朝、起きてから、夢のなかで宇宙について考えていたことを思い出しました。

ふと、宇宙に漂っている自分に気づき、そのときにひらめいたのです。

 

自分が自己探求しているように、宇宙も自己を探求しているんだということを知りました。

おそらく、この私という人間を通して、宇宙自身もさまざまな自己のひとつを体験しているのだということです。

私が体験するのことは、すべて宇宙もお見通しで、一緒になってそれらを経験しているというのです。

 

そうなんだと思うと、何かすごいことを自分は体験しているような気がしてきます。

もっと自信を持ち、堂々とものごとに立ち向かってもいいのではないか。

そう思うひとときでしたが、でもその場だけの思いで終わらせてはならないような気がするのです。

 

ところで今朝、ライ麦と玄米、黒米を入れたパンを焼き上げました。

ずっと以前にも挑戦したことは何度かありましたが、いまいち満足の行くものではありませんでした。

それで今回は、しっかり捏ね上げることと、思い切り焼くことを重視してやってみたのです。

 

そしたら、思っていた以上に噛みごたえのあるパンが焼けました。

これまでにない食感で気に入りました。

これからもときどきは、こうしたずっしり重い、噛みごたえあるパンも焼くことにします。

からだの完璧さを味わう

 

今、つくづく身体に備わっている、その完璧さと不思議さを味わっています。

もし今、「体調はどうですか?」と聞かれたら、即座に「最高です」と言ってしまいそうです。

悩むことがなく、気になるようなこともなく、目の前のことをやっている。

ただそれだけのことですが、なぜか嬉しいのです。

 

もう少し、日常生活について書いてみます。

朝食のみの1食を基本にして、昼食はたまに食べ、夕食はとらない生活をおくっています。

それと最近は毎日、洗腸をしていますので、お腹はいつもすっきりした状態が普通になっています。

 

さらに「チベット体操」「真向法」が、ここ数ヶ月の日課になっています。きつくはないのに終わった後、汗が出ます。

そして、一週間前から始めた、極めつきのあることを取り入れたから、いい状態を継続できているのかもしれません。

 

朝の食事の内容は、パンかお餅、ご飯などに、野菜サラダや納豆ぐらいです。

あと、梨やりんごなどの果物が大好きで、時々食べます。

肉類は食べませんし、魚は小魚をたまに口にする程度です。

嗜好品として、コーヒーや豆乳ココアなどを飲んでいます。

 

自分にとって食事は栄養をとるというよりも、楽しむためにあると言ったほうがいいように思います。

栄養のバランスを考えた上、食事をしっかり取ることで、健康が維持できると聞かされてきました。

でも私の場合は、簡素な食事ほど食欲がわき、なおかつ少量で済ますことが大事なのです。

 

たぶん朝食もなくてもやっていけそうですが、食べる楽しみをしばらく続けたいので、1食だけはキープしています。

明日の早朝は、ライ麦と玄米入のパンを焼いて楽しむ予定です。

 

人と人とのつながり

 

いま関わっている直売所では、ほとんど顔なじみの常連のお客さんが大半です。

そして今度、地元に大きな「道の駅」がオープンするに伴って、16年続いた、この直売所は閉鎖になります。

果たして、新しくできる大規模な道の駅・直売所でも、お客さんと顔なじみの関係が作られるのか、かなり疑問を感じています。

 

顔の見える関係の中で、食べ物をやりとりする内は、安全安心面についても暗黙の内にキープできていました。

しかし、不特定多数を相手の商売となると、どうしても一元客としての薄い関係でしかなく、安全安心も建前論として扱われがちです。

コンビニ全盛の時代において、お店とお客とは、いっときの売り買いだけの関係のほうが、効率はいいのかもしれません。

 

でも、こと食べ物に関しては、安全安心の面からいえば、お互い顔見知りの間でのやり取りのほうが望ましいはずです。

知っている人や顔なじみの人に、おかしなものや危険なものを売ることはないので、自ずと信用は保たれていました。

 

食品業界の見えないところで、信頼を損なうようなことがまかり通っている今日、人と人との本来のつながりを取り戻せる、強固なしくみが望まれています。