口ぐせ「信じています」

 

私が口ぐせとして、「信じています」と言うとき、それは誰に向けて言っているのでしょうか?

実際に口ぐせしてみれば、誰に言っているのか、すぐわかります。

それは、いまの自分自身に対して、言われていることに気づきます。

 

更にまた、それは誰が言っているのか、それもわかって来ます。

もちろん自分が言っているといえば、確かにそうかもしれません。

しかし敢えて言えば、いまの自分ではないのです。

 

それは未来の自分、あるいは本当の自分が言わしめている言葉でもあったのです。

思い起こしてみれば、すぐ納得できることです。

例えば、自分が大変な思いをして、何か大きな困難を切り抜けたときのことを思い出せばいいのです。

そのとき、必ず何らかの励ましの言葉が聞こえていたはずなのです。

「大丈夫!」とか「もう少しだ!」「頑張ろう!」

そういう言葉が、自然と出ていたはずです。

 

反対に乗りきれなかったときというのは、そんな言葉がいっさい出てこなかったからだと言えます。

代わりに、こんな言葉が思わず出てきたはずです。

「‥もう✕✕だ」

 

だから、自分にかけて欲しい言葉を、いかに普段から自ら言葉にするかが、とても大切だということです。

そのためには口ぐせとして、それを発するように練習すれば、やがてその言葉は自分に返ってくるようになるのです。

 

私はこうしたことをもっと知りたくて、これからも口ぐせは続けていきます。

 

 

 

 

口ぐせ「愛しています」

 

言葉について、これまで大きな勘違いをしていました。

言葉というものは、他者に何かを伝えるためにあるものだと思っていました。

確かに、それはその通りではあります。

しかし、同時に他者だけでなく、むしろ自分自身に対して語る言葉であったことです。

 

「愛しています」というを口ぐせを始めてから、やっとそのことに気づき、腑に落ちたのです。

「愛しています」

最初は、誰に言っているのだろうかという疑問が生じました。

口ぐせの合間で、愛する相手をさがし求めていました。

自分の愛したいという思いが、誰を愛すればいいのか、という問いを生みました。

 

そして、それは他のだれでもない、自分自身を愛することだということに、ようやく気づけたのです。

自分を愛することで、自分自身を癒やすことができたのです。

いったい誰に向けての口ぐせなのか、今回もそれは自分自身へと行き着くことになりました。

 

結局のところ、言葉というものは、まず自分に問いかける言葉として、生まれたのではないかという気がします。

自分の言葉を一番、身近で聞いているのは、自分自身だからです。

絶えず自分で、自分にいい聞かせているのですから。

 

だから、自分にふさわしくないことや望んでいないことを、言葉にしてはならないことも、とてもよく理解できます。

自分を見失わずに、望むことだけを実現させるためには、自分の言葉に十分気をつける必要があります。

 

 

 

口ぐせ「ありがとうございます」

 

運転をしながら、「ありがとうございます」を口ぐせにしてみました。

 

一番に出てきたことは、目の前の状況に対する感謝の思いです。

向こうから来る、どの車も左車線で来てくれるので、こちらは安心して左車線で車を走らせることができます。

このことから、この世が信頼で成り立っているということに、気づくとともに感謝の念がわきました。

 

その後も口ぐせをしていて、なぜ感謝するのか、その訳の1つがわかって来ました。

将来のある時点で、自分の夢が達成できたことに対しての感謝でした。

いろんな人たちの応援と幸運に対しての、「ありがとうございます」だったのです。

 

しかしすぐに、しっくりしていない自分を認めざるを得ませんでした。

ただちに夢を実現したときの気持ちになれず、すんなり納得できない状態なのです。

自分のなかで、頑として成功したように振る舞うことを受付けないところがありました。

それは例えば、これまで努力した結果、得た無力感や焦燥感にまみれた自分でもありました。

 

しばらくすると、口ぐせの「ありがとうございます」は、そんな自分に対して贈られる言葉に変わっていました。

成功を収めた未来の自分からの、感謝の言葉となっていたのです。

自分が発していた「ありがとうございます」を、今度は受け取る立場に変わっていました。

「ありがとうございます」のシャワーで癒やされていました。

「ありがとうございます」は、いまの自分にこそ、必要な言葉でした。

 

口ぐせは、自分が言葉を放つことによって、その言葉の受け手となれることでもあったのです。

 

 

 

 

 

口ぐせ「許してください」

 

「許してください」を口ぐせにしてみて、何をなぜお詫びしなければいけないのか、そのいくつかがわかりました。

 

まずパンを買っていただいていたお客さんに対してでした。

そのお客さんの要望や期待を真摯に受けとめなかったことがありました。

どうか「許してください」

心からお詫びをして完了させていただきました。

 

次は、両親に対してでした。

生前、お金は決して人から借りてはいけないとよく言われていました。

しかし現在、あるところから借金をしています。

親の教えに背く気はありませんでした。

ある理由から体験でそれを学ぼうと、敢えてお金を借りたという経緯がありました。

いずれにしても親にきちんと、この件でお詫びをする必要がありました。

「許してください」

両親には、心からお詫びをしました。

 

そして次は、最高の自分自身に対してでした。

例えば、モノを買う場合に、何でも安いもので済まそうとしていました。

これは最高の自分自身に対して、とても失礼なことをしていたことに気づけたのです。

「許してください」

もし、いいモノが手に入らなくても、安いもので済まそうとしないことです。

どうしたら、いいモノが手に入るのか。

何で、それを手に入れる必要があるのか。

それは最高をめざす自分にとって、ふさわしいモノかどうか。

それを必死に考えることだったのです。

 

次に、自分の思い込みで、これまで多くの人たちの心を傷つけて来たことに対して、きちんとお詫びをすべきだと思いました。

例え、相手にも非があったとしても、嫌な思いをさせたことに対して素直に詫びたい気持ちになりました。

思い浮かんだ人たち、一人ひとりに対して

「許してください」

ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

こうして、「許してください」を口ぐせにしていると、いつの間にか、自分が言っているのでなくなってきました。

私が「許してください」と言うたびに、まわりのほうから自分に、「許してください」と言われているように聞こえて来るのです。

私の発する「許してください」が、他の人からの声として、自分に届いているように思えます。

お詫びの言葉を言うたびに、まわりからお詫びの言葉が返ってくる。

そんな感覚になりました。

自分が発することは、自分に返ってくる。

これは、真実だということを実感できました。

 

口ぐせ「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」を口ぐせに運転をしてみました。

そうしたら、なぜ「ごめんなさい」と言っているのか、その理由があとでいくつも浮かんできたのです。

目の前の小さなことで、例えば信号が赤になったことで不平を言っている自分がいました。

そんな態度をとらせたことに、「ごめんなさい」と言い、直ちに帳消しにしていました。

 

また先日、ある人の話をきちんと受けとめなかったことから、誤解され立腹させてしまったことがあります。

そうさせてしまったことに、「ごめんなさい」と言っていました。

ほかにも、過去のことで至らなかったことが次々と思い出していました。

そのたびに、そのことと向き合い「ごめんなさい」と言うでした。

 

「ホ・オポノポノ」の4つの言葉のうち、今回は「ごめんなさい」を口ぐせにしてみて、その効用のひとつを実感しました。

翌日、立腹させてしまったある人の誤解が解けたという連絡をもらったことです。

それから、もうひとつ「ごめんなさい」の口ぐせで気づいたことがあります。

 

この人生で目的を果たし終えるのは、ほぼ決まっており、日々それに向けて出来事が展開しているという考え方があります。

そのことを忘れて、目の前のちょっとしたアクシデントに反応している自分に、何度も気づかされたことです。

未来で、人生の目的を果たし終えた自分を信じずに、それを疑うことから、いろんな問題を自分でつくっていたのです。

 

この「ごめんなさい」は、未来の自分に対して、もう二度と疑ったりはしません、という約束の言葉でもありました。

 

ホ・オポノポノ 2

今日を生きる

 

人生を、どう生きるかは、ひとそれぞれです。

 

わたしは、「人生をマスターする」道をずっと探していました。

そして、ようやく着いた先が、いまこうして与えられている「今日」という日です。

今日、目の前の課題を、どうマスターすればいいのか?

それだけを考えて生きることが、マスターにつながる道だったのです。

 

毎日のウォーキングで、いつも感じ入ってしまうことがあります。

一歩一歩をゆっくりと踏みしめて行くと、遥か前方にあると思っていたところへ、いつの間にか、たどり着いている自分に驚くのです。

 

一歩を休まず、続けさえすれば、どんな長い道のりでも、行き着くことができる!と毎回、確信を新たにするのです。