信念の奇跡について

ブリストルの名著『信念の奇跡』が読みたくなって
先日読み終えました。
そのなかで、はっと気づき理解したことがありました。

これまで歴史上に登場した多くの英雄や偉人たち、そして
現代のあらゆる成功者がおこなっていた唯一のことを
かいま見たように思ったのです。

それはどの人物も例外なく、確固たる『信念』を持ち続けて
いたということです。

自分の成しえたいこと、大意の実現を信じきり、
人々にも自分とおなじ思いを抱かせるまで、
その信念をつらぬき言葉を尽くしてなんどもくり返し主張していたことです。

そこから私が理解できたことは以下の通りです。

成功するためには、まずやり遂げたい夢が自分の確固たる信念になるまで、
その夢を寝てもさめても四六時中、なんどもくり返し潜在意識にきざみ続けて
落としこむことが必要だということです。

そうすることで潜在意識にかなえたい夢がようやく届きはじめて、
潜在意識のもつ無限の力の助けがえられるようになるからです。

同時に、まわりの人々やあらゆるものの支援もえられる下地が整うということです。

また潜在意識に落としこむ際は、強力なのが鏡に映る自分に向かって
絶えず、何をしたいのか?どこへ向かいたいのか?
と自分の目をみて聞いてみることです。
夢を抱く自分自身を揺るぎないものにするためです。

さらに一人でいるときは、からだの力を抜きリラックスして
受け身の状態で心に届く声に耳をすますようにして、
その声を聞きのがさないこと。
そしてその声にしたがって即、行動をおこすということです。

私はようやく「信念を生きる」という意味がわかりかけてきました。
こんどこそ自分が変わるキッカケをつかまえたように思います。
それをはなさないように、いま気を引きしめているところです。

結果を想定し、実験をはじめる

自分の生活を含めてこの世界で起こるすべてのことは、自分が創り続けていることを完全に腑に落ちていれば、

世界で起きているあらゆることを自分ごととして受け留められるし、また何か手を打つ必要があると思えばためらわずに行えると思うのです。

 

しかし実際は自分と世界で起こることは全く別だと考えて生きており、世界で起こる出来事は他人ごととして受け留めてしまって

傍観したり裁いたり、あるいは自分にはどうしようもないこととして見過ごしているのが現状です。

 

本当のところ、世界と自分とは別なのか?それとも密接に関係しているのか?

いつ頃からそう思ったのか定かでありませんが、世界の中に自分という人間がポツンといるだけで、

そんな自分にできることは大したことがないという誤った考え方で生きて来たように思います。

 

それが大きな間違いだということに気づき、今では自分の中に世界というものを創り上げていることを認識できるようになり日々実感していましたが、それを完全に腑に落とすところまでは至っていませんでした。

 

かと言って今の私にはどうすることもできず、ただその時が来なければそれは為し得ないということだけは徐々にわかるようになりました。

5年後の「理想的な場面」を想像して、それを創造するのはほかの誰でもなく自分だということでした。すべての出来事は全く自分次第であることがわかるのです。

それを実験して試す場が、この人生だと思うのです。

望んでいることを好きなことに

 

望んでいることを好きなことに望みを実現するのはどんな時かを考えればまた見えてくるものがあります。

そこには何としてでも実現したいという強烈な思いがあり、好きとか好きでないとかを越えたレベルにいることは確かです。

 

望んでいることを現実化する原動力は、自分の内の熱い思いから発していることがわかりました。

理屈ではなく本当に実現させたいのか、そうでないかのかを自分に聞けば自ずと答えが返って来ました。曖昧なのです。

 

まずはきっかけの糸口として、ともかくそれが好きなんだと思いながら、やり続けてみるのもひとつの手だと思います。

やって行く中で望むだけでなく何が何でも実現させたいという段階にまで行くかどうかを見定めたいと思うのです。

 

 

心に刻む3つのこと

 

当面、以下の3つをクリアすることに力を入れるだけで、その後に大きな違いが生まれるような気がします。

ます、やる前に考えるクセをまず断ち切ることだと思います。

必要な時には自ずと思考も働くので、敢えて考えることもないのです。

 

次に自分にとってなぜ、その目標達成が重要なのか?その理由を頭に刻み込むことで、半ば達成したも同然になります。

内からこみ上げてくる願望は、その現実化の前触れであって、実現するか否かの問題ではなくなり、それを判断したり評価するのは無意味だと知る必要があるのです。

 

そして、望むことだけに注意を向け、常に望む結果のさらに先を意識して思考する習慣を身につけることです。

上手く行きすぎたとき

 

これまでに上手く行った時を振り返りますと、その直後から気を緩めてしまって何となくダラダラと過ごしがちであったということです。

これは上手く行かないことが自分のスタンダードになっていたため、そこへ戻そうとする機能(ホメオスタシス)が働いていたことです。

 

この状態のままでは、今後どれだけ努力したとしても成長は微々たるものでしかないのです。

現状を打破するためには、まず何としてでもこの当たり前の基準を変えることが先決なのです。

 

今の自分がどういう基準で動いているのか、まずそれをしっかりつかんでおくことが重要であること。そのことに気づいておかなくてはならないのです。

これまでのパターンを見返してみて更にわかったことは、少しでも上手く行った時は、それだけで満足していたことです。

 

また、上手く行ったこと自体を疑ってしまい、上手く行くはずがない、などと否定したりしていました。

以上のことを頭に入れて、上手く行かない状況に戻そうとする思考回路から切り替えて行くことにしたのです。

 

 

いまという瞬間

 

ふとあるとき、すべてのことを頭から追い出して目をつむり、いまという瞬間にフォーカスしてみました。

しばらくそのまま、その状態でいると、何とも言えない安らぎと充足感を感じるではないですか。

そして、ここにこそ『すべて』があるように思えたのです。

 

あらゆる迷いや不足とか不満などが一気に消え去って、心は『すべて』で満たされていることに気づきました。

心身ともに癒された思いになり、自分は何者でもないことに気づくのです。

 

それは真実の私に一番近いものであること、私という内なる宇宙にあらゆるすべてのものが在るという感覚でした。

雲をつかむような取り留めのないことだと思われるかもしれません。

でも、心を空っぽにして試していただければ、何となくわかっていただけるのではないかと思います。

 

 

望むことを考える

 

これまでずっと言われて来たことで、書名にもなっている「人間は自分が考えている通りの人間になる」という言葉があります。

それを単に知識としてではなく、実感として真実であることを理解し始めたところです。

 

それまでの自分は、望むことよりも望まないことばかりを考えて来たように思います。

そうして望まない結果を引き寄せていた間違いに気づいてから、考え方を改めることが出来たことは幸いでした。

 

最終的に行きつくところは、望む望まないとか、いい悪いなどを越えて、すべてをあるがままに受けとめられるものでありたいと思います。

それまでは望むことや好きなこと、良いことだけを考えて、それらにとり囲まれた生活を思う存分に楽しむことにしたのです。

 

 

身体の声に従う

 

夕食と昼食、間食をやめてみて、つくづく感じるのはお腹がとても身軽になったことです。

いかに今まで『食べもの』をお腹に詰め込んで、身体に大きな負担をかけ続けて来たことかと驚きます。

 

また、生活の中でその大半が食べることや飲むことに起因していることを思い知り、そのおかしさにもやっと気づけました。

それがわかっただけでも、身体にとっては大変な救いになっていると思っています。食べることで病気や身体の不調が発生していると思わざるを得ないのです。

 

もちろん美味しい食べものを口にすることは、とても楽しく嬉しいことに間違いはないのですが、それはほんの一口でも十分なことに気づけました。

今1日を朝食だけにして、たまにそれ以外の時でも食べたり飲んだりしますが、味わうためだけなので少ししか摂りません。

 

今後、食べる楽しみから徐々に身を引き、食べない楽しみをもっと味わえるようにして、心身ともにもっと軽やかにして行きたいと思っています。