熱意なくして何事も成し得ない

 

私というのは、いったい何のためにこうして生かされているのだろうかと考えてみて、その何かがあることだけはわかるのです。

そして、その何かというのは最初は何でもいいのではないかとわかったのです。

 

だから探しまくるのはやめ、すぐに手短なものでも何でも、それをやり通してみれば良かったのです。

走りながら考えるという言い方もできますが、やり続ける過程で出合ういろいろな問題にぶつかりながら深めていくやり方です。

 

目ざす方向も成果もやりながら進んでいけば、より鮮明にもっと明確になって来るように思います。

 

 

何度も言われ、やっと気づく

 

振り返ってみると、それは何度も言われていたことだったと気づくものです。

わかるためには、それに相応しいタイミングというものがあり、自分に準備が整った時にそのタイミングは訪れるとも言えます。

 

だから、わかるためには何度も聞く必要があったということであり、何度も言ってもらうことも必要だったのです。

もし、準備も出来てそのタイミングで聞き、腑に落ちたのであれば後はやる以外には何もないことを認め、速やかにやることです。

 

私はそうしました。そのことだけに集中するようになり、結果的に他のことはどうなっても受け入れるという状態になったのです。

私にとっては納得したその一つのことを続けて行くことで、全てを解く鍵も見つかるように思うのです。

 

 

まず自分に力をつけること

結局のところ、積み上げるものは何でも良かったのです。

力をつけるには、あることを着実に積み上げることに大きな意義があるということです。

これまでやってきたことの中にも、そういうものを見つけることが出来ると思います。

 

もちろん続ける必要があるので、自分の興味のあるものや好きなものであるに越したことがありません。

物事を成し遂げるには、凄まじくそれを思うこと、寝ても覚めても四六時中、そのことを思い続け考えぬくこと、とも言われています。

 

毎日、地道に積み重ねていくと、自ずとそういう境地になって行くものですので努力すべきは、思うこと以上に行動が大切だということです。

 

 

自分の運命は自分で作る

人に頼ったり人のせいにする生き方から、自分が決めて行動するという自分の責任で生き始めることで、

自分の運命は、自分が切り開いて行くものだということがわかります。

 

誰が悪いのでもなく、みんな自分が悪かったのだと認めることから、やっと主導権を自分に取り戻すことが出来ます。

自分が被害者でいたり人を責めている間は、相手に自分の人生の主導権を与えていることに気づくべきなのです。

 

相手を加害者に仕立てて人に責任を負わせる方が楽かもしれませんが、それではいつまで経っても自分の人生が始まらないのです。

自分の人生を切り開くということは、地道な努力を要することと責任は全て自分がかぶることになるので相当の覚悟がなくては続けられません。

 

でも、それ以上の価値あるものを発見し、自分を大いに生かせることの無上の喜びが見い出せるように思うのです。

 

 

直感は自分の外にも現れる

 

私が考え発言し、行動していること自体が、外からのメッセージや内なる声を呼び起こしているように思います。

今の自分以上の、大いなる自分というものがいるとしか思えない、そんな境地になったことが何度もあり、私はこの自分だけではなかったのです。

 

いつもの自分を主体に生きていますが、人やものを介して自分の本質に沿った生き方を迫るメッセージを様々な形で自分に投げかけています。

普段そういうメッセージに気づくか気づかないかだけで、いい結果が出た時ってその声の通りに行動していたということだったのです。

 

賢い生き方とは、何もかもわかっている本来の自分から来る直感を生かしそれに沿った選択だけを行なうことだと思うのです。