謙虚さを学べるのは娘から

 

謙虚になるためには自分はどうあればいいのか、この機会に考えてみました。

例えば、運転中に方向指示器を出すのがが早いと言われた時、運転していた当事者という立場をはなれて、第三者として聞く姿勢に切り替えていれば、

自分のやったことは確かに早かったと謙虚に受けとめられたのではないかと思います。

 

それで、急に切り替えることはできないので普段から、やったことに対して執着せず、その都度、手放すぐらいに身軽でいることを心がけたいと思うのです。

ところで、物語の主人公と脚本家のことも触れたいと思います。

 

私たち一人一人は、自分の人生の主人公であると同時にその脚本家でもあるということです。

でも、自分の一生なのに脇役で過ごす人もいれば、悲劇の主人公を演じる人もいたりします。

 

いずれも本人は意識していないかもしれませんが、そういう脚本を選んで自ら演じていることに変わりはないのです。

この脚本家になるというのが、観察者の視点で生きるということに通じるのです。

 

よく陥(おちい)りがちなのが、主人公という当事者に成りきってしまって脚本家であることを忘れ、被害者を演じてしまうことです。

私も過去の人生で被害者をずっと演じていた時期がありました。脚本家でもあることを知らせれてやっとそこから脱出できたのです。

脚本家であるとは、自分が知らずに被害者という役を演じていたストーリーを自由に書き変えることです。

 

望まない状況を望む状況へと変えるにはどうすればいいのか?

まずその望まない状況は、自分がもたらしたことを素直に認めることです。その上で、どういう風な状況へと変えたいのかを明らかにすることです。

そして、そうするためには自分はどういうことをしなければならないのかをリストアップします。

 

その後はリストに優先順位を付けて一つずつ手がけていくのです。もちろん先のことはわからないので、融通と余裕をもつことも必要です。

ただし、やると決めたことは確実にやっていくことがポイントだと思います。

 

 

運命は志あるものを導く

志をもつといっても、大それたことをいだくことだけでないと思います。

今日一日、人の話をじっくり聞くことにしようとか、仕事の行き帰りはいつもと違う道を選んでみようということからでもありです。

 

もし自分にできることで何か決め事をして、それを確実に実行する習慣ができていなければそこからやっていけばいいのです。

自分との約束をきちんと果たすことでもあり、これを繰り返すだけでも自信が格段につきます。

 

志をもつ生き方というのは、自分の人生をいきることでもあります。

それは仕事場あるいは生活の場でうまく事が運ばなかった場合に他人や状況、環境のせいに一切せず、その原因は自分にあるという生き方です。

 

言い訳をしない生き方であり、自分の可能性を認める生き方なのです。

原因を自分に置くということは、自分の行ったことだけでなく考え方やとらえ方、在り方までを検証し、改めるべきところは大胆に変えていくという、自分を変えることをいとわない柔軟性をもつことでもあると思います。