20歳の顔と今の顔

 

こうして動画を撮るまでは自分の顔を見るのもイヤだったのが今はまったく平気です。

むしろこれまでのことがすべて刻まれている顔に、自分で言うのも変ですが敬意を払いたいぐらいです。

 

見慣れたということもあるかもしれませんが、この大きな変化に希望を感じています。見方が変わると考え方感じ方も変わっていきます。

動画を撮るだけでもこういう体験ができるのでぜひお勧めしたいです。

 

 

偉大であることは誤解されること

自分にとって偉大であるとはどういうことかと思いめぐらせると、やれそうもないことをやり遂げることだったり、途方も無いことをやり遂げたというイメージが浮かびました。

これまで自分には偉大ということには全く縁がない人間だと思っていました。

しかし凡人でもひょっとして偉大なことをなし得るのは可能かもしれないと思えるようになりました。

例えばどんな小さなことでもそれをやり続ける、これを確実に行なうだけで気がついたら大変なことをやっていたとわかる日が来るのかもしれません。

もちろんこれはまだ憶測ですが自分で試してみる価値はあると思ってやっているところです。

 

 

自己の基準に従って責任を果たす

どういうことであっても、それなりの自分のここまではという基準のようなものを、臨む前とかやってる中で無意識にもっているものです。

私も遊びでも仕事でも取り組む時には、責任を果たすというレベルに行かなくても満足できるところまでは何とかやろうとそれなりに努力して来たように思います。

 

しかし自分にとって大事なことに取り組む場合には、人から課せられた基準以外に自分独自の基準となるものを持ち、その基準を忠実に守っていく姿勢がやり遂げる上でなくてはならないものだと改めてわかりました。

自分は鍛えられその手応えを感じながら、それが次への励みにもなるのです。