人間、つまづいてもいい!

人間、つまづいてもいい!

たとえ、またずっこけても、そこから始めればいいということでした。

こんなに積み上げてきたのにという執着を生むこともあり、積み上げて
いるという意識は、むしろないほうがいいのかもしれません。

いつも、今から始まるというのが真実で、一から始めるという気持ちが
大事でした。

毎日、リズムを作っているという感覚も大切でした。体調もしかりです。

予定外のことが入っても、それに集中し終わったら、またいつもの動画
撮りに一から専念すればいいだけです。

祈りは通じるもの

祈りは通じるもの

これまでたいがい上手く行った時というのは、そこに必ず祈る思いが
あったことに気づきました。

挫折を味わったあとで転機が訪れたのも、現状を何とかしたいと願い
祈る気持ちでいました。

こうして動画を撮ることも私にとっては祈りそのものです。

ありのままを伝えられますように。
役立つ記事がたくさんアップロードできますように。

これから出合う人たちの幸せを祈り続けられますように。

理想が真実になるとき

理想が真実になるとき

今、自分がどん底にあったとしても、また最高潮なときにあるとしても、
真実という観点に立てばどっちも同じことではないかと思いました。

自分がどんな境遇にいようと、自分は境遇そのものではないので、別に
両方経験すればいいだけのことではないかと思ったのです。

だから仮に心配ごとを語っても理想を語ったとしても、真実という点で
同等の価値あることだということです。

語る内容よりもむしろ真実を語ること自体に価値が有るように思います。

100%の自分でいる

100%の自分でいる

どんなに前向きに考えようとしても、その時々の感情はいつも同じという
訳には行かず、どうしても起伏があります。

ポジティブな感情でいることもあれば、些細なことで弱気になったりして
ネガティブな感情におそわれることもあります。

自分が自分でなくなるとは、例えば怒りという感情が起こった時に自分が
怒りそのものに乗っ取られてしまう場合です。

いつもの冷静さがなくなり、自分で正しい判断ができなくなる状態になっ
てしまうのです。

100%の自分でいるには、例えば怒りの感情が起こった時、怒りそのも
のを十分に味わった後はその怒りに対し距離を置くと決意することでした。

怒りという感情がやって来たら、いずれ去って行くまで、その間だけ自分
にいることを許して上げればいいのです。

自分自身を裁くのは難しい

自分自身を裁くのは難しい

とかく人のしなかったことについて裁きがちですが、そのとき自分は相手
を正しているという感覚があります。

だから自分は間違ったことをしているなどとは露ほども思っていません。

しかし、本当はどんな場合にも、相手がどうだったかということ以上に、
自分がどうであったのか、それが最大の関心事であるべきなのです。

どうして相手のほうに目が行ってしまうのか、そのほうが楽だからで自分
のことを振り返ったり考えたりするのはかなり面倒なことです。

でもその面倒くさいことをやらなければいつまでも、うだつの上がらない
人生を生きることになり兼ねません。

自分のしたことやしなかったことに対して、至らなかったことは何なのか
を把握し改善することは、自分にとって最も重要なことだと思うのです。