今も思いは同じですが、直売所の売り上げを伸ばしたいという気持ちが常に自分の中にありました。
売り上げが伸びることはお客さんが満足していることであり、生産者が喜ぶことであり、よって自分の満足度を上げることでもあるのです。
今日まで何とか競合店に押されながらも営業を続けて来られました。道の駅ができる2015年10月まで営業します。
今も思いは同じですが、直売所の売り上げを伸ばしたいという気持ちが常に自分の中にありました。
売り上げが伸びることはお客さんが満足していることであり、生産者が喜ぶことであり、よって自分の満足度を上げることでもあるのです。
今日まで何とか競合店に押されながらも営業を続けて来られました。道の駅ができる2015年10月まで営業します。
どんなに子どもが目覚ましい成長を遂げても、それに伴って親も成長していかなければ、その子どもの足を引っ張りかねないと思っていました。
だから機会あるごとに、大人の私たちも学び成長していきましょうと伝えていました。
ところが親によっては全く通じず、特にそうして欲しい親に限って反発され教え子が不憫に思っていました。
しかし、今思えばそれは私の一方的な思い込みでした。
また相手を変えようとする考えは信頼関係を損なうことにもつながり、当時の私はそれらが全く見えていませんでした。
社会人になって就職した会社で部下をはじめて持つ身になったときの話です。
自分が指示した通りにやったことに対し(もっとも彼らにとっては当然のことをしたまでかもしれませんが)
私にとってはその時に体験したことは、とても新鮮で彼らのその態度と姿勢に感激してしまって、謙虚さというものの大切さを教えてもらい、それが伝わり合うものであることを実感しました。
それ以来、人の成長を見守り育てていくこととそれにふさわしい自分に成長していくことが自分の使命のように感じて今日まで来ました。
辛いときや厳しいときに、出会った「救いの手」に特別の思いを持つのは自然なことですが、私の場合それがクラシック音楽だったということです。
それにしても、人はどんなに悩みどんな辛い目にあったとしても好きなもの、あるいは気がまぎれるものさえあれば、それに耐えていけるものであるということを自分史を書いていて改めて知りました。
また自分の過去をじっくりと振り返って見つめてみてはじめて、その当時の悩んでいたことや辛いと思っていたことのほとんどが、実はそんなに大したことではなかったということもわかります。
元来、勉強が嫌いな娘でしたが自分で選んだ道で試験勉強に向かっている姿を見ていて頼もしくもあり、
子というのは自ら育っていくものなのだと改めて思うと同時にだからこそ広い視点で見守る接し方が親には必須なんだとわかりました。
必要なタイミングのときに必要なことができる能力を人間は持っているということをこの時つくづく実感できました。
何でもいいのですが、はじめてやることでいくら頑張っても最初から上手くいったためしはないということです。
でも、はた目を気にしたりプライドが許さなかったりで何とか完璧をめざそうとしがちです。
だから途中で嫌になり投げ出したりしてあきらめてしまう結果になるのです。
恥ずかしくても不完全であったとしても、とにかくやり続けて数をこなすことがすべてだということです。
初めから時間や労力を費やし、どんなにいいものができたとしても大したことはないのです。
だから失敗作でも駄作でもいいから、まず積み上げていくことが一番大事だということでした。