今日一日、裁かない!

どんな人にも大なり小なり
思い込みはあるものです。

それを完全になくすことは
無理だとしても、
せめて見当ちがいな思い込みだけは
防ぎたいものです。

その後、私が心がけているのは、
それは正しいとか、間違っている
といった裁くことをやめることです。

小さい頃からよく「自分で判断しなさい」
と注意された覚えがあります。
だから、いつも判断するように
と育って来たのです。

もちろん危険か安全か
といった身を守る上で
判断が必要な場合もありますが、

すべてのことを良い悪いで
判断しがちなところは
改める必要があります。

ある基準になるモノサシで、
何が正しく何が間違っているか
と言っているだけで、

そのモノサシが変われば
中身も変わってしまうものです。

一度、自分が
どれだけ日常の出来事に対して
裁いているかを
じっくりと観察してみてください。

私は気づかずに決めつけている
自分にびっくりしたことがあります。

それ以来、判断をせずに
相手のことや状況をそのまま
受け取るようにしただけで、

相手とぶつかることもなく
精神的にずいぶん楽になりました。

そうすることで思い込むクセも
徐々に改善できたように思います。

今日一日、裁かない!
で過ごしてみてください。

必要な情報を集める

情報不足による、一人よがりな意味づけ、
解釈ってしがちではないでしょうか?

例えば、人に何かを依頼をしてその後、
何の音沙汰もないとき
何だあの人は!と思っていると、
ずっと後になって
その人が病気で入院していたことを知って
思い違いしていたことを反省したり、

あるいはその人は
期待以上のことをしようとして
時間がかかっていたことを
後で聞かされて自分の至らなさを
思い知ることもあります。

自分が知っている
限られた情報の中で行なう、
状況の意味づけは
間違った判断をくだすことが多い
と心得た方がよさそうです。

そうすると謙虚にもなれ、
人の話をよく聞こうという気持ちにもなり、
自分がやっていることや人を
もっと観察する余裕も生まれてきます。

実際ちょっとした思い込みが
後々まで尾を引いて、大事な場面で
取り返しがつかなくなったりすることも
あるものです。

以前、私が慕っていた上司の口から
突然、自分に対して不信の目で見ているとしか
思えないような発言を聞き、
自分は信頼されていないんだと
落ち込んでしまったことがあります。

いったんそう思い込むと、
仕事へのやる気もうすれしまい
好ましくない事態へと進み、
その職を離れることになりました。

いま思えば上司の発言内容も
覚えていないほど
大したことでもなかったのです。

こうした自分勝手な思い込みを
なくして行くには、
判断をくだす前に
よく確かめて
必要な情報を集めるように
心がけることが大切だということ。

日々の体験という『学び』から
自分のあり方そのものを
変えていく以外に道はありません。

『学び』によって変えていく

不安や恐れを感じることや
それを避ける行動自体は悪いことではなく、
むしろ身の危険を防ぐ上で
なくてはならないものだと言えます。

ただ新しいことに挑戦したり
未知の世界に踏み入れる際に、
それが足かせになって困ってしまうのです。

人類がここまで進歩して来られたのも
一部の人たちがこの足かせをバネにして
未開拓な分野に挑み続けてきた結果でも
あったのです。

個人のレベルで考えても
未知の部分があるということは、
そこに新たな可能性が秘められている
ということでもあり、

不安になるのは単に知らないからで
新しい知識や情報を取り入れていけば
いいのです。

望むどおりの人生を生きるためには、
これまでの見過ごしてきた無知からくる
恐れや抵抗というものをこれから
どんどん手放していくことが大切です。

情報不足による人生での意味解釈を
『学び』によって変えていくのです。

その時その時で壁にぶつかったら、
なぜ自分はそれを恐れているのか?
どうして抵抗する気持ちがわき起こるのだろうか?
と自問し
自分にどのような知識を欠いているか、
まず知ることです。

必要な情報はいつでも
ネット上で得ることができます。

自分にとってどんな情報が
いま必要なのか?
意識して情報を選ぶ
という取捨選択がとても大事です。

自分の世界を生きる

昨日は、楽な道と危険な道について
書いてみました。

よくよく考えてみますと一見、
楽な道というのは
実は大変な道でもあることが多く、

逆に危険な道だと思って
進んでみると、
結局一番楽だったということが
振り返ってみてわかるのです。

このことから学ぶべきところは、
苦労は買って出るという
態度で臨むことが
一番望みが叶いやすく、

楽することを最優先にすると
後で必ずそのツケがまわって
大変な目に合うし、
望みも叶わないことが多い。

世の中、ちゃんと
吊り合うようにできています。

だから人がどういう選択をしようが、
その責任は
その人がすべて負うことになるので、

人の選択について
他人がとやかく言う必要は
全くないということです。

そのとき自分が
どういう選択をするか、
自分の現実世界が
一番の関心事であるべきなのに、

いつも周りに振りまわされているから
楽をしたいと思うのです。

自分の世界を生きていないことに
いち早く気づく必要があります。

そもそも楽しようという発想は
自分の世界に生きていない
証拠だと思うのですが、
あなたは
どう思われますでしょうか?

毒を持て

しばらくぶりに書いてみます。
ところであなたは現在の自分に、
あるいは自分の今の状況に
満足されているでしょうか? 

私は今の状況に
満足できないので、
なんとかして変えたい思いで
時間や労力、お金をかけて
新しいこと、
ネットビジネスに
その望みを託し
チャレンジしているところです。

岡本太郎さんの著書に
「自分の中に毒を持て」
というのがあります。

私はその本から、
選択を迫られたとき
楽な道でなく
危険な道を選ぶ
という選択の仕方を教わりました。

それ以来どうしても
決断できない時は、
あえて大変な道を
選ぶことを決めました。

今までのところ、
その結果に
後悔したこともなく、
これからも
悔いのないよう
新しいこと、厳しいことに
向かっていこう
と決めています。

「安全な道をとるか、
危険な道をとるか、だ」
この重みをいつも感じます。

また書名の
「自分の中に毒を持て」
という意味が最初は
ぜんぜんわからず、
今もわからないのですが、
でもその言葉にいつも
励まされています。

無知と行動

今朝はずいぶんと
気温が下がりましたね。
室内で13℃、
思わず
ストーブを点けてしまいました。

さて、人は行動しないです。
なぜ行動に移せないのでしょうか?

まず考えられるのは、
行動することでリスクを負う
ことへの恐れでしょうか。

行動することで
得られるメリットよりも
デメリットの方に意識が向いて
ブレーキをかけたり、
決定を先送りにしがちです。

「失敗したら大変だ」
「間違っているかもしれない」
「後でまた考えよう」
「今でなくてもいいじゃないか」
と。

また疑い深くなった
のも要因としてあげられます。

知らないことへの恐怖は、
人が行動したり決断するときに
意外と大きな影響を与えています。

知らなかったことがわかって
行動する段階に至るには
時間と労力、根気がいるので
無知のまま見過ごすことが多く、

意識的に情報を取り入れて
考え行動するように
自分を変えていかないと、

これからは情報格差による
不利益が発生し、
否応なく望まない方向へ
押しやられることになる
かもしれません。

インターネットが
これだけ普及した現代、
ある情報を
知っている層と知らない層
の2極化は
ますます加速するように思います。

変化を起こすには

今朝トイレ掃除をしました。
これまで掃除は
汚れに気づいた時にしていましたが、
昨日ある方から
毎朝すると一日を気持ちよく過ごせる
ことを教わったからです。

確かにトイレの中は
きれいになりましたし、
それ以上に
心がさっぱりした気がします。

以前にもトイレ掃除のことは
聞いていましたが、
頭でわかっていても
なかなかその気にはなれませんでした。

その理由の根本には
ウンチは汚いものという思い込みであり、
手に触れたりするのがイヤで
ずっと避けていました。

しかし最近になって徐々に
考え方、感じ方が変わり始めました。

自分の体から出たものが
どうして汚いものなのか、
が納得できなくなったのです。

まだ汚いという思い込みを
完全に捨てられたわけではありませんが、
これを機会に毎日
トイレ掃除をやろうと
行動を起こしてみることにしました。

雑巾(ぞうきん)とバケツを用意して、
床の汚れをまずふき取っていき、
便器も手でしっかりと雑巾がけを行いました。

ていねいにやっても
8分くらいで済み、
わずかな時間と手間しか
かかりませんでした。

こんな簡単にできることだったのに、
今までどうしてやれなかったのか
と不思議に思ったりします。

今回のトイレ掃除に対する
自分のとらえ方の変化を振りかえり、
人生に起こることは
すべて自分が創りあげていること。

しかも記憶にある
決まったパターンで、
感じ考え行動しているということ。

そのことが腑に落ちていると、
これまでの感じ方や考え方、
行動のおかしさにも
やがて気づくことができて、

それまでのパターンを
一気に変えることもできる
という一例なんだと
改めて知ったのでした。

『選択』を認める

あなたは自分の人生を
自分で選んで創ってきたと
素直に
認めることができるでしょうか?

ここがこれからの人生を
変えていく上で
大きなポイントになります。

自分が経験する世界、
現実というものは
自分が日々選んで
創りあげていることを
認められないなら、

これからも
自分の人生を変えるのは
むずかしいというか、
できないでしょう。

自分の無意識による選択で
自分の人生が決定されているというのに、
それを認めず
自分の関係ないところで
自分の人生も決まるという
他人まかせで、
自分の人生に責任を持つ
気がないからです。

ですから、
この現実を創っているのは
自分なんだと
素直に認めることがとても大事です。
もちろん、
そう思い込むことではありません。

よくよく考えれば、
身のまわりのすべての出来事は
何らかの形で自分が関わり
思ったりしたことの結果であることが
わかるはずです。

実は私も
自分が経験してきたことは
自分が招いたことなんだ
と指摘されても
なかなか認められずに、
モヤモヤしていた時期がありました。

しかし一つ一つの出来事の
その元をたどれば、
心あたりがあることばかり
だったので
認めざるを得ませんでした。

一例をあげますと、
行き着くところで、
ことごとく上司とぶつかって
その職場を去るという経験が
3回も続き
困った状況になったことがあります。

なぜこんな目に会うのだろうか
と、いろいろ考えてみる
機会でもありました。

そしてようやく気づいたのは
相手の気持ちをくみ取れずに
自分本位でしかものごとを考えられない
自分に原因があったことです。

この気づきのために
私は何度も同じ場面を選び
自分で引き寄せていたのです。

これが自分の
無意識による選択で
自分の人生を創りあげている
という意味なのです。

おそらくあなたも同じような体験が
あるのではないかと思います。

自分の人生で
何を経験するのか?
ほかの誰でもなく
自分自身の選択で
決めているということでした。